大橋昭さんを偲んで
藤井隆幸
腰痛などで、阪神間道路問題ネットワーク(以後、「当ネット」と記す。)の月例会には、長らくお休みが続いていた大橋さんでした。今年(2018年)になってからだと記憶していますが、中皮腫が新たに見つかったと伝えられました。澤山世話人などと、一度見舞いにと話していた矢先でした。8月22日の訃報を聞き、心残りが重たいです。
当ネットには、準備会の初回から参加されておられます。澤山世話人も何度か『みちしるべ』に書かれておられるのですが、1995年5月25日に、かつて尼宝線沿いにあった砂場徹さん(当ネット初代代表)宅で、砂場・大橋・澤山・三橋の4氏と私が集まったのが初めてです。
故 砂場代表が体調不良などもあり、2004年3月27日の月例会で、大橋さんが代表世話人の任につかれました。以後、2009年4月5日の月例会まで務められましたが、やはり健康上の問題で退かれました。次の代表世話人は決めずに、事務局だけで現在も進行しています。最後に月例会に参加されたのも、2012年1月29日に甲子園口のポケットパークハウスで行われた時でした。
当ネットの交流誌『みちしるべ』には、合計32本の寄稿をされています。当然、代表であった期間は、年頭の辞を必ず書かれており、第30号の記念出版の際などの挨拶や、時々の時事について書かれておられます。
大橋さんは歴史について語られることが多く、「中国街道ぶらり記」などを書いておられます。しかしながら、歴史物の記事が案外少なく、その時々の社会情勢について書いておかねばと言う、任務意識が高かったものと思われます。
また昨今、DVD時代になり、相当数のVHSテープに映画を録画しておられたのが、無駄になったと嘆いておられました。が、そんな昔の映画に想いを馳せるなど、文化人的な側面も多かったようです。
インターネット接続可能な方は、「阪神道路ネット」「みちしるべ」で検索して頂くと、当ネットの交流誌のブログ版『みちしるべ』が出てきます。カテゴリーから「大橋昭」をクリックして頂ければ、大橋さんの総ての記事を読むことが出来ます。
今となっては、数々の想い出が残るのみですが、その内、冥土で再会するかもしれません。その時は、ゆっくりと語り合いたいものです。