わたしの住民運動(10)
山幹の環境を守る市民の会
山本すまこ
平成7年11月1日より始めていた座り込みは、市当局が連休の間は測量には来ないとの約束で、休戦していた。そんな中、11月4日には恒例の町内清掃とやきいも大会を、東浦公園で開催した。しばしの息抜きでした。
11月6日より市との闘争が再び始まった。山手幹線道路をはさんで北側、南側それぞれ三カ所づつ、ポイントに2~3人づつ、みはり番を配置し、朝9時から夕方4時30分ごろまで座り込んだ。当番表も作った。こうなったらどこまでも戦うぞとの意気が盛り上がった。
町内の役員さん達も当番に加わってくれた。日頃、主婦として家事に時間を費やしていた奥様方も、毎日、山幹道路に出勤するという状況でした。こんな生活も今までない緊張感もあり、少なからず楽しい活動ではなかったかと思います。そんな中、地域内で新たなグループ、「いのちとくらしを守る会」を結成され、市に要望を出すとのこと。一つでも多くの人が、この事業に反対の意志を表すことは大事なこと。多いに歓迎です。若いお母さん方が中心であった。
市当局は11月に入ってから、一向に来る気配がない。新聞記者にそれとなく様子を伺うが、ニュースがない。しかし気を抜くことは出来ないので、当番表通り、毎日ポイントに座った。13日、臨時本会議というニュースがはいった。議題をしらべたが、山手幹線問題に関するものがない。座り込みの人数は減らしても大丈夫でしょうが、やはり各ポイントには……。市が動きそうにないので、チラシをつくって配ろうということになり、号外3を1000枚作った。瓦木小学校近辺の町内にも、初めて配った。甲子園口駅前でも配った。チラシには例の「我々には権力がある」との暴言発言を中心にした。記者の話では、山幹のことを聞こうとしても、市は逃げ回っているとのこと。座り込みをはじめたので、市も面食らっているのかな。
お天気がよければあったかく、横断幕もつくるのにも精がでた。ビューハイツに垂れ幕も作って取り付けた。才能のある人がいっぱいいた。このころ、お元気なS会長は、第二か第三かの職場が三木であったので、たまに出かけて行かれた。隣のYさん宅は立て直し中なので、神戸に仮住まいされていたので、毎日は無理であった。いつ来るか知れない市の行動を危ぶみながら、人手のないときに来たらそれはその時と、腹を据えざるを得なかった。毎日、情報集めや連絡、チラシ配りと、めまぐるしかった。例えば11/18、昨日はなにもなかったのに、歩道にスクーターが置かれている。一体誰が置いたのか?不審?想像力たくましく、ああでもない、こうでもないの議論に花がさく。11/20雨、午前11時で見張り番解散、午後二回みまわりをする。11/21午前、北側歩道を掃除する。午後、武庫川に簡易トイレが設置されたとのニュース。えらいこっちゃ、市がくるんかも、と。なんのことはない、神戸商業高校のマラソン大会の準備だそうな。ほっ!! またラジオでこの反対運動のことを聞いて、見に来られた男性。「なんでこんないいところを壊すのか」そうでしょう?全く。頑張ってくださいと帰って行かれた。ありがとうございます。わざわざ!と感謝。
毎日こんなふうに緊張したりほっとしたり、ー日一日がはやかった。それでも主婦の皆さんは、主婦業は怠らずにやっていました。えらい!!ずいぶん寒くなってきたので、いつまでやるん?12月に入ったら本会議がある。日程を調べないと。どうやら24日に出るらしい。まあ議会中は騒ぎが起こったら困るから、市も挑発するようなことはしないだろうと予測した。またY先生が市会議員全員にアンケートを発送して下さいました。返事はあまり期待は出来ないと思われるが、ちょっと議員へのいやがらせも含めて出した。
11月24日午後の当番をしていると、S会長が走ってきた。N局長から電話があり、話したいことがあるとのこと。何の話があるというのか。測量についてです。市に来いというのか。こちらにはそんな暇はない。用があるなら来たらどうか。何時ですか。3時ころですか、5時ころならもう暗いので、マンションの集会室でしたい。ただしこれは正式な交渉でも何でもない。今、交代で座り込みをしているのだから。幹部の人もいない。何人で来るのか。一人で行きます。ということで局長が5時に来るとの報告でした。
私は今、局長には会いたくないと強烈に思った。みんなこんなに頑張っているのに、トップと局長が会って変な方向へいきはしまいかと、内心、心配でした。しかし約束が出来てしまっているのだから、行ける人は全員行ったほうがよい。自分の耳で聞きたい人は皆行って下さいということで、30人あまり集まった。結局、局長とN課長補佐の二人が来た。
局長の話は、10月30日より測量に入らせてもらいましたが、想像以上に皆さんの団結が固いので、引かぎるを得ない状況になった。市としてはおなじトラブルは避けたいと思っている。この地域については、地上の測量を中断することを決めたというのである。測量は航空写真で図面化すると。ただし、地質についてはボーリング調査だけは4~5日で出来るのでさせて頂きたいと、一方的な話であった。
そして寒い中、路上で待機されていたのを、お気の毒と思っていたと。今回の調査の件で、皆さんと尚一層溝が大きくなったことと思っている。市としては、この事業はとりやめることは出来ないが、出来るだけ話し合いで解決したい。いずれ円満に話し合いで、事業を進めたい。市がごり押しでやることは避けたいと思う。
いうこととやっていることが違うんじゃないか?住民がいま座り込みをしているのは、この事業を中止してほしいと願ってやっていることなんだから。市がごり押しをしない。といいながら、いつも一方的に推し進めてきているのだから、市に対する不信感はつのるばかりである。
あとはいつも通りあちこちから、説明会をもっと広い範囲でていねいにしてほしい。先日、課長が約束をしたではないか。いや報告は受けてない。などと延々と繰り返しのやりとりであった。また、健康を害するか心配である。43号線のこと、はたまた外国の例なども出てきた。局長もそのような話は次回もっと時間をかけて……。と言うしかなかった。
結局、なんの話だった?という会で終わった。まあその程度の会で良かったと、胸をなでおろした。とはいえいつボーリング調査にやつてくるか。対策を考えないと。11月26日、集会をして打ち合わせを行う。日にちがないので27日月曜日あさ9時に、Sさんのマンション下で、急遽集会をした。代表幹事の主人は、仕事に行く前に、最初に話をしてというか、檄を飛ばして出勤して行った。24日の報告と市の思惑、連絡網の徹底や巡回の時間帯の練り直しなどを相談した。その日の午後、二見交番前の交差点あたりで、ハイヒールの女性が何か道路を計っているとの連絡が入った。なに?また写真をとっている男性がいる。えっ?すぐ局長に抗議の電話をする。夕方局長より返事があり、市の測量は巻尺など使いません。もっと精密な機械でするとさ。苦笑。
つまらないことでも抗議することは大事であると考える。市はいつも見張られていることを自覚するであろうから。もう一つの新しい会も少しづつ動き出していた。座り込みをする中で、いろんな意見がうわさとなり流れた。例えば強引に四車線にされるより、二車線で緑地帯をつけて手を打ったほうがよいのではとか。新しい会と反対の会とが、ちょっと目的が違うかのような、反対の会と一緒に座り込みをするのを避けようとするきらいも、みえかくれした。あくまでも環境が悪化することに反対の立場は同じであるはずなのに。誤解は早いうちに解いておくほうが望ましい。
11月30日、運動している住民向けにチラシを配った。今の段階で、いかなる妥協もすべきじゃないのでは、と。市民の会では今までに特定の議員に、この問題についての陳情など全面的には頼って来なかった。市が積極的に進めている都市計画を、ほぼ議会も全面的に了承しているのであるから、あてには出来ない話と割り切っていたのである。新しい会では市会、県会の議員と接触をもったが、やはり新しい情報も引き出せず、住民の援護には遠いものだった。
結局、会の中で意見が二分し、話がややこしくなってしまった。残念ながら住民運動の難しさを、お互いに痛切に感じ、学習する結果となった。12月4日朝、会長初め男性5名女性4名で市役所へ、12月1日付け土質調査の通告について、抗議の文書を出すとともに市長面談の要求に行った。昼前から二時すぎまで、秘書課の前でねばった。局長が何とか設定するからという言葉を信じ引き上げた。夕方、会長のところに電話があり12月8日朝10時に、市長が会うという返事がきた。
これは11月24日、突然やってきた局長との話をうけて、どうしても市長自らの回答を得るためであった。12月5日付け神戸新聞に、測量について河川敷では出来たとの記事がのり、局長が実質測量は断念せざるを得ないと言っていることと、裏腹なことに抗議するためでもあった。前日の12月7日、市長面談のための集会をした。25名集まった。代表していくものが、市長に何をいうかを相談した。12月8日当日は6名で市長に面談した。会長が今までの市のやり方の横暴さ、市民とのはなしあいによって理解を得たいと言いながら、良く説明もしないで前へ進めようとする市の姿勢を非難した。市長は最後に「皆さんが住んでおられる地域は住環境の良いところであるとわかっている」といいつつ、「この計画については理解してほしい」だった。いつもいつも変わり映えのしない話で終わった。期待もしていないが、いやがらせに来ているようなものだ。
12月10日、西宮市中央公民館で阪神間道路問題ネットワークの会合があった。平成7年5月25日、砂場さん宅にて最初の会があった、?らしい。私は確か、この回がはじめての出席であったと思う。毎月開催していたので、この回は第7回目となる。甲子園では8月6日、あの助役出席の日だった。いよいよ「阪神間道路問題ネットワーク」と名がついた、記念の開催となった。これからは月一回第三日曜日に会を持つこと。道路は絶対につけさせない。など確認しあって終わった。この日の参加者は15~6名に、議員さんまでと多かった。代表者については次回に決定ということになった。
地元の運動だけではなく、えらいことになってきたな。とにかく皆さんの知恵と力をもらって「がんばらなきゃならんですよ」。これって染原会長の口調ですよね。なつかしく、生前のお姿が目にうかびます。『染原さん?この結果「山本さん、それでいいですよ。」って言ってくれますか。』