扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

津久井城址

2020年03月25日 | 城・城址・古戦場

取材に使うクルマを入れ替え春到来、本来は史跡巡りに取り掛かろうという頃である。

ところが新型コロナウィルスの流行がいよいよ日常生活を侵食し始め緊急事態宣言下に置かれることになった。

つまり「集まるな/移動するな/引き籠れ」ということで私のように走り回って情報をとるのが仕事の者には致命的な事態である。

いつ収まるか五里霧中、万が一の場合最後の取材になるかとも思いつつ家から近い津久井城に出かけてみた。

 

我が家から西へ40kmほど、うらうらの陽気の中、丹沢山系に近寄っていくと山地と平地のキワが津久井城。

北条氏は本拠小田原城から今川武田が侵攻してくる山岳地帯に堅固な出城群を配置した北方の要が鉢形城、武田の当方最前線を担う岩殿城小山田氏への抑えが鉢形城、小田原との中間地点が津久井城ということになる。

 

やってきてみれば緊急事態宣言などどこふく風、花見客で城址の公園は大盛況、なるほどちょうど満開である。

かつての城主内藤氏の菩提寺功雲寺によってから資料館のある駐車場に行くと大行列、山城に行って駐車待ちというのは花見シーズンならでは。

ダム側に回ってみてやっと駐車できたので北側から城山に登っていく。

 

比高は180mというから結構な高低差ではあるが勾配が急ではなく登山道として整備されているので登りやすい。

驚くのはハイキング姿の人々に混じってどう見ても花見客、かなり高齢のじいさんばあさんも登っていくこと。

「密」というほどでもないが人影が途切れることがない。

 

津久井城の縄張は山城の常道として頂上部を削平して曲輪を配し、尾根上を連絡通路とし堀切を造る。

特徴としては竪堀を幾筋も設けていることであるが草木に埋もれてよくわからないのが残念。

 

さほど息が上がるようなこともなく本城曲輪に到着、四方に眺めがよく武田侵攻に備える境目の城としては立地として適地といえる。

ダム湖は全くの人造湖で往時は相模川が流れる断崖絶壁の谷。

よって守りは南側に集中し、城兵が駐屯する根小屋も南の山麓にある。

 

北条武田の合戦といえば武田勢が小田原城を囲み落とせず甲斐に引き上げる背後を北条勢が狙った三増峠の合戦が有名。

この峠は津久井城東南5kmにある。

要衝にある割に実戦の場として津久井城はあまり出てこない。

豊臣秀吉の北条征伐時には八王子城が陥落するとあっさり開城、間もなく役目を終えた。

 

南側に回ると資料館もあるのだが花見で大盛況、駐車場の混み具合から密であろうと思い北側から降りて撤収。

 

思えば九州から帰ってからほとんど島津本の編集にかかりきりになっていたので城廻も1年ぶり、当分移動制限がかかるだろうから取材撮影再開は見通しが立たない。

 


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