コラム22回目は宇喜多秀家。
この人が海の想い出につながるのは八丈島のこと。
秀家は関ヶ原の合戦で敗れて囚われ流された。
以後50年、島で過ごして83才で死んだ。
秀家は秀吉に愛されて猶子となり秀吉の肝いりで前田利家の娘を正室とした。
豊臣政権を軍事で支える柱石に成長した秀家は若くして五大老に選ばれる。
もう少し政治の機微がわかる狡猾さをもっていたら前田利家の後を継いで秀頼の後見たり得たであろう。
秀家は関ケ原出陣諸将の中で最も長く生きた。
島に訪れる人を通じて豊臣家が滅び徳川政権が盤石となる過程を知っていただろう。
家康が死に、秀忠が死に、家光が死んだことも知っていた。
「長生きをする」
この点では秀家の完勝であったことをコラムの落としどころにした。
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