日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

宮崎勤死刑囚の死刑執行に思う

2008-06-17 | ニュース雑感
連続幼女誘拐殺人犯の宮崎勤死刑囚の死刑執行が本日行われたそうです。

鳩山邦夫法務大臣が、わざわざ会見で公表する念の入れようだったようで、一部報道でも言われているように、秋葉原無差別殺人を受けて凶悪犯罪に対する抑止力として執行を利用するという大臣の短絡的な考えから実行されたものではないかと思えてなりません。刑の確定から2年5か月という平均の8年と比べてもかなり早期での執行でした。

この死刑執行、個人的にはどうもシックリこないのです。以前にも言いましたが、私は死刑廃止論者ではありません。ただ、刑の執行の判断は法務大臣の権限ではあるものの、このような短絡的とも言えるタイミングでの死刑執行にはどこか割り切れないものを感じているのです。

もちろん、宮崎勤死刑囚は死刑に相当するだけの重大な犯罪を犯したのであり、執行そのものを問題視するつもりは毛頭ありません。ただ鳩山大臣は「友人の友人はタリバン発言」等を見る限り、およそ思慮深いとは言い難い人物であり、シックリこないのは、そんな鳩山大臣の短絡的な思考回路に、以前から個人的な嫌悪感を感じているからなのかもしれません…。

もし、「凶悪犯罪に対する抑止力として執行を利用する」という考えで、本日の執行がなされたのであれば、それはまさに“見せしめ執行”であることになります。もしそうなら、本来の死刑執行の持つべき趣旨に反する行為ではないかと思うのです。それともう一点、この事件があまりに特殊であり、事件発生から20年がたってはいるものの宮崎死刑囚本人の動機解明が十分になされたとは言えないということも含め、現在再審請求を準備中であったとの話は気になるところです。

今回の秋葉原の事件と同様、孤独な若者の異常な精神状態が起こさせた誤った行動であるという共通点が見えています。宮崎死刑囚の事件はその点では、まさに“孤独な若者の暴走事件”のはしりとも言える存在であり、再審も含め宮崎死刑囚の執行延期を前提とした更なる原因解明は、今後の同種の事件再発防止においても有効な手立てを見出したかもしれないなどと、思えてしまうからなのかもしれません。

孤独な若者の犯罪心理解明には、数少ない“重大な症例”を入念に分析することは、間違いなく再発防止を考える上で役に立つことに違いないと思います。新たな“重大な症例”が発生した直後であっただけに、本当に今回の大臣の判断でよかったのか、私の個人的な好き嫌いは別にしても、関係者はじめ多くの人にどこかシックリこないものが残ったのではないかと思えてならないのですが、いかがでしょうか。

テレビNEWSワイド番組の災害報道にモノ申す!

2008-06-16 | その他あれこれ
14日朝に発生した岩手・宮城内陸地震は、今だ多数の行方不明者を出したまま、余震が続き一部では救出活動が難航しています。

特に駒の湯温泉での旅館崩壊現場は大量の土石流の流入により旅館が流され土砂に埋もれたために、その救出は難航を極めています。土曜日の朝に起きた災害は、月曜日の朝から各テレビ局のニュース・ワイドショーの取材ラッシュ状態で、チャンネルを回せばどの局も災害現場からのレポート合戦に明け暮れています。

そうなると毎度のことですが、マスメディアの取材合戦は決まって行き過ぎた競争を生み、迷惑や迷惑の可能性を顧みない傍若無人な振る舞いが、そこここで見られようになります。特に“絵”が勝負のテレビ各局は、他局にない映像の入手に奔走し、ルール違反や行きすぎた報道を平気でやってのけるのです。

今回も大問題と思しき取材現場が今朝からテレビに映し出されました。日本テレビ「スッキリ!」の現場レポートは、駒の湯温泉につながる3本のルートを現地取材。舗装された2本の国道ルートが土砂崩れにより救出当局の判断で通行止めになると知るや、現場の状況から寸断が明らかでかつ危険が伴う、山間無舗装の林道ルートに参入。「危ない!」とか「おっと余震です」などのコメントでつなぎながら、林道が土砂に埋まっている“絵”を収めて引き返すという暴挙を映し出していたのです。

舗装された国道2ルートの間を行く、山間の土砂に埋まった無舗装林道ルート、誰が考えても危険な場所です。しかもその閉ざされた道の先駒の湯では、今も生き埋めの被災者と必死で救出にあたるレスキュー隊の方々がいるのです。未だ余震が収まらず、ゆるい土砂でいつまた土砂崩れが起きるとも限らない、大変危険な場所での土砂崩れの“絵”を収めんがための、何の利益も生まない“危険な取材”。人命救助現場至近の場所で、二次災害に巻き込まれたら大変な問題であるとなぜ考えないのでしょうか。

林道の未封鎖は、明らかに人命救助を最優先しているがために後回しにしているにすぎず、その間隙をぬっての、あまりに無頓着、非常識極まりないこの報道姿勢には激しい怒りを感じました。台風が接近しているときに、あえて暴風雨の海岸近くに風に飛ばさ、波にのまれそうな“絵”を平気で公共の電波で垂れ流すテレビ局がありますが、それと全く同じバカさ加減。現実に、被災者とその家族が苦しんでいるそばでの、危険を顧みない無神経な行動はさらに罪が思いと感じました。

マスメディアは、たとえワイドショーであろうとも報道を材料にする以上、最低限のモラル、常識をわきまえなくては、公共の電波を使用する資格はないと考えます。日本テレビおよび番組スタッフは本件を猛省するとともに、速やかに被災者とその家族方々、必死の救助活動にあたっている方々に対して、心からのお詫びの姿勢を示して欲しいと思います。

※本件日テレ番組宛に、本ブログ内容での意見FAXを入れました。番組内での本件に対するコメントの有無はともかく、同番組の制作姿勢の過ちを気づかせ、少しでも反省を促せればとの考えによるものです。

〈70年代の100枚〉№27 ~ イーグルスを伝説に高めた“名作”

2008-06-15 | 洋楽
イーグルスを取り上げた以上、歴史的名作「ホテル・カリフォルニア」を無視して通るわけにはいかないですね。

№27 「ホテル・カリフォルニア/イーグルス」

75年のバーニー・レドン脱退後、イーグルスにはジョー・ウォルシュが加入し新作を制作中とのニュースが伝わります。私をはじめ、当時それなりにアメリカの音楽シーンに関する知識があった音楽ファンの間では、このニュースには耳を疑いました。ジョー・ウォルシュと言えば、アメリカン・ハードロックバンド「ジェームス・ギャング」を率いるギタリストです。前任のバーニーとの比較で言えば、従来の「軟」に対して「硬」、「軽」に対して「重」、「静」に対して「動」というぐらい対照的な印象を持っていたからです。「イーグルスはどう変わるのだろう」、期待と不安で次作のリリースを待ちました。

そして翌76年の暮れ近く、待ちに待った新作が届けられます。「ホテル・カリフォルニア」というタイトルがまず伝えられ、それから2か月以上待たされた後に、遂に新生イーグルスがベールを脱いだのでした。今思うと、タイトルを先行して発表するやり方は、実によく練られたブランド構築戦略であったと言えます。12月のリリースと同時に、ラジオは皆一斉にこのアルバムからの曲たちを大量オンエアし始めました。

ファースト・シングル「ニュー・キッド・イン・タウン」(全米№1)は、JDサウザーも作に加わった従来路線で作られた佳曲でした。しかしながら、このファーストシングル以上にオンエア回数が多かったのは、アルバム・タイトルナンバー「ホテル・カリフォルニア」。結果セカンド・シングルとしてカットされ、日本では本国以上に大ヒットします。哀愁漂うメロディが、当時のサラリーマンに共感を与えたとかで、有線放送でも異例の第一位になったと記憶しています。

日本の洋楽史においては、ビートルズ「レット・イット・ビー」、ビリー・ジョエル「ストレンジャー」と並ぶ、洋楽音痴のオジサン、オバサンでも知る三大ヒット曲と個人的に位置づけています。その意味では、この一曲で彼らの名前を世界中の音楽と無縁な人々にまでいきわたらせた功績の大きさは、素晴らしいものがあると思います。

さてその「ホテル・カリフォルニア」、架空のホテルになぞらえてフロンティア精神の行き先にあった過度な物質文明化を嘆き、建国200年に湧くアメリカの裏側にある退廃を歌った、実にアイロニカルな曲でした。そのためか本国でのこの曲に対する受け入れ姿勢は賛否両論を生み、必ずしも満足のいくチャートアクションにならなかったのも事実です。

ただ、ひとつのロックバンドが主義主張を持って楽曲を通じて市民に訴えるという70年代には薄れた姿勢をあえて示したことが、70年代音楽シーンにイーグルスというバンドが他のどのアメリカのバンドよりも大きな足跡を残すことになった要因であることはまぎれもない事実だと思います。その意味で、このアルバムとそのタイトルナンバーが持つ、70年代の象徴としての歴史的意味合いはとても大きいと言えるのです。

さて、問題のジョー・ウォルシュ加入の影響ですが、第三弾シングルA3「駆け足の人生」やB2「暗黙の日々」でみせるハードなギター・アンサンブルに顕著です。全体的なトーンも、やはり従来のイーグルスとはややちがう、とがったイメージが全体を支配しています。タイトルナンバーやB4「ラスト・リゾート」における歌詞の辛辣さも、そんなジョーの加入を契機とした変化であったのかもしれません。

バンドはこのアルバムの大成功により、押しも押されもしないビッグネームになってしまいます。そして、名誉と経済的成功を固持するための緊迫感という見えない敵との“戦い”が始まり、ツアーの後にまたもやオリジナルメンバーのランディ・マイズナーがバンドを抜けてしまうのです。残ったメンバーは、新たなメンバーを加えつつ次作に向けて、抜け出すことのできない孤高の旅を続けます。そして、3年間の苦悩の末にアルバム「ザ・ロングラン」がリリースされ、そのツアーの終了を持って限界点に達したことにようやく気づいた彼らは、「解散」の二文字を選択することになるのです。

「ホテル・カリフォルニア」の一節、「ここにいるのは、自分の企みのために囚われの身になってしまった人ばかり…」。70年代半ばの病んだアメリカを歌ったはずの歴史的“名曲”の歌詞が、実はその後の苦悩する彼らの姿とあまりにもダブってしまうのは、アメリカ人である彼らの宿命かもしれませんが、なんとも皮肉なことであります。

〈70年代の100枚〉№26 ~ 70年代アメリカ代表“渾身の1枚”

2008-06-14 | 洋楽
〈70年代の100枚〉もこのところややマニアックな流れにはまっているので、ここいらで少々メジャーなアーティストを…、というわけでイーグルスの登場です。

イーグルスは間違いなく70年代を代表、あるいは象徴する偉大なるグループです。そして、多くの人は彼らの代表作に「ホテル・カリフォルニア」をあげるのでしょうが、ここではまず、彼らのアメリカでの人気を決定づけむしろ「ホテル…」以上に彼らにとって、また70年代音楽シーンにとっても大きな意味を持つアルバムをとりあげます。

№26 「呪われた夜/イーグルス」

75年の暑い夏、ラジオから聞こえてきたイーグルスの新曲はどこかおどろおどろしい中にも、張りつめた緊張感が伝わり「完璧に作りこんだ」という言葉がぴったりの魅力的なナンバーでした。それがタイトルナンバーの「呪われた夜」。シングルはあっという間に全米ナンバーワンの座を獲得。時期を前後して発売された、このアルバムも彼らにとって初のチャート1位の大ヒットを記録します。当時、シングルを気にいってアルバムの購入にレコード店に走った私も、針を落とした時には寒気を感じるほどのメンバーの気迫と完成度の高さに驚かされたのをよく覚えています。

このリリースの約半年前に、前作「オン・ザ・ボーダー」からのおまけ的第三弾シングル「ベスト・オブ・マイ・ラブ」がなぜか全米ナンバーワンに輝き、グループにとっては思いがけないタイミングで、デビュー時の「テイク・イット・イージー」に続くセカンドステップの足がかりをつかんだのです。そして、制作中の次なるアルバムが彼らにとって今後の雌雄を決する重要な1枚であることを、誰よりもメンバーの一人ひとりが十分に認識をした上で制作は約半年にわたって続けられます。こうして発表された本アルバムは、まさに彼ら“渾身の1枚”だったのです。

名作でありますが、今まさに頂点を極め下りはじめとのギリギリのバランスの上に立った感のある次作「ホテル・カリフォルニア」に比べると、本作は圧倒的な前向きなパワーに後押しされた躍動感に満ち溢れています。それと気がつかされるのは、それまでの彼らの集大成的な意味合いも併せもっていて、その時点で彼らの持てる力のすべてをぶつけた、ある意味で「第一期イーグルス」をしめくくるにふさわしい素晴らしいアルバムなのです。また同時に、バーズ、CSN&Y、フライング・ブリトーブラザーズ、ポコ等々60年代後半から形作られてきたウエストコースト・サウンドのひとつの完成型がここに見てとれるとも言えるでしょう。

集大成と言ったのは、例えばタイトルナンバーは、ファースト・アルバムの「魔女のささやき」をスケール・アップした曲と言ったイメージですし、セカンドシングルのB1「いつわりの瞳」(全米第2位)に至っては、デビューサードシングル「ピースフル・イージー・フィーリング」のリメイク・グレードアップ版とも言えそうな出来栄えなのです。

もちろん、その他の曲も素晴らしくレベルが高いです。今だにファンの間で人気の高い「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」(全米4位)、やや神経質なバンド気質を解きほぐすバーニー・レドンの優しいバラードA3「ハリウッド・ワルツ」、ドン・ヘンリーとグレン・フライの掛け合いボーカルが素晴らしい「アフター・ザ・スリル・イズ・ゴーン」など、「乾坤一擲」の勝負に出た時のバンドマジックを感じさせる名作であると思います。

バンドは、大ブレイクの余波による緊張感の高まりから今後の方針をめぐって内部に亀裂が生じ、アルバムリリース後、バンドの“良心”とも言うべき“優しき男”バーニー・レドンが脱退してしまします。そして彼らは、さらなる商業的成功の頂点を求めて「ホテル・カリフォルニア」へ向けた旅を続ける訳です。B面ラストを飾るバーニーの歌「アイ・ウィッシュ・ユー・ピース(安らぎによせて)」は、残ったメンバーたちに向けた彼精一杯のメッセージであるように思えてなりません。

経営のトリセツ32 ~ 社長は“社内サービス業”に徹する時代

2008-06-12 | 経営
「ホスピタリティ」のお話は以前少し書いたかもしれませんが、大切なことなので今一度。今回は「組織内ホスピタリティ」という観点から。

サービス業における近年の成功のキーワードのひとつに「ホスピタリティ」があります。「ホスピタリティ」とは、「思いやり」とか「丁寧にもてなすこと」などと訳されるようです。「高くても質がいい」とか「良くて安い」とか、時代時代で高く評価されるサービスの基準は移り変わります。「ホスピタリティ」は、ひたすら「安く」を追い求めたデフレ時代の終焉とともに、デフレに疲れた時代の要請として消費者の心理状態に起因して必然的に表れたトレンドでもあるのです。

なぜいきなりサービス業のトレンドの話をしたのかですが、従業員一人ひとりは職場を離れれば一消費者であり、サービス業のトレンドの創造・構成要員です。ですから、企業の経営者は業種を問わず社内の人の管理を円滑にするためには、サービス業のトレンドに学び、一消費者である従業員の人たちが今どんな事やモノを望んでいるのか、好んでいるのか、好感をもっているのか等を知る必要があると思うのです。すなわち、従業員を顧客に見立てて今のサービス業の姿を自身にダブらせリーダー像を作り上げることが、成功する経営者への近道だと思えるのです。

バブル崩壊後「停滞」と「デフレ」の時代には、成果主義とそれに根ざしたリストラが幅を利かし、組織内のギスギス感は過去の日本で例をみないほどの状況におよびました。疲弊した組織の中で景気がようやく回復の兆しを見せた頃から、働く人の多くが組織に求めたモノは、消費経済のトレンドとも符合する“失われた10年”に忘れ去られていた「優しさ」だったのです。すなわち、今組織を元気づけ前に前に進ませるものは、強力なリーダーシップよりも部下により近しい考えでコミュニケートできるリーダーの資質ではないのかということ。すなわち今求められているのは、「ホスピタリティ」あるふれるリーダー像ということになるのです。

「サーバント・リーダーシップ」の考え方もまさにそれです(http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/fa4bfde40c76b1fe918ea6bac1f80eb2 参照)。書店のビジネス書籍コーナーに所狭しと並べられる「コーチング」関連の本の数々も、伝えたい内容は部下とのコミュニケーションという、過去「鬼になれ!」と言われた指導者に対して「相手の立場で話をせよ」「目線を揃えて考えを聞き出せ」と「ホスピタリティ」を説いているのです。

では、経営者は具体的に何をするべきなのか?です。
例えば、評価制度で言うなら、定量評価偏重の「成果主義」は方向修正が必要でしょう。成果に対する評価を捨てる必要はありませんが、いかに定性評価を上手に加味した「体温を感じさせる評価制度」に移行するかがポイントかもしれません(持論としてこの点は明確なモデルパターンがあるのですが、長くなるのでまたの機会に譲ります)。

人事施策で言うならば、「多く休ませては損」「休む暇があったら働け」はもう捨て時です。休む時は休ませ、オンとオフの両立を手助けし、生活の充実感から仕事に対する新たなエネルギーを生ませるように仕向けてあげる、そんな配慮ある人事制度の見直しも有効な施策のひとつでしょう。「ライフワーク・バランス」などという言葉が、ごくごく一般的に使われるようになった今、このような人事施策の見直しは経営として積極的に考えるべき問題になっていきてもいるのです。

もうひとつ、経営者として重要な「ホスピタリティ」は「人を育てる」という気持ち。ここで、前回とのつながりが見えましたね。「人の教育にカネを惜しむな」「人材教育は継続してこそ意味がある」等々、詳しくは前回(経営のトリセツ31)参照です。

「サーバント・リーダーシップ」の考え方は個人的には大変共感するところ大なのですが、これを紹介した社長方からは「経営者が召使は行き過ぎじゃないの」という抵抗感を示す声も聞こえています。ならば、「サーバント=召使」までは求めません。せめて、従業員の方々を顧客と見立てた「サービス業」と考えましょう(基本は同じことなのですが…)。中小企業の社内活性化は、「ホスピタリティ」をキーワードにして社長自ら対従業員は「サービス業」に徹すること。まずは、できるとこから手をつけてみてください。社長一人でも始められる「社内ホスピタリティ」はたくさんあります。

日本水連の官僚的“御用体制”を突き崩した“黒船”「スピード社」

2008-06-11 | ニュース雑感
話題のスピード社水着問題。日本水連は昨日ようやく北京五輪に向けた苦渋の決断をし、その内容を発表しました。

結論は北京オリンピックでは、水連指定の国内3社以外の水着でも選手の意向で好きな水着を選んでよい、というもの。我々一般人から見れば、「選手が自分の好きな水着を着れる」という至極当たり前の結果に落ち着いた形です。なぜこんなおかしな事態に至ったのか、その理由を探っていくと、ここにも日本的な官僚文化の悪影響が見てとれるのです。

そもそも、水連指定の3社とは、ミズノ、デサント、アシックスのスポーツ用品最大手の3社です。その3社にオリンピック用スイムウェアの発注を集中させ、指定業者として独占権を与える代わりに水連への有償、無償の莫大な支援を引き出すというやり方なのです。まさに“御用商人方式”そのもの。“お上”とのパイプという無形の価値を創造し、特定の資力ある少数業者に出入りの権利を付与する江戸時代から脈々と続く、日本的官僚の「既得権ビジネス」とまったく同じ構造がそこにあるのです。

水連はどのような方々が実質運営している組織なのか存じあげませんが、少なくともどこかの官庁(文部科学省? )の息がしっかりかかった“公的機関”でしょうから、表向きの「顔」はともかく実際の運営は「官」の関与が少なからずあるハズです。「官」が入れば決まって形づくられるのは、市場原理無視の「既得権ビジネス」による管理構造の創造と利権の確保です。囲い込まれた特定企業同士は表向きの競争を続けながらも、お互い共同戦線を張りながら「特定少数独占体制」を守ろうとするのです。

そうなると、市場原理は働かなくなり健全なマーケット形成や業界発展にも支障をきたすようになります。今回のスピード社問題はまさに、鎖国状態のオリンピックスイムウェア市場に市場原理の後楯によって突如割り込んで来た“黒船”だったのです。

昨年まで、英スピード社が開発したレーザーレーサーのような、体の凹凸を人工素材で埋めかつ強力な体系矯正をおこなうようなものが、国際水連に認められるかどうか微妙な状態が続いていたと聞きます。日本の“御用”3社も当然高い関心をもって見ていたことには違いないのでしょうが、各社北京前には多額のコストがかかるこの分野の開発には本腰を入れない、という“暗黙の合意”の下、「静観」を決め込んでいたことは想像に難くありません。

技術的にみても世界最高峰の3社ですから、時間をかけて開発していれば、スピード社並の商品をつくることはさした問題ではなかったハズ。“御用企業”の立場を守るために多額の支援負担を強いられた結果としての、足並み揃えでの出費抑制目的の「開発先送り」「静観」だったとすれば、まさに市場原理を忘れたこの愚行、水連自身が作り出したもの以外の何ものでもないということになります。

優れたモノは利用者に支持され、必ずマーケットを動かします。それが市場原理というものなのです。今回、スピード社のレーザーレーサーが、“御用3社”独占の流れに待ったをかけたのは、まさに市場原理だった訳なのです。

“お上”の誤った保護政策による既得権ビジネスの展開によって市場原理を逸脱することは、特定事業者の利益が意図的に守られる分、利用者が必ず損をするのです。これは、日本の携帯電話ビジネスはじめ、過去の多くの事例がいみじくも教えてくれます。今回はその損をする利用者が、北島康介をはじめとした「水泳オリンピック日本代表選手」たちであり、北京で金メダルを期待する世論というマーケットの声に後押しされて、誤ったやり方にスポットが当たり矯正されるに至ったのです。

過保護な“護送船団方式”による市場原理を無視した競争抑制政策が、結局拓銀や長銀などの破綻の悲劇を招いた金融界の例を出すまでもなく、官僚的発想の「御用企業方式」のビジネスは、利用者にとって「百害あって一利なし」。他のスポーツ団体はじめ官の息が少しでもかかった組織の皆さんは、この機会に自分たちと企業とのかかわり方が市場原理にかなったものであるかどうか、「既得権ビジネス」形成になっていないかどうか、ぜひとも自問自答して利用者・受益者の利益を損なうことにならないよう、正しい目で検証・矯正をして欲しいと思います。

「秋葉原無差別殺人」報道雑感

2008-06-10 | その他あれこれ
秋葉原の事件は大変な大騒ぎになっています。テレビも新聞もこの事件一色。そんな昨日、今日のマスメディアの姿勢から気が付いた点を記します。

まず驚いたのは、現場付近に居合わせた日テレスタッフの“プロ魂”。持ち歩いていたデジカメで警官と対峙する犯人の姿を記録。身柄確保後は、護送されるまでの様子の一部始終を動画に収めていました。私なども新聞社時代には、「オフでもカメラを必ず持ち歩け」と、上司から言われていました。職業柄マスメディアの人間は、オフでもカメラを持ち歩いている確率は高いものです。

そうは言っても、事故ではなく相手は無差別殺人犯。刃物を持って攻撃を続ける犯人がどこにいるかも確認せずに、「犯人は刃物を持っているから逃げろ!」と注意喚起しながら撮影をしたという勇気はたいしたものです。事実、近くでその様子を偶然見つけた同僚がカメラを構えた彼の横で、被害者が刺されて倒れるのを目撃しています。

その後の警官との対峙シーン撮影もそうですが、ある意味犯人を刺激する行動であり、捕まっていない犯人を前に大きなリスクが伴う行動と言えます。彼は、報道局カメラマンではなかったようですが、マスメディアに勤務する彼の使命感の強さ、悪を許さない正義感あふれる行動には敬意を表したいと思います。

一方ダメの代表。評論家もダメな奴が何人か見受けられました。その代表格が、ワイドショーに出ている高木美也子なる評論家?番組中コメントを求められ、ただただ犯人への怒り、罵倒の言葉をならべるのみ。もちろん、視聴者の事件に対する感情の代弁者なのだと言えばそれまでではありますが、「評論家」を名乗る以上それでいいのですか?という感じです。

プロのコメンテーターの役割としては、専門的見地からの「再発防止」に向けた原因の究明や根底にある問題点の指摘等が求められているのではないでしょうか。怒り、不安、被害者への同情等を感情的に話すだけであれば、現場付近の通行人や街行く人のインタビューとなんら変わりません。聞けば彼女、肩書は「生命倫理学者」で、元東映社長の娘、現社長の妹、夫の父が元日航社長という七光りどころか“二十一光り評論家”とのことで、さもありなんです。有事に呼ぶようなコメンテーターではありません。世間を震撼させた大事件なのですから、制作側もしっかり人選して欲しいものです。

一部で話題になっているのが、例によって朝日新聞の報道姿勢。問題となっているのは、犯人逮捕の瞬間報道の「男がナイフを下に落とした。すると警察官は拳銃を抜き、男に向けた」というくだり。他紙各紙の「警察官が拳銃を構えると、加藤容疑者は観念したように路上にナイフを捨てた」という内容と、拳銃の使い方の報道に明らかな差があると言うのです。

他の新聞各紙は犯人が抵抗をやめないため、やむなく拳銃を取り出したのに対し、確かに朝日新聞だけは、犯人が抵抗をやめてから拳銃を取り出したという恣意的な記述に思われます。しかも他の文脈から、各紙ともこの部分のネタ元は一部始終を目撃した近隣の同じ電器店店長だと言うですから、かなり「意図」を感じます。権力に対する朝日新聞の一貫した批判的姿勢は、考えようによっては立派と言えなくもないのですが、このような事件報道にまで恣意的な権力批判を潜り込ませんとしているとすれば、ちょっと首を傾げたくなります。真意はどうなのでしょうか。

大事件が起きたときほど、各紙、各局一斉報道となるが故に、マスメディアやそこにかかわるプロの人たちの姿勢やプロ意識が比較対照しやすい場面が生まれ、図らずも普段は見えないものが明確になることがあります。チラリと垣間見れるメディアやメディアに関わる人間の“度量”や“本性”を捕まえる、格好のチャンスでもあるのです。

続発する「無差別殺人」に思う「死刑制度」のあり方論議

2008-06-09 | ニュース雑感
日曜日に東京秋葉原の路上で、通り魔による大量無差別殺傷事件が起きました。

トラックで歩行者天国を行く人を轢き、さらにはナイフで切りつける。狂気以外の何物でもない犯罪です。何の罪もない人7人の方の尊い命が奪われ、10人の方が負傷されました。「ストレス社会が生み出した悲劇」では済まされない大事件です。

犯人は25歳の派遣社員、「人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た。(襲うのは)誰でもよかった」「世の中が嫌になった。生活に疲れた」などと供述しているといいます。最近この手の事件でよくある「人を殺したかった」「誰でもよかった」の供述には、事件が起きるたびに考えさせられる部分が多くあります。

「誰でもいいから人を殺したい」という結論を導く論理展開を試みた場合、普通は「それをしたら人間おしまい」「自分は死刑になって自分自身がおしまい」という誰もが最低限持っている「道徳観」に遮られ、思いとどまりに至るはずなのです。ところが、それを思いとどまらせない何かが起きたとき、このような狂気の惨劇が起きてしまうのです。では、なぜその“思いとどまり”が利かなくなることがあるのでしょう。

過去の事件においては、「思いとどまらせる何か」=“歯止め”をはずすモノが、大量の飲酒であったり覚せい剤等の違法薬物であったりしました。今回の事件では、飲酒も薬物も検出なし。まさに「素面(シラフ)」の状態でいとも簡単に“一線”を超えてしまったのです。この点は、今回注視すべき重要なポイントだと思います。

すなわち、「やりたいこと」をやれば結果「自分にとって大きなマイナス」になるなら、それを認識できる「素面状態」の人は思いとどまります。今までの通り魔の大半は、酒や薬物の影響で“歯止め”が薄れ犯行に手を染めたものでした。ところが今回のように酒も薬も関係なく犯行に手を染めてしまうのは、「やりたいこと」をやることが「社会的犯罪」であっても、「それを超える自分にとってのプラス」があると考えられるからではないでしょうか。この「考え」が、素面(シラフ)でも“歯止め”の利かない行動させてしまうのではないかと思うのです。

ではなぜ、反社会的でも「やりたいこと」をやることが「自分にとってプラス」だったのでしょう。それは大半の場合、やりたい「目立つことをして」「勝手な憂さ晴らしをして」「世間に復讐して」結果希望通り「死刑になって死ねる」という理由があるからなのではないでしょうか。

公の手によって自らの死を決行させてくれることで自らの「死」そのものが正当化され、本人の意思にかかわらず執行される「死刑」という制度。裏を返せば「死刑」は、狂気の手に落ちた場合「公的な自殺」に利用されかねない制度でもあるのです。そして利用された場合は結果として、無理心中的に巻き添えを伴って実行されてしまう狂気に変貌してしまうものなのです。

死刑が確定すれば、彼は閉じ込められますが、3食が与えられ、健康が管理され、処刑の日を待ちます。そしてできるだけ苦しまないように、刑は執行されます。今回の事件のあまりに計画的な犯人の行動を知るにつけ、絶望から自らの「死」を決めた人間には「やりたいことをやって死なせてもらえる」ある種“魅力的”に映る制度なのではないのか、この制度が絶望を狂気に変える“魔力”を持っているのではないかとさえ思えてなりません。

大阪市の小学校で、児童が殺傷された事件の犯人宅間守は、公判で一言も謝罪もせず自らの死刑判決を控訴することなく、また、早期執行を直訴し判決から1年と言う異例の速さで死刑執行されたのです。彼もまた今回同様に、その犯行は「世間への復讐」を兼ね、「公的な自殺」を選んだ絶望した一人の男だったのです。

「死刑制度」の是非を問う議論は、長く世間で繰り広げられています。死刑是認派はよく「死刑廃止」は犯罪の抑止力を損なわせるものであると主張します。果たしてそうでしょうか。今回の事件を目の当たりにすると、むしろ「死刑廃止」が凶悪犯罪の抑止力となる部分もあるいのではないかとは思えないでしょうか。

私は死刑廃止論者ではありませんが、「死刑制度」の是非を問う議論には、遺族の心情、犯罪者の生の尊厳、人が人を「死」をもって償わせることの是非等々の観点共に、無差別殺人が増える今の時代においては、「死刑」=「公的自殺」という観点からの検証も必要な時に来ているのではないかと思います。同じ悲劇を繰り返させない、同じ悲しみを味わう人を作らない、「再発防止」を第一に「死刑制度」の是非は慎重に議論をして欲しいと思います。

そして同時に、病んだ現代において、孤独と絶望に押しつぶされた人々の犯行を止めるためには、刑罰以外の予防手立てを、政治の課題として明日の国づくり観点から考えていかなくてはならないとも思うのです。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

安田記念

2008-06-08 | 競馬
春のマイル決戦、GⅠ安田記念です。

例年けっこう荒れてます。今年も香港から3頭が参戦し、力関係が微妙につかみにくく荒れる要素十分です。

人気の香港馬⑦グッドババは、名前から「良馬場」ならば楽勝というシャレ?気になるのは斤量。昨年の7着は「本格化前」と陣営が言っていますが、果たしてそうでしょか?斤量と左回りに課題ありとみます。使い詰めローテも気になります。勝たれる時はちぎり勝ちかもしれませんが…。

⑪スーパーホーネットは前走が、ハマった印象でかえって「?」。昨秋のGⅠマイルチャンピオンシップ2着ですが、本質的には京都巧者の印象です。抑え程度に。⑰スズカフェニックスはマイルもこなせるものの、GⅠレベルの実力はも少し短い距離でという印象。この春絶不調の武豊も不安。3着付け?⑤ウォッカは、原良馬◎で消し。

荒れる前提で、面白そうなのは③エイシンドーバー、⑭エアシェイディ、⑩コンゴーリキシオー。③は、勝ちきれないもののいつも言う相手なりに走る強みがあります。⑭はメンバー中随一の東京巧者。⑩は同型少なく先行の利が得られそう。

大穴は⑮ブリッシュラック。9歳ですが一昨年の覇者。大レースで実績馬はなめると怖いです。

③⑭⑩はワイドBOXで。馬を見てから、この3頭の中から軸を決めて有力馬にワイド流しです。

〈70年代の100枚〉№25 ~ 英国製AORの傑作

2008-06-07 | 洋楽
AORという言葉が世に登場したのは70年代後半。「アダルト・オリエンテッド・ロック=大人好みのロック」という、レコード会社が作った妙に耳馴染みの悪い和製英語です。当時、本場アメリカのビルボード誌で、「アダルト・コンテンポラリー」なるカテゴリーが「イージー・リスニング」に代わる新分類チャートとして登場したのを、日本語に置き換えきれずに無理無理創作したものであると思われます。

具体的には、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェル、ホール&オーツなど、主にアメリカ産の“ブルーアイド・ソウル”的音楽を主にそう呼んでいましたが、そのうちデビッド・フォスターやトトの面々が関わった作品を筆頭に、「おしゃれなロック」全般をそう呼ぶようになったと記憶しています。いづれにしても、アメリカ的おしゃれロックの総称であり、伝統を重んじる英国ロックへは本格的には伝播しませんでした。

前置きが長くなりましたが、今回の1/100枚は、そんな中にあって数少ない英国製AORとしてアメリカのチャートを賑わした人、アル・スチュワートです。

No.25 「イヤー・オブ・ザ・キャット/アル・スチュワート」

アル・スチュワートはスコットランド出身のフォーク系シンガー&ソングライターとして、60年代から本国で活躍。ブリティッシュ・トラッドフォークをベースにした重苦しい雰囲気の演奏に乗せて、プライベートな題材をテーマに淡々と歌い上げるという表現がぴったりなアーティストでした。その時代の代表作はアルバム「オレンジ」。

その彼が76年、渡米し本作で突然のAORデビュー。アラン・パーソンズをプロデューサーに起用し、ジャケット・デザインはヒプノシス。当時は知る由もなかったのですが、まさに狙いすました見事なアメリカマーケット進出プロジェクトだったわけです。タイトル・ナンバーは全米シングルチャート最高位8位、アルバムは最高位5位と、いずれも本国以上のヒットを記録しています。

何を置いてもタイトル・ナンバーの見事さには脱帽です。アルの最大の魅力であるメロディーのメロウさ、ジョン・レノンにも似た歌声の優しさを十二分に味わせてくれることこの上ないのですが、特筆すべきは間奏にあります。いかにもの英国風ストリングスをバックにしたアルのスパニッシュ・ギターソロからエレクトリック・ギターソロへ、そして極めつけは、ためにためて炸裂するサックス・ソロ。まさにAORの極致です。

軽さに流れがちなアメリカ産AORとはひと味違う、独自の重みがそこにはあります。アルの個性とアラン・パーソンズのセンスが融合して生み出した、素晴らしい作品です。AOR路線はこの後2作続き、「タイム・パッセージ」や「ミッドナイト・ロックス」といった心地よいヒット曲を次々生み出しました。どちらもかなりいい出来ですが、やはりベストワンは「イヤー・オブ…」ですね。

アルバムは全9曲。いつになく明るくポップで心地よいA1「ロード・グレンビル」やA5「気の向くままに」のような曲と、A2「オン・ザ・ボーダー」のような“らしい”曲の絶妙のバランスで、まさしく“捨て曲”なしの傑作です。

ちなみにタイトルの「イヤー・オブ・ザ・キャット」は直訳すれば「猫の年」。猫のイメージの女性をめぐる、実に想像力をかきたてられる雰囲気重視の感性に訴える歌詞です。これ当時のアルの彼女が持っていた「日本の占星術の本」からイメージしたタイトルだとかって、ん??十二支に「猫年」はないでしょ。恐らく「トラ年」の間違いですよね。でも「イヤー・オブ・ザ・タイガー」じゃ全然雰囲気でないですから、間違えて正解って事ですかな?