信玄の本執筆が続いている。
本で使う写真など考えているが、どうしても入れたい被写体がいくつか。
岩殿城と岩櫃城である。
雑誌や映像で何度もみるたび「この城は凄いな」と思っている。
とにかくビジュアル的に難攻不落感が半端ないのがこのふたつ。
日本三大山城は「岩村城」「高取城」「備中松山城」というが城山がもの凄いのは武田ゆかりの二城だと思っている。
今日は念願の岩殿城に登城してみたい。
お供は125i、オープンカー日和でもある。
甲州街道をいつものように行き、大月駅の手前で北へ折れるとすぐに岩殿城の城山が威容をみせつけてくる。
巨大な岩肌が鏡石のように迫っている。
元々この山は修験道の修行場で城となったのは戦国時代のこと。
郡内を本拠とする小山田氏の持ち城となった。
小山田信茂は武田崩れの際、「岩殿城に落ちるべし」と説き、勝頼を招いて籠城するはずが笹子峠を閉ざして通さず、織田に追われる勝頼一行を袋小路に押し込めたことで悪名高い。
一面、北条領国と接する郡内を戦火から守ったという点では地元に貢献していることにはなる。
戦国時代は一貫して小山田の国だった訳で甲斐盆地の中で信玄公を畏敬する気分と一線を画しているのがおもしろい。
市民会館の駐車場をお借りし、登城口から本丸まで登っていく。
ほぼ登山の様相でこれまで登った山城の中でも一二というつらさ。
つまり攻城する側の視点に発てばこれほど攻めづらい城も珍しい。
城門などは巨石の隙間である。
ふうふうと本丸まで登っていくと眺めは壮観極まりない。
曇っているため富士山がみえないのが残念である。
勝頼はこの光景をみることかなわなかったことになるが、岩殿城に籠もっていても運命はしれていよう。
登城で体力を使い果たしてしまい、今日の取材はここだけで撤収。
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