ピッコロ便り

ピッコロシアター、県立ピッコロ劇団、ピッコロ演劇学校・ピッコロ舞台技術学校など、劇場のトピックをご紹介します。

ピッコロ Side Story(2) 大蔵流狂言方 善竹隆司さん・隆平さん

2011年09月06日 | piccolo side story

「狂言をご覧になる若い人が増えてきて嬉しい」と話すのは、大蔵流狂言方の善竹隆司さん(38)と隆平さん(33)兄弟。9月10日に大ホールで開催する「ピッコロ狂言会」にむけて、先日、新聞社の取材に答えた。

「ピッコロシアターは、『青少年創造劇場』なので、色んなジャンルの公演をされています。その中に狂言もある。能楽堂にはまだ馴染みがなくても、慣れ親しんだ劇場で気軽に狂言を楽しんでもらえたら」と抱負を語る隆司さん。

ピッコロでは、1981年から「狂言名作シリーズ」として、善竹忠一郎さんの善竹会による狂言会を開催してきた。2004年からは、長男の隆司さんの『狂言てなぁに?』という解説もつけ、初心者や子どもにも親しみやすい内容になった。今年は、狂言「千鳥」「宗論(しゅうろん)」を上演する。

(左)「宗論」より 善竹隆司さん (右)「千鳥」より 善竹隆平さん

善竹兄弟の魅力は、名前の「竹」の如く、真っ直ぐさとしなやかさだと私は思っている。そんな兄弟自らが企画し、大阪能楽会館で開催される「善竹兄弟狂言会」は、今年9回目。東京でも公演されるなど若い人にも人気が定着してきた。その成果が認められ、今年8月、隆司さん・隆平さんに「平成23年度大阪文化祭賞」が贈られた。今後ますますの活躍が期待される。

(左から)隆平さん、隆司さん

実は、隆司さんは、公立文化施設としては国内で初めて開設された「ピッコロ舞台技術学校」の第1期生でもある。兵庫県立宝塚北高校の演劇科卒業後、能楽の修行の世界に身をおきながら、1992年度の1年間を舞台音響コースで学んだ。

当時の思い出を、ピッコロシアターの機関紙「into」19号に寄せている。

『(中略)第一線で活躍されている講師の方々の現場でのお話や、手作りで効果音を作り上げる手法など、とても興味深い授業でした。(中略)

私の勤める狂言は、能舞台で上演し、効果も全て役者自身が擬音で表現します。しかし、この学校で舞台技術の基本的な考え方を学べたのは、能楽堂を離れて狂言を上演する時に、非常に有意義であり私の糧となっております』

音に対する感覚を磨いたことが、音を使わない狂言の表現に生かされているとしたら、興味深い。

そしてこの学校で、隆司さんは高校時代の同級生・三戸俊徳さん(37)と偶然再会する。高校時代、二人は放送部に所属し、三戸さんが部長、隆司さんが副部長だったとか。三戸さんは、宝塚北高校普通科を卒業後、大学1年生の時、「ピッコロ舞台技術学校」に入学。大学卒業後、(財)宝塚市文化振興財団に入り、現在、宝塚のソリオホール館長を勤める。実は私とも旧知の仲で、“情報交換”と称しては杯を交わすことも。仕事でも、何度かピンチを救ってもらった頼りになる存在だ。


「ピッコロ舞台技術学校」でさらに親交を深めた二人は、それぞれのフィールドで活動しながら、やがて仕事でもタッグを組み新しい試みに挑戦する。

2008年、宝塚ゆかりの漫画家・手塚治虫生誕80周年記念企画として「宝塚発~手塚漫画×善竹狂言『勘当息子』」をソリオホールで上演したのだ。手塚の名作「ブラック・ジャック」から新作狂言を生み出すという画期的な企画で、メディアにも大きく取り上げられ話題となった。

隆司さん演じる老いた母と、隆平さん演じる黒医師(ブラック・ジャック)。親子の情愛がしみじみと伝わる感動的な舞台であった。この企画は好評を博し、翌年にも新作狂言「老人と木」が上演された。

『勘当息子』より (右)善竹隆平さん (中央)善竹隆司さん(左)善竹大二郎さん

(提供=財団法人宝塚市文化振興財団)

隆司さん、三戸さんらの第1期生から数えて、「ピッコロ舞台技術学校」は今年、第19期生を迎えた。卒業生はのべ580名。

ピッコロで学び、色々な分野で活動する人を見るのは嬉しい。様々な人のつながり。それこそが劇場の大きな財産だと思う。

ピッコロ実技教室「ちゃっと!狂言」で講師を勤める善竹隆司さん(右)と隆平さん(左)

                                        (業務部 古川知可子)


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