日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「秋葉原無差別殺人」報道雑感

2008-06-10 | その他あれこれ
秋葉原の事件は大変な大騒ぎになっています。テレビも新聞もこの事件一色。そんな昨日、今日のマスメディアの姿勢から気が付いた点を記します。

まず驚いたのは、現場付近に居合わせた日テレスタッフの“プロ魂”。持ち歩いていたデジカメで警官と対峙する犯人の姿を記録。身柄確保後は、護送されるまでの様子の一部始終を動画に収めていました。私なども新聞社時代には、「オフでもカメラを必ず持ち歩け」と、上司から言われていました。職業柄マスメディアの人間は、オフでもカメラを持ち歩いている確率は高いものです。

そうは言っても、事故ではなく相手は無差別殺人犯。刃物を持って攻撃を続ける犯人がどこにいるかも確認せずに、「犯人は刃物を持っているから逃げろ!」と注意喚起しながら撮影をしたという勇気はたいしたものです。事実、近くでその様子を偶然見つけた同僚がカメラを構えた彼の横で、被害者が刺されて倒れるのを目撃しています。

その後の警官との対峙シーン撮影もそうですが、ある意味犯人を刺激する行動であり、捕まっていない犯人を前に大きなリスクが伴う行動と言えます。彼は、報道局カメラマンではなかったようですが、マスメディアに勤務する彼の使命感の強さ、悪を許さない正義感あふれる行動には敬意を表したいと思います。

一方ダメの代表。評論家もダメな奴が何人か見受けられました。その代表格が、ワイドショーに出ている高木美也子なる評論家?番組中コメントを求められ、ただただ犯人への怒り、罵倒の言葉をならべるのみ。もちろん、視聴者の事件に対する感情の代弁者なのだと言えばそれまでではありますが、「評論家」を名乗る以上それでいいのですか?という感じです。

プロのコメンテーターの役割としては、専門的見地からの「再発防止」に向けた原因の究明や根底にある問題点の指摘等が求められているのではないでしょうか。怒り、不安、被害者への同情等を感情的に話すだけであれば、現場付近の通行人や街行く人のインタビューとなんら変わりません。聞けば彼女、肩書は「生命倫理学者」で、元東映社長の娘、現社長の妹、夫の父が元日航社長という七光りどころか“二十一光り評論家”とのことで、さもありなんです。有事に呼ぶようなコメンテーターではありません。世間を震撼させた大事件なのですから、制作側もしっかり人選して欲しいものです。

一部で話題になっているのが、例によって朝日新聞の報道姿勢。問題となっているのは、犯人逮捕の瞬間報道の「男がナイフを下に落とした。すると警察官は拳銃を抜き、男に向けた」というくだり。他紙各紙の「警察官が拳銃を構えると、加藤容疑者は観念したように路上にナイフを捨てた」という内容と、拳銃の使い方の報道に明らかな差があると言うのです。

他の新聞各紙は犯人が抵抗をやめないため、やむなく拳銃を取り出したのに対し、確かに朝日新聞だけは、犯人が抵抗をやめてから拳銃を取り出したという恣意的な記述に思われます。しかも他の文脈から、各紙ともこの部分のネタ元は一部始終を目撃した近隣の同じ電器店店長だと言うですから、かなり「意図」を感じます。権力に対する朝日新聞の一貫した批判的姿勢は、考えようによっては立派と言えなくもないのですが、このような事件報道にまで恣意的な権力批判を潜り込ませんとしているとすれば、ちょっと首を傾げたくなります。真意はどうなのでしょうか。

大事件が起きたときほど、各紙、各局一斉報道となるが故に、マスメディアやそこにかかわるプロの人たちの姿勢やプロ意識が比較対照しやすい場面が生まれ、図らずも普段は見えないものが明確になることがあります。チラリと垣間見れるメディアやメディアに関わる人間の“度量”や“本性”を捕まえる、格好のチャンスでもあるのです。