今日のピッコロ

ピッコロシアター、県立ピッコロ劇団、ピッコロ演劇学校・舞台技術学校などのニュースや、日々の活動をご紹介します。

ピッコロ Side Story (8) 『読んでから観る?観てから読む?』

2014年05月14日 | piccolo side story

 “本のコンシェルジュ”という言葉をご存知ですか? 

コンシェルジュは、もともと仏語で、アパートの管理人などを指すそうだが、現在では、ホテルなどで宿泊客の様々な相談や要望に応える職業として定着している。

 今年2月、兵庫県立ピッコロ劇団の『お家さん』(兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)上演にあわせて、県立芸術文化センターの展示コーナーで開催した企画展「鈴木商店が残したもの」で、この“本のコンシェルジュ”が大活躍、『お家さん』の世界をより深める案内役として好評を博した。

 “本のコンシェルジュ”は、兵庫県立図書館(明石市)が始めた司書の派遣事業で、上記企画展では、芝居の題材となった鈴木商店や主人公の鈴木よねに関する図書館所蔵の書籍や資料などを展示、解説を加えたり、見学者からの質問に答えた。

 

鈴木商店の女主人・鈴木よねの歌集「波のおと」「鈴乃音」、鈴木商店大番頭の評伝「金子直吉伝」「柳田富士松伝」など、貴重な本も。

 

 公演会場で、3日間にわたりコンシェルジュを務めた県立図書館利用サービス課の次田早智子さんは、「本のコンシェルジュは、今回が初めての取り組みだったので、『いったい何が起こるだろうか』と、期待と不安が入り混じった気持ちでした。当日は超満員。展示スペースの中で身動きが取れなくなることも。普段はなかなか目に触れることがない本を、多くの方に見ていただける良い機会になりました。鈴木商店の子孫にあたる方とお会いするなど、私自身も図書館ではあまりできない体験をさせていただきました。」と、感想を話してくれた。

 

本のコンシェルジュを務めた次田早智子さん

 

 ピッコロシアターでは平成23年から、県立図書館との連携企画展を開催してきた。上演演目にあわせて図書館がテーマを設け、関連図書や所蔵品の中から普段は開架されていない貴重な資料などを館内展示するもので、当シアターからも公演チラシ・パンフレット・企画書・台本・舞台写真・演出家コメントなどを提供している。図書館と劇場が手を組み、文学から演劇、演劇から文学へ、ファンの相互交流を目指す取り組みだ。

 これまでの企画展の一部をご紹介すると…

『源氏物語~末摘花を中心に』 『開高健の世界』『近松門左衛門と浄瑠璃』『中島敦「山月記」を読む』などが挙げられる。

また、ピッコロ劇団員の島守辰明が講師となり、『時空を超えたドラマ~近松とチェーホフ~』『シェイクスピアの旅~世界で変貌する物語~』などの講座も行った。

 

島守辰明の講座には、高校の演劇部員や地元の図書館利用者が多く参加した。

 

県立図書館に続き、地元尼崎の市立中央図書館とも連携企画を行った。きっかけは、その年、「スーホの白い馬」など、国語の教科書でもお馴染みの物語を原作とした舞台上演が重なったことだ。同図書館に相談すると、過去から現在までの市内小中高校で使われた教科書や原作本を熱心に集めて下さり、「教科書の中の物語と演劇」展が実現した。授業で出会った物語をあらためて読んでもらおう、さらに、その世界を俳優の肉体で表現する演劇でも味わってもらおう、というユニークな企画となった。

 

尼崎市立中央図書館での「教科書の中の物語と演劇」展示の様子

 

 現在、県立図書館では、5月16日から始まる図書展示「九鬼一族の系譜~九鬼嘉隆から白洲次郎まで~」の準備が進められている。今回は、ピッコロ劇団公演『海を走れば、それは焰……――九鬼一族流史――』(6月6日から15日まで、ピッコロシアター大ホール)にあわせて開催されるもので、「明治を生きた三人の九鬼さん」「九鬼史料」「織田水軍・九鬼一族」など、実在した九鬼一族の歴史や、ゆかりの人物を紹介する珍しい書籍が展示される。公演期間中は、展示物の一部をピッコロシアター大ホールでも披露し、6月7日は、今回も次田さんが“本のコンシェルジュ”を務める予定だ。

『海賊~』は、日本を代表する劇作家・清水邦夫が、兵庫県を舞台に、戦国時代に活躍した九鬼水軍の末裔の生き様を、史実と幻想を交錯させて描いたロマンあふれる歴史ドラマだ。

演劇・文学・歴史など、多彩なジャンルの愛好家が劇場で出会うことを楽しみにしている。

 

公演チラシ

図書展示チラシ

 (ピッコロシアター広報 古川知可子)

 


ピッコロ Side Story (7)ピッコロ演劇学校開設30周年

2013年03月31日 | piccolo side story

3月9・10日、ピッコロシアター大ホールで、「ピッコロ演劇学校・舞台技術学校」の平成24年度合同卒業公演が行われた。

演劇学校一年目の本科生36名、二年目以上の研究科生27名、舞台技術学校生18名、計81名が一年の過程の成果を披露し、生き生きとした舞台を創りあげた。

演劇学校本科30期生・舞台技術学校21期生卒業公演「この空の下」(台本・演出=本田千恵子)

演劇学校研究科29期生卒業公演「新天地へ~ある移民の物語~」(台本・演出=島守辰明)

終演後に行われた修了式では、学校長の井戸敏三兵庫県知事が修了証書を授与するとともに、『人の世のひとコマでさえドラマあり舞台空間心動かす』と、恒例の一句を詠み、門出を祝った。

修了式で井戸敏三校長(左)から修了証書を授与される

「ピッコロ演劇学校」は、今から30年前の1983年に開設された。全国の公立文化施設では初めて演劇を学べる場として、また、劇作家の別役実氏、山崎正和氏、女優の岸田今日子氏など、一流の演劇人が講師ということもあって、大いに注目された。

今年、第30期生卒業という節目の年を迎えたが、第1期生の卒業公演はどんな様子だったのだろうか?


『本読みに熱込る卒業公演目指し練習』(1984年1月20日毎日新聞)
『人間の愛と憎しみ描く「人質追走」』(1984年3月14日産経新聞)
『「人質追走」を熱演一期生が卒業公演』(1984年3月18日神戸新聞)と、各紙が大きく取り上げた。

開設当時から主任講師を務めた故秋浜悟史先生(劇作家・演出家・大阪大学教授・兵庫県立ピッコロ劇団初代代表)は、「一年間教えてきて、生徒が真面目なのに驚いた。(中略)急速に演技力が伸びた高校の演劇部員などもおり、全体的にレベルは高い。」(1984年2月8日毎日新聞)と語っていて、生徒はもちろん講師陣の意気込みも伝わってくる。

演劇学校1期生卒業公演「人質追走」(台本・演出=秋浜悟史)1984年3月17・18日


先週27~29日、甲子園球場で高校球児による熱戦が繰り広げられていた頃、ピッコロシアター中ホールでは、恒例の「兵庫県高等学校演劇研究会阪神支部春期発表会」が開催され、地元高校の演劇部員たちが熱演を見せていた。賑やかな高校生の中に、県立伊丹西高校演劇部顧問の五ノ井幹也先生(48)を見つけた。高校演劇の全国大会にも出場経験を持つ指導力で、各校顧問のリーダー的存在の五ノ井先生。実は、「ピッコロ演劇学校」の第1期生でもある。当時の様子を聞いてみた。

「同期生は個性が強く不良も多かったが、芝居となると結束は固かった」とか。ピッコロで学んだことは?という質問には、「たくさんあって…」としばらく考え、「『面白くないことはしちゃいけない』ということを、秋浜先生から教わりました」と答えてくれた。大学入学と同時にピッコロで学び始め、無から有を生み出す芝居の面白さ、創造の楽しさに魅せられたという。

生徒から「ゴンちゃん」と呼ばれ慕われる五ノ井先生の指導の秘訣は?「今しか創れない、このメンバーでしか創れない尖ったものを創ること。身体の1/3はピッコロ演劇学校で出来ていますから」と笑顔を見せた。

プロの舞台人への道も模索したが、母校の演劇部員たちの成長ぶりに心打たれ、「これを一生の仕事に」と、若者に芝居の魅力を伝えられる教師の道を選んだ。普段は物理の教鞭をとる。

 

五ノ井幹也さん

そんな五ノ井先生を生徒はどう見ていたのか?元伊丹西高校演劇部部長の宮川亜沙さん(24)は、「セリフ一つでも『自分ではどう思う?』と訊いてくれた。ゴンちゃんは、私たちの考えを尊重して、応援してくれる仲間みたいな存在」と話す。先日、先生を囲む元演劇部員たちの会が開かれた。「ゴンちゃんの教えた演劇部員数を数えたら109人でした。その内75人が集まったんですよ」と、宮川さんは誇らしげに語った。演劇部らしく、歌や芝居などの出し物で大いに盛り上がったそうだ。

「ピッコロ演劇学校・舞台技術学校」両校の卒業生は、のべ2000人を超えた。演劇のプロや地域の文化リーダーなど、卒業生のその後は様々だ。“ピッコロ”とは、イタリア語で“小さい”という意味だが、小さな学校が積み重ねたものは決して小さくはない。新たな31年目へ。来月4月26日には、平成25年度生を迎える。

(ピッコロシアター 広報 古川知可子)


ピッコロ Side Story(6) ピッコロ劇団と近松門左衛門

2012年07月27日 | piccolo side story

“東洋のシェイクスピア“とも称される近松門左衛門。ピッコロ劇団の本拠地・尼崎は、近松ゆかりの地でもある。

市内の広済寺にお墓があり、隣接する近松記念館には愛用の文机も残されている。

近松公園内にある近松門左衛門像

今年6月、ピッコロ劇団は近松門左衛門の「博多小女郎波枕」を上演した。もともと人形浄瑠璃として書かれたが、現在では一部が歌舞伎で上演されるのみで、現代劇としての上演は珍しい。心中物で知られる近松が、悲恋の恋人を心中させない異色の作品を、演出家・鐘下辰男さんの大胆な脚色と演出で、現代に甦らせた。

「博多小女郎波枕」舞台より

ピッコロ劇団では、これまでも近松作品やゆかりの作品を数々上演してきた。名作を現代に置き換えた「心中天網島」(1996年)、近松の青春時代を描いた「門 若き日の近松」(2009年)、近松戯曲賞(尼崎市主催)受賞作品「螢の光」(2011年)など。

「心中天網島」で主役の遊女・小春を演じた平井久美子は、「台本に『この売女!』というセリフがあって、県立劇団として相応しくないのでは?という議論もあったのですよ」と、当時のエピソードを明かしてくれた。平井は今回の「博多―」でも、主役の遊女・小女郎を演じた。愛に殉じて心中してゆく小春とは対照的な、生きることに貪欲な女性をくっきりと造形した。

「博多小女郎波枕」(左から)岡田力・平井久美子

そんな平井を客席から感慨深く観ていた人がいる。神戸新聞社社会部の長沼隆之さんだ。1994年のピッコロ劇団設立と時を同じくして文化部の演劇担当となり、誕生したばかりのピッコロ劇団をよく取材して下さった。現在も、劇団公演を観続けてくれている。当時、長沼さんの書いたピッコロ劇団の「心中天網島」の劇評が残っている。

≪(中略)劇団員は軒並みスマートに演じていた。それだけに、平均年齢の若い劇団員には酷だが、個性の乏しさがあらためて浮き彫りに。心中物に潜む情念や色香、退廃、美意識が伝わりにくく、目いっぱい背伸びした演技ぶりだけが印象に残った。(中略)≫と、なかなか手厳しい。

長沼さんは当時を振り返り、「全国初の県立劇団に愛着がありましたし、良くなって欲しいという気持ちから、あえて厳しいことも書きました。」と、劇団への思い入れを話してくれた。
そんな長沼さんに、今回の「博多―」はどのように映ったのだろう。感想を聞いてみた。

「圧倒されて、終演後、言葉が出ませんでした。とにかく目の前の舞台に引き込まれました。平井さんや孫さん(孫高宏)創立メンバーの貫禄も感じましたし、俳優の層も厚くなりましたね。」と、興奮した様子で語ってくれ、後日、「生の演劇に改めて感動しました」とメールが届いた。

「博多小女郎波枕」(右端:孫高宏)

20代の俳優中心に20名でスタートしたピッコロ劇団も、現在、20代から50代まで34名が活動する。創立から18年、様々な作品や演出家との出会いが、俳優として、劇団としての幅や奥行きとなり、また、重ねた人生経験が、より豊かな表現へと成長してきたのかもしれない。

今回のような新たな近松作品に取り組むことも県立劇団の役割のひとつだが、地元の皆さんとの連携は必須だ。「近松応援団」「近松かたりべ会」、園田女子大学の「近松研究所」など、地元の愛好家や研究者の応援や協力はいつも心強い。
劇団の成長を見守り、叱咤激励してくれるピッコロサポートクラブや地域の皆さん、また、長沼さんのような存在も大きな支えだ。

アンケートに「生と死のリアリティーが強烈な衝撃として迫ってきた。感動」(40代・男性)という感想をいただいた。
隠れた名作を掘り起こし、人間ドラマの醍醐味を伝え、近松の世界をさらに深めることに繋がっていたなら嬉しい。

文楽夏休み特別公演チラシ

国立文楽劇場(大阪市)では、今月7月21日から、近松作品の中でも最も高い人気を誇る「曽根崎心中」の上演が始まった。人間国宝・吉田蓑助さんが10年ぶりに遊女・お初を遣うのが話題だ。

人形と人間。それぞれの近松ワールドを見比べてみてはいかがでしょうか?

(業務部 古川知可子)


Piccolo Side Story <5> 2011年を振り返る

2011年12月28日 | piccolo side story

2011年のピッコロを一言で表現するとしたら“新しい出会い年〝だったと思う。
“出会い“をキーワードに2011年を振り返った。

<2月>関西の演劇人を結集した大型公演!

ピッコロシアターがプロデュースし、「天保十二年のシェイクスピア」(作=井上ひさし 演出=松本祐子)を県立芸術文化センター 阪急 中ホールで上演。ピッコロ劇団員に加え、関西で活躍する俳優陣総勢40名の大所帯でのスケール大きな公演。

個性的で魅力的な俳優達との出会いに劇団員も大いに刺激を受けた。

<6月>尼崎市と兵庫県の共同製作

 
尼崎市・(財)尼崎市総合文化センターとピッコロシアターが共同で制作・公演。第4回近松戯曲賞(尼崎市主催)を受賞した角ひろみさんの「螢の光」(作=角ひろみ 演出=深津篤史)をピッコロ劇団が上演。
 
実は、角さんは県立宝塚北高等学校演劇科の卒業生。卒業公演の会場はピッコロシアターの大ホールだった。そして、二十歳の記念には、中ホールで劇団芝居屋坂道ストアの公演を行った。あれから16年――。彼女の書いた戯曲が大ホールで上演された。これは新しい出会いというより、演劇の神様が下さった嬉しい再会劇だった。
 
<5月~>被災地との交流始まる

 
被災地からの要望を受け、『阪神・淡路大震災と兵庫県立ピッコロ劇団の活動記録』を被災地へ届けることから始まった交流は、8月、ピッコロ劇団員4名が仙台市を訪ね、子どもむけの演劇ワークショップを開催、地元のアーティストや演劇関係者と今後の演劇を通した支援や交流の方法を話し合うことへつながった。
 
9月には、震災で活動の場をなくした仙台から招いたSENDAI座☆プロジェクトをが、中ホールで「十二人の怒れる男」を上演。熱演・好演に満員の客席から大きな反響があり、来年の来演も決まった。
 
被災しながらも懸命に表現する彼らとの出会いは、あらためて地域で演劇を創ることや演劇の力を考え直す機会になった。
 
<10月>中学生2500人がピッコロ劇団を観劇
 
前回のPiccolo  Side Story<4>でも詳しくご紹介したが、県内の中学生のための演劇鑑賞事業「わくわくステージ」で、13校、約2500人の中学生が、ピッコロ劇団公演「しんしゃく源氏物語」(作=榊原政常 演出=白組・眞山直則 紅組・吉村祐樹)を鑑賞。新しい未来の観客との出会いになったと大いに期待したい。
 
<12月>ピッコロ劇団ファミリー劇場に子ども24人が出演

 
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールで上演したピッコロ劇団ファミリー劇場「扉のむこうの物語」(原作=岡田淳 台本=つげくわえ 演出=平井久美子)には、オーディションで選ばれた小学2~中学3年までの24人の子どもが出演。
 
演出の平井久美子(ピッコロ劇団)によると、子ども達の出演場面は本人たちの意見も取り入れ、一緒にシーンづくりをしたとか。歌・ダンスだけでなく、芝居の楽しさも感じてもらえただろうか。
 
その他にも、ここには書ききれない多くの出会いがあったが、なにより、多くの新しいお客様との出会いが一番であることは言うまでもない。
 
2011年、ピッコロシアター・ピッコロ劇団を応援して下さった皆様、ありがとうございました。
 
そして、まだピッコロを「知らない」「見たことない」「行ったことない」という多くの皆さま、来年はぜひ、出会いましょう!
 
2012年希望の年へ。演劇の力が少しでも発揮できることを願って――。
 
(業務部 古川知可子)


ピッコロSide Story(4) 中学生と劇場

2011年11月23日 | piccolo side story

今秋、ピッコロシアターには兵庫県内から多くの中学生たちがやってきた。

本格的な劇場で、生の演劇に触れてもらう中学生のための鑑賞事業『ピッコロわくわくステージ』が今年度から本格スタート。10月の県立ピッコロ劇団公演「しんしゃく源氏物語」(作=榊原政常)を13校の約2,600人が鑑賞した。



★終演後、演出家と舞台監督が舞台の仕組みなどを解説。(左より)紅組演出:吉村祐樹・舞台監督:鈴木田竜二


「しんしゃく~」は、光源氏を待ち続ける一途で(ブサイクな)お姫様・末摘花と女官たちの、おかしくてちょっぴり切ない恋物語で、ピッコロ劇団の若い二人の演出家・吉村祐樹(33)と眞山直則(35)が紅組と白組に分かれ、それぞれ個性的な舞台を創りあげた。

開演とともに場内が暗くなると「わ~っ」と歓声が上がり、音楽が流れると拍手が鳴る。難しい年代と思っていた中学生たちの新鮮な反応に、驚くやらホッとするやら。

★紅組公演 (左より)森万紀・平井久美子・山田裕

★白組公演 (左より)濱大介・孫高宏・今井佐知子・森好文


生徒たちのアンケートを読むと・・・

「初めて劇場で観て迫力があった」

「俳優の声が遠くまで響いて格好いい」

「とてもリアルで不思議な気分になった」など、生身の人間の表現に素直に驚いた様子が伝わってくる。

終演後、舞台に登場した白組演出の眞山は「スタッフ・キャストだけで舞台は成立しません。最後は皆さんの想像力が大事」と、役者と観客が空間を共有しながら、観客の自由な想像力で完成される演劇の本質に触れた。そんな解説に「劇を成功させようとする色んな人の努力が見えた」という生徒も。


9月の「トライやる・ウィーク」(※注)で「しんしゃく~」の稽古を見学した、尼崎市立南武庫之荘中学校の女子生徒二人も家族と観に来てくれ、「稽古の時より面白かった」、「始まりや終わりの所がきれいでよかった」と笑顔で話してくれた。

★「トライやる」で中学生が制作した「しんしゃく源氏物語」のポスターを公演会場で展示。


ピッコロでは「トライやる」で年間約20人の生徒を受け入れる。期間中、可能な限りピッコロ劇団の稽古を見学してもらう。プロの俳優たちの真剣な表情や息遣いに触れてもうことが将来の演劇ファンにつながれば、演劇でなくてもいい、何か将来のヒントになれば、と期待するからだ。

それは、演劇少女だった自らの体験からもきている。入学した中学校に演劇部がなく、一人で創部、部員が一人増え、ようやく宮沢賢治の「注文の多い料理店」を二人芝居にして上演した。手探りの部活を支えたのは、当時観たプロの舞台の感動だった。女優に憧れた時期もあったが、演劇が役者だけでなく様々な人によって成り立っていることを知り、今の劇場の仕事へとつながった。

 

今月の「トライやる」では、8名の中学生がピッコロ劇団員の中川義文(32)による演劇ワークショップを受けた。演劇の要素を取り入れたゲームでコミュニケーションを深め、最後は2人一組で短いワンシーンを創って演じた。4組それぞれが違う表現を見つけているのが面白かった。集団で何かを創造する大変さと、楽しさを感じてくれただろうか。

★演劇ワークショップを受ける中学生たち

様々な人が集まり、色んな考え方をぶつけ合い、すり合わせながら創造する空間。そんな人間ドラマ渦巻く劇場の空気をめいっぱい吸い込んで欲しい。そう、劇場はオモシロイのだ!

                                           (業務部 古川知可子)

※「トライやる・ウィーク」

阪神・淡路大震災と神戸連続児童殺傷事件を機に、地域活動を通して“生きる力”を実感してもらおうと、県内の中学2年生を対象に実施されている職場体験事業。略称「トライやる」


ピッコロSide Story(3) SENDAI座☆プロジェクト公演

2011年09月29日 | piccolo side story

杜の都・仙台は、演劇の都でもある。 

仙台市は1997年から『劇都仙台』を掲げ、様々な画期的な演劇事業を展開してきた。しかし、震災後、市内の多くの劇場・劇団が被災し、公演が難しい状況にある。

そんな仙台から、SENDAI座☆プロジェクトを招き、9月23・24日にピッコロシアター中ホールで「十二人の怒れる男」(作=レジナルド・ローズ 新翻訳=宮島春彦 演出=伊藤み弥)の上演が実現した。12人の陪審員が少年の犯罪を裁くハリウッド映画の名作としても知られる法廷劇だ。

なにもない空間に、役者たちが舞台装置の会議テーブルとパイプ椅子を運び込むところから芝居は始まった。シンプルな空間は「何もなくなっても芝居を立ち上げるのだ」という強い意志表示に感じられた。役者同士がぶつかり合うような迫力あるやりとりに、観客はぐいぐいと惹きつけられ、濃密な2時間10分が終演。深々と頭を下げる男たちに客席から熱い拍手がおくられた。

中央:陪審員第8号役の樋渡宏嗣さん

 

初日のカーテンコールで、SENDAI座☆プロジェクト代表の樋渡宏嗣さんは「言葉になりません」と声を詰まらせた。同じく代表の渡部ギュウさんが「やっとここまできました。普通に芝居ができる幸せを感じています」と挨拶すると、再び大きな拍手が沸き起こった。

「これだけ力のある役者がいることを知って、東北とのつながりを持てた思いがする。こういった状況でも演劇や文化は力を持つのだと思えた」(40代・男性)

「今を生きる私たちに何か強烈なものを訴えかけてくれた」(60代・男性)

「とても感動した。たくさん考えるきっかけをいただいた。“観る“という形で東北の支援につながるのは素晴らしいこと」(女性)などなど、観客から多くの感想が寄せられた。

作品の良さはもちろん、男たちそれぞれの魅力を引き出した演出、生き生きと演じる個性的な俳優たち、傷つきながらも懸命に創造しようとする、人間の根源的な姿に共感と感動が広がったように思う。


(左から)ピッコロ劇団員の孫高宏、渡部ギュウさん、伊藤み弥さん

23日終演後のアフタートークで、演出の伊藤み弥さんは「役者だけでどこまで空間を造れるか、人がいれば何とかなる!という実験をした」と、演出意図を語った。

伊藤さんは、震災を機に結成された『ARC>T』(アートリバイバルコネクション東北:仙台の演劇人が中心となってアートによる東北復興を目指す団体)のメンバーでもある。「ピッコロ劇団さんの阪神・淡路大震災での『被災地激励活動』の記録誌を読んだ。被災地で何かできないかと考えていた私たちの教科書になった。震災を経験した兵庫の皆さんが、こうして元気に芝居を観に来ていることが、私たちの励みになります」と話した。

『阪神・淡路大震災と兵庫県立ピッコロ劇団の活動記録』

先月8月19~21日、ピッコロ劇団員の亀井妙子・本田千恵子・森万紀・山田裕の4名と劇団職員が仙台を訪ねた。仙台市内の児童館で子ども向けの演劇ワークショップを行い、『ARC>T』のメンバーや地元の演劇関係者と被災地の子どもたちに届ける演劇プログラムを検討し、今後の協働の展望について話し合った。

仙台市太白区・大野田児童館でのワークショップ

今回、東北で活動する演劇人のパワーに出会えたことは、同じ地方都市で創作する私たちの励みにもなり、大いに刺激される貴重な体験となった。大震災を経験し、あらためて「演劇の力」を見つめ直した仲間同士として、これからも学び合い、刺激し合い、連携と交流を深めてゆきたい。  

                                                                        (業務部 古川知可子)

 


ピッコロ Side Story(2) 大蔵流狂言方 善竹隆司さん・隆平さん

2011年09月06日 | piccolo side story

「狂言をご覧になる若い人が増えてきて嬉しい」と話すのは、大蔵流狂言方の善竹隆司さん(38)と隆平さん(33)兄弟。9月10日に大ホールで開催する「ピッコロ狂言会」にむけて、先日、新聞社の取材に答えた。

「ピッコロシアターは、『青少年創造劇場』なので、色んなジャンルの公演をされています。その中に狂言もある。能楽堂にはまだ馴染みがなくても、慣れ親しんだ劇場で気軽に狂言を楽しんでもらえたら」と抱負を語る隆司さん。

ピッコロでは、1981年から「狂言名作シリーズ」として、善竹忠一郎さんの善竹会による狂言会を開催してきた。2004年からは、長男の隆司さんの『狂言てなぁに?』という解説もつけ、初心者や子どもにも親しみやすい内容になった。今年は、狂言「千鳥」「宗論(しゅうろん)」を上演する。

(左)「宗論」より 善竹隆司さん (右)「千鳥」より 善竹隆平さん

善竹兄弟の魅力は、名前の「竹」の如く、真っ直ぐさとしなやかさだと私は思っている。そんな兄弟自らが企画し、大阪能楽会館で開催される「善竹兄弟狂言会」は、今年9回目。東京でも公演されるなど若い人にも人気が定着してきた。その成果が認められ、今年8月、隆司さん・隆平さんに「平成23年度大阪文化祭賞」が贈られた。今後ますますの活躍が期待される。

(左から)隆平さん、隆司さん

実は、隆司さんは、公立文化施設としては国内で初めて開設された「ピッコロ舞台技術学校」の第1期生でもある。兵庫県立宝塚北高校の演劇科卒業後、能楽の修行の世界に身をおきながら、1992年度の1年間を舞台音響コースで学んだ。

当時の思い出を、ピッコロシアターの機関紙「into」19号に寄せている。

『(中略)第一線で活躍されている講師の方々の現場でのお話や、手作りで効果音を作り上げる手法など、とても興味深い授業でした。(中略)

私の勤める狂言は、能舞台で上演し、効果も全て役者自身が擬音で表現します。しかし、この学校で舞台技術の基本的な考え方を学べたのは、能楽堂を離れて狂言を上演する時に、非常に有意義であり私の糧となっております』

音に対する感覚を磨いたことが、音を使わない狂言の表現に生かされているとしたら、興味深い。

そしてこの学校で、隆司さんは高校時代の同級生・三戸俊徳さん(37)と偶然再会する。高校時代、二人は放送部に所属し、三戸さんが部長、隆司さんが副部長だったとか。三戸さんは、宝塚北高校普通科を卒業後、大学1年生の時、「ピッコロ舞台技術学校」に入学。大学卒業後、(財)宝塚市文化振興財団に入り、現在、宝塚のソリオホール館長を勤める。実は私とも旧知の仲で、“情報交換”と称しては杯を交わすことも。仕事でも、何度かピンチを救ってもらった頼りになる存在だ。


「ピッコロ舞台技術学校」でさらに親交を深めた二人は、それぞれのフィールドで活動しながら、やがて仕事でもタッグを組み新しい試みに挑戦する。

2008年、宝塚ゆかりの漫画家・手塚治虫生誕80周年記念企画として「宝塚発~手塚漫画×善竹狂言『勘当息子』」をソリオホールで上演したのだ。手塚の名作「ブラック・ジャック」から新作狂言を生み出すという画期的な企画で、メディアにも大きく取り上げられ話題となった。

隆司さん演じる老いた母と、隆平さん演じる黒医師(ブラック・ジャック)。親子の情愛がしみじみと伝わる感動的な舞台であった。この企画は好評を博し、翌年にも新作狂言「老人と木」が上演された。

『勘当息子』より (右)善竹隆平さん (中央)善竹隆司さん(左)善竹大二郎さん

(提供=財団法人宝塚市文化振興財団)

隆司さん、三戸さんらの第1期生から数えて、「ピッコロ舞台技術学校」は今年、第19期生を迎えた。卒業生はのべ580名。

ピッコロで学び、色々な分野で活動する人を見るのは嬉しい。様々な人のつながり。それこそが劇場の大きな財産だと思う。

ピッコロ実技教室「ちゃっと!狂言」で講師を勤める善竹隆司さん(右)と隆平さん(左)

                                        (業務部 古川知可子)


ピッコロ Side Story(1) ピッコロシアター開館33周年

2011年08月19日 | piccolo side story

8月19日はピッコロシアターの開館記念日。今日で33周年を迎えた。阪神工業地帯の中心・尼崎にピッコロシアターが誕生したのは1978年。

職場演劇が盛んだった当時、地元の若者たちの意見を劇場建設や運営に取り入れようと、設立構想委員会には青年の代表者が多く加わった。「多目的なものは何にも不十分になる」「ライブラリー的なものをつくり、活動の推進材料としておけないか」「客席は400~500程度で、ステージの3倍以上の舞台袖を作る」などなど、様々な意見が出され、こうした声を踏まえ、『観る』ことより『演じる』ことに主眼を置いた画期的な劇場機構が実現した。

今年6月、神戸でのある集まりで、「私、ピッコロシアターを作ったんですよ」と声をかけられた。京都橘大学都市環境デザイン学科教授の竹山清明さんだった。

今まで「ピッコロ演劇学校OBです」や「ピッコロフェスティバルに出たことあります」という人には時々出会うが、「作った人」に会ったのは初めて。当時のことを聞いてみたい!と興奮した。

竹山さんは1968年兵庫県庁に入り、営繕課でピッコロの設計に携わったという。ピッコロには大学の建築学科の学生たちがフィールドワークに訪れたり、前衛的でモダンな外観と自由度の高い空間に、視察した方から「どなたの設計ですか?」と質問されることがある。

県の営繕課の設計であると答えると一様に驚かれる。

そんなことを竹山さんに伝えると、「いやー、当時の営繕課には僕らのような若手も自由に意見が言える雰囲気があったんですよ。高名な専門家からの変更案に、それでは演劇専門劇場にはふさわしくないと現プランを提案したのです。

開館前日は山根さん(故山根淑子前館長)と劇場で徹夜しましたよ。」とにこやかに話してくださった。「よくぞ使いやすい人間サイズの空間を!」と思わず感謝を述べた。

そんなピッコロ誕生の秘話を、開館当初からの職員にも聞いてみた。

「劇場入りしたのは8月1日。何もない事務所の床に電話がポツンと置かれていて、机を運び入れるところから始めた。」と、驚きのエピソードが。開館まで19日という短期間でオープニングにこぎつけた当時のスタッフや陣頭指揮をとった山根前館長の奮闘ぶりにあらためて驚く。

★開館記念式典であいさつする坂井時忠知事(当時)=1978年8月19日


「青少年の自由な創造活動を推進する」という劇場のコンセプトは、多くの先人たちから受け継がれ、今も劇場の隅々に息づいている。開館記念日の今日も、劇場内は多くの若者たちで賑わっている。

★今年のピッコロフェスティバル≪中高校演劇の部≫より 

大ホールでは、ピッコロフェスティバル≪中高校演劇の部≫が始まり、地元の演劇部が次々と熱演を披露している。中ホールでは、≪大学一般の部≫として地元劇団がミュージカルを上演、劇場向かいの県立ピッコロ劇団の稽古場では、秋に小学校を巡演する「銀河鉄道の夜」の稽古中だ。そして、今日、劇団の別部隊は東北へと旅立って行った。16年前の阪神淡路大震災で、ピッコロ劇団は避難所の子どもたちに歌や芝居を届ける「被災地激励活動」として約2ケ月で52か所を訪問した。そのノウハウを今度は東北に届け、地元の演劇人たちと協働で被災地の子どもたちを“演劇の力”で元気づける方策を探る旅だ。

開館34年目、演劇を通した息の長い被災地支援と交流が始まった。

★被災地激励活動で「ももたろう」を上演するピッコロ劇団員=1995年3月1日神戸市立明親小学校

(業務部 古川知可子)