『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』“汚染米”が問うもの**<2008.9. Vol.54>

2008年09月01日 | 大橋 昭

“汚染米”が問うもの

代表世話人 大橋 昭

 世間を騒がせる三笠フーズなる悪徳、拝金業者による汚染米の不正流通事件は、過去の米国産牛肉輸入事件を想起させ、日本の食管理行政がいかに甘く杜撰であるかを改めて暴露した。

 人は生命を維持し生きてゆくためには、毎日食物を摂取しなければならない。しかし、このところ「毒ギョーザ」や「メラミン」事件に続く汚染米の禍々しい事件の連続に、食の安全が揺らぎ生命の危機すら感じるなかで、一体何を信じ何を食べればよいのか、ふと疑心暗鬼に陥ってしまう。とりわけ汚染米が悪徳業者を経て学校、幼稚園から老人ホーム、病院、障害者施設へ無差別に流通したことは言語道断で、食の持つ重大さを無視した罪は万死に値する。幸い今のところ毒米の人体への影響なしと言われているが、役人たちの言い訳を信じるめでたい消費者はいないし、一連の犯罪的行為に監督、防止を怠り平然とデタラメな管理業務をして来た農水省の大臣から平役人たちに血税で飯を食べさせていることが空しい。

 役人と業者の癒着などは珍しいことではないが、許せないのは汚染米の流通を未然に防止せず、日常の管理点検を怠った職務怠慢だけではなく、業者への立ち入り検査前に事前通告するなどの失態を犯し、検査時の手抜きや見落としがまかり通る実態などは検査に値いしない。しかも事後の汚染米の処分の行方を点検せずカネさえ手にすればよしとする業者任せで、後は野となれ山となれの我関せずとする無責任な対応には開いた口が塞がらぬ。今回のような農水省汚染米事件や社会保験庁の年金改ざん、C型肝炎事故などの不祥事を引き起こし、助長する役所体質は同じであり、ここには憲法15条に掲げる「官僚や政治家は国民の利益を守る奉仕者である」ことを無視し、憲法遵守精神を蔑ろにし、何事にも事なかれ主義で臨み、自己保身と雀益確保を優先の官僚主義の当然の帰結が見られる。

 農水省は消費者への救済策を第一に考えるべき責務を忘れ、あろうことか件の汚染米で損害をこうむった業者への救済を云々し、消費者を置き去りにしようとしていることも許せない。今こそ、なぜこんな事態を招いたのかの徹底解明と政治家や官僚が隠しているすべての情部を開示させることが先決であり、それを通じて事件の全容解明を急ぎ事件を風化させないためにも、行政官僚の責任の所在を明確にしておくことが肝心だ。そもそもカネを出してまで汚染米(輸入米・ミニマムアクセス米)を買い、その安全管理をサボリ保管費が嵩むという理由から、経営モラルなき悪徳業者に放出した無謀は責められるべきであり、日本の「米」の安定供給に大きな役割りを果たしてきた「食糧管理法」を自由経済主義と規制緩和の名の下に撤廃に追い込み、それまで維持されてきた「米」の販売秩序を破壊した失政と今回の汚染米は無縁ではない。

 その一方で米価の安定化と称して滅反政策を強行し、多くの休耕田を発生させて貴重な自然環境をも破壊したことも見逃せない。

 こうした減反政策やミニマムアクセス米が日本の農家が作った安全な米の流通を妨げ、その間隙を縫うように汚染米の横行を許し、架空の伝票操作だけで1kg9円の汚染米が最終的に1kg370円に化けると言う、現代版「錬金術」を生む土壌を作った責任をだれに問えばいいのか。

 しかし今、汚染米事件の原因に根本的なメスを入れず、事件の反省とその対策を欠いたまま、主権者たる消費者抜きで新たに「消費者庁」設置なるものが、国会の政治的混迷に紛れ込んで画策されている。ここには一連の不祥事の責任を不問にし、消費者生活の安定に活かす視点を欠いたまま、狡智に長けた各省庁の官僚たちが失敗の教訓に学ばず、政治家や有識者を巻き込み、結局は自分たちの都合よい「天下り先」を作る意図が見え見えだ。そもそも官僚や政治家の作る法案など「ザル法」に等しく、自分たちの免罪用に作られるものといっても過言ではない。

 私たちは今回の汚染米事件の教訓を活かし、輸入食品をはじめすべて食品を対象とした安全への検査体制を早急に構築させ、検査結果の迅速な全面公開と消費者の参画のもとに悪徳業者の駆逐と厳罰化への法改正を要求し、併せて役人任せでなく消費者の目線から現行「食品衛生管理法」の不備を正すことに声をあげるときだ。

 周知のように国内の食糧生産を担うべき農村は、農業従事者の急激な高齢化と、後継者不足で田畑は荒廃し崩壊の危機に直面している。今こそ「食」の安全と安定供給のために地産地消を実践し、国の基盤である農業の活性化に向け、休耕田の活用で食糧自給率向上をめざし、人生に希望と生甲斐を求める若者たちにこの国の農業を担ってもらい、そのことにこそ血税は有効に使われるべきだ。

 農業従事者と消費者がこの国の農業ビジョンをどう創り上げてゆくのか。これまでのビジョンなき農業政策と食物輸入自由化政策に決別し、何よりも食糧自給率39%からの脱却を根本命題に据え、次世代の生存をも保障してゆく政策が求められている。

 地球温暖化による気候変動の影響が食料輸入に依存する私たちの前途に大きな影を落とす中で、今、私たちの生命を左右する食糧を初め「水」や「エネルギー」資源の枯渇にどう備えるのか。

 “汚染米”事件は主権者としてこの国の民主主義を問い直し、政界、財界、官僚支配の社会システムをどう変革して行くのか問いかけて止まない。

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