日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№68 ~ 音楽界の“フィクサー”最大のヒット作

2009-04-26 | 洋楽
レオン・ラッセルと言えば、70年代前半には音楽界のフィクサーと呼ばれ、当時クラプトンやストーンズ、さらにはビートルズのメンバーまで巻き込んで起こった一大スワンプブームを、独自人脈を動かし陰の仕掛け人として先導した人物です。

№68    「カーニー/レオン・ラッセル」

我々世代にとって一番印象的なレオンの姿は、史上初のチャリティ・ロック・イベント「バングラディシュのコンサート」の記録映画で見せた存在感溢れる大物ぶりでした。私も高校帰りに見に行った飯田橋のギンレイ・ホールでの「ウッドストック」との2本立て興行で、糸を引きそうな独自の風貌とねちっこい歌いっぷりを、この上なく強烈な形で脳裏に焼きつけられて帰ったのをよく覚えています。当時の音楽ファンは誰しも、ジョージ・ハリスンやボブ・ディランと対等に渡り合うその姿に圧倒されたものです。

彼のソロ・デビュー作は70年の「レオン・ラッセル」。あの名曲「ア・ソング・フォー・ユー」やジョー・コッカーでおなじみスワンプ・ロックの代表曲「デルタ・レディ」をフィーチャーし、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ、スティーブ・ウインウッドらを一同に集めて録音された、当時としては通好みのスワンプ系アルバムでした。続いて71年にリリースされた「レオン・ラッセル&シェルター・ピープル」は、ゴスペル的要素も強めつつさらにスワンプ色を濃くしたアルバムで、やはりどちらかと言うと泥臭い玄人向けアルバムでありました。

そして、件の「バングラディシュのコンサート」を経て一気にその名を一般に知られた矢先の72年にリリースされたのがこの「カーニー」です。このアルバムは前2作に比べるとかなりメロディ、アレンジとも洗練され、ポピュラーな印象で聞きやすい作品です。そういった音楽的特徴と、「バングラ…」でその大物ぶりが一般的に知られたこと、当時ちょうど雨後のタケノコ的にシンガー=ソングライター・ブームが一世を風靡していたこと、それらが相まって全米第2位にまで上る一大ヒットアルバムとなったのです。

A1「タイト・ロープ」は、歌い出しのマイナー調メロディがいきなり印象的な、「ヒット曲はこう作れ」とでも言いたげなナンバー。シングル・カットされて最高位11位を記録したレオン最大のヒット曲です。また、後にジョージ・ベンソンのカバーで大ヒットするAORの超名作B5「マスカレード」のレオン・バージョンは、このアルバムの聴きどころのひとつになっています(ちなみに個人的なフェイバリット・トラックは、A3のバラード「ミー・アンド・ベイビー・ジェーン」とB6「マジック・ミラー」です)。アルバムには後々彼の音楽活動のひとつのメイン路線ともなるカントリー的要素が、適度なバランスで織り込まれており、そのことも全米大ヒットの一因になったと思われます。

このアルバムで頂点を極めたレオンのポピュラー・シンガーとしての全盛期は、この後同じ路線をさらに推し進めた75年の名作「鬼火」まで続きます。そこではブラック・コンテンポラリーへの接近も感じさせ、「レディ・ブルー」「ブルバード」等の名曲を生み出します。しかしながら彼は、76年の黒人女性歌手のマリー・マクリアリーとの結婚を機に、徐々にソウル、カントリー、テクノ、ラップ…等々、趣味と流行の入り混じった音楽的迷路に入り込んでしまいます。

長いスランプの後、90年代後半以降ようやくのルーツ回帰で本来の音楽スタイルを取り戻します。現在は音楽のメインストリームからは離れ70年代のような大物感はないものの、地道な音楽活動を彼らしい音楽スタイルで貫き続け、毎年のように来日ライブも企画されています。今月67歳になったレオン御大、トレードマークの長髪はすっかり真っ白になってはいますが、今も変わらぬスワンプ魂を感じさせる歌や演奏が聞けるのは本当にうれしい限りです。今年も6月ビルボードライブにやってまいります。