日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

事件現場「ルネサンス」の再開~この選択を経営者の立場で考える

2008-01-15 | ニュース雑感
昨日、スポーツクラブ運営の「ルネサンス佐世保」が、師走の銃の乱射殺害事件から1ヶ月ぶりに営業を再開したとのニュースを耳にしました。

この件に関して、被害者企業であるルネサンスの経営判断について、思うところを一言言わせていただきたく思います。

私は個人的に、この稀に見る凶悪事件の発生時に、「あー、このクラブはこの事件のために、移転あるいは閉鎖を余儀なくされてしまうな。お気の毒に」と、思いました。ですから、昨日の同社社長の再開に関する発表会見には正直驚かされました。企業経営者として、このような事件に巻き込まれた施設を再度使用すると言うのは、恐ろしく勇気の要る行為であると考えていたからです。

何をおいても、亡くなられた被害者の遺族の方々の感情はいかばかりか。その問題は、いかにお悔やみを申しあげて再開の了承を得てたとしても、企業経営の意思決定の前に大きく立ちはだかると思ったのです。遺族の方々にとって愛するかけがえのない家族が殺害された現場で、何事もなかったかのように営業を続けることは果たしてどうなのか。罪のない者が殺された現場が、皆が集う楽しい場所であったということの持つ意味を、運営企業としてどう考えるかという問題でもあります。

これは、コンプライアンスの問題ではありません。言ってみれば、企業経営における「ホスピタリティ」の問題になります。「ホスピタリティ」とは、一言で言えば企業の「おもいやり」「真のおもてなしの心」です。近年、サービス業において真のサービス実現を追及する姿勢が高まり、それを実現するための「ホスピタリティ」という考え方が一般的になりました。「親切で惜しみない態度でおもてなしをする」=「ホスピタリティ」こそが、これからの企業経営に求められているものであるとも言われています。

これらを踏まえて、ここからはあくまで私がルネサンスの経営者であったならば、という仮定のお話として聞いてください。

多くのプールに通う子供達も心にキズを負ったこの事件。遺族の気持、施設利用者ご家族の気持、それらを総合的に勘案するならば、たとえ現施設が無駄になろうとも、企業経営にとって大きな損失を被ることになろうとも、私ならこの施設の取り壊し・移転という道を選ぶでしょう(損害金は、戻ってはこないかもしれませんが、基本的には加害者遺族への損害賠償対象とはなる筈です)。

誤解のないように念のため言っておきますと、これは、経営判断の「良い」「悪い」の問題で言っているのではありません。

過去に大阪市で小学校に男が乱入して、複数の罪のない子供を殺害した事件がありました。その時に、関係機関は学校の事件があった校舎の取り壊しと、隣の敷地への立て替えを速やかに決定し実行しました。被害者が子供だから、場所が学校だからではないのです。この対応を見て私は、子供を同校へ通わせる親も含め、学校近隣の人たちも含め、凶悪な事件に精神的に関係させられたすべての人たちに対する、関係機関の“思いやり”ある英断であったと大変関心させられました。

この手の事件の現場において事後対応として企業が考えるべきは、防犯カメラの新たな設置などという次元の問題ではなく、この事件に関する「悪の記憶」部分を、どのようにして身近に起きてしまった人たちの心からそっと取り除いてあげられるか、ではないかと私は思います。

繰り返しますが、事件現場となった被害者企業を責めるつもりは毛頭ありません。ただ、このような事件に巻き込まれた場合、企業経営者は「ホスピタリティ」最重視の対応も重要な選択肢であることを認識した上で、最終的な経営判断を下すことを忘れてはならない、と申し述べておきたいと思います。

<音楽夜話>熟したリンゴ~「ザ・ビートルズ」

2008-01-14 | 洋楽
昨日のツェッペリンの2枚組名作「フィジカル・グラフィティ」を聞いていて、改めて2枚組アルバムをリリースする時のアーティストのパワーの凄さを実感しました。

そんな訳で<音楽夜話>では、2枚組の話をしばらく続けたくなりました。
となれば、まずは何と言ってもビートルズ。俗に「ホワイト・アルバム」と言われる「ザ・ビートルズ」を語らぬ訳にはいかないでしょう。

高校時代から、私のビートルズ№1アルバムとして聞き続けています。一般的に「サージェントペパーズ…」や「アビーロード」あたりが最高傑作と言われることが多いのですが、果たしてどうでしょう。

「サージェントペパーズ…」は確かにロック界初のコンセプトアルバムと言われ、「楽曲の寄せ集めのお徳用盤=アルバム」だったものを、アルバムの存在意義をただしたという功績は多大なものがあったと思います。しかしながら、個々の曲の水準はと言えば、悪くはないもののまだまだ発展途上にあり、「最高傑作」とまではいかないとも思います。「ア・ディ・イン・ザ・ライフ」の素晴らしさは認めますが…。

一方の「アビーロード」。ビートルズ最後の輝きという点では、確かにいいアルバムです。ただ、個人的にはA面の素晴らしさは認めるものの、評論家氏が昔から絶賛するB面のメドレーはあまり好きではないですね。ジョンも生前、「アビーロード」のB面のメドレーはガラクタの寄せ集めみたいなもんだ」と言っていました。確かに解散間際のドサクサに作りかけの曲の断片を、ポールとジョージ・マーチンが無理につなげたと言った感が強く、どうも違和感を覚えてしまうのです。

この間に位置する「ホワイト・アルバム」は、まさに奇蹟のアルバムです。4人の個性がむき出しになってぶつかり合い、ものすごいパワーを持って聞き手に迫ってきます。確かに4人のソロの寄せ集めのような印象もあり、バンドとしてのビートルズは果たして感じられるのか、疑問でもあります。それでも、このアルバムに凝縮された4人のエネルギーはすさまじいものがあり、そのことがこのアルバムを素晴らしい出来栄えにしているのは間違いないのです。

この個性むき出しのアルバムを制作したこと、激しくぶつかり合ったことが、結果的に彼らの解散につながったのだと思われます。このアルバムは、それまで4人を束ね、うまく調和をさせて、個性が正面からぶつかり合わないようにしてきた、マネージャーのブライアン・エプスタインの急死を受け、4人の手で初めて作られたアルバムでした。もしエプスタインが生きていれば、「ホワイトアルバム」はなかったのかもしれません。エプスタインの死によって、個性対個性の対決は必然の流れとなったのです。

中でも、このアルバムのジョンはものすごいことになっています。
「グラス・オニオン」「ハピネス・イズ・ア・ウォームガン」「ヤー・ブルース」「セクシー・セィディー」…。明らかにこれまでのジョンとは違う作風というよりも、これまでのジョンをさらにひとまわり大きくしたような作品の数々は、まさに我々の知るジョン・レノンその人の「誕生」と言ってもいいと思います。それは、恐らくヨーコ・オノとの出会いにより、ジョン+ヨーコ=ジョン・レノンとして初めて創作活動をした、前向きなエネルギーのなせる業だったのではないでしょうか。

ポールも個性溢れる、彼ならではの名曲を数多く書いています。「ブラックバード」「アイ・ウイル」「へルター・スケルター」「バック・イン・ザUSSR」などなど、こちらもまた、ヨーコと組んだジョンへのライバル意識が、素晴らしい創作パワーを生み出していたように思います。

そして、ジョージは名曲「ホワイル・マイ・ギター…」と「サボイトラッフル」を、リンゴも初のオリジナル「ドント・パス・ミー・バイ」を書き下ろしました。
こうして、パワー分散役のエプスタイン亡き後の4人は、個性をぶつけ合うことで不出世のスーパーバンド「ザ・ビートルズ」を見事に因数分解して見せたのです。

このアルバムの発展形が、完成された4人組ビートルズとしての最終作「アビーロード」のA面であると思います。
「アビーロード」のA面では、4人は個性を体現しつつも、ビートルズとしてひとつにまとまって名曲たちを次々を聞かせてくれます。ジョンの「カム・トゥゲザー」ジョージの「サムシング」ポールの「オー・ダーリン」リンゴの「オクトパス・ガーデン」…。60年代にしてこれだけ完成されたバンドとしてのビートルズを聞かせることは、ある意味腐りはじめの熟しきったリンゴにも近い状態だったのです。すなわち、ここに極まり解散は必然の流れだったのでしょう。

したがいまして、腐りかけのリンゴ状態の最終傑作「アビーロード」につながる「ホワイト・アルバム」は、まさに熟しつつあったリンゴ状態、最高の状態のビートルズを体現するアルバムなのです。

<音楽夜話>トラッドを基礎にしたツェッペリン本当の魅力

2008-01-13 | 洋楽
昨年12月に、70年代最高のロックバンド、レッド・ツェッペリンの1回限りの再結成ライブがロンドンで開催されたそうです。聞くところによれば、2万枚のプラチナ・チケットには、全世界から2千万枚もの応募があったとか。ドラマー、ジョン・ボーナムの死による解散から既に四半世紀以上。いまだ衰えぬ、その圧倒的な人気振りにはただ驚かされるばかりです。

そんな70年代ロックの王者ツェッペリンですから、一度は<音楽夜話>で取り上げなくてはいけないビッグ・ネームです。

私がリアルタイムで聞いた彼らの新譜は、73年「聖なる館」で、なぜか当時の評価はイマイチでした。前作の「Ⅳ」が、アルバム収録曲の水準のバラつきはあったものの、何をおいてもあの名曲「天国への階段」が収録されていること、他にもハードなナンバーとして彼らを代表する「ブラック・ドック」「ロックンロール」の2曲が入っていることで、次作「聖なる館」は、やや地味な印象で捉えられたアルバムだったように思います。

ただ当時から私は、「Ⅳ」よりもむしろ「聖なる館」派でして、このアルバムと次に出された同路線の2枚組「フィジカル・グラフィティ」(=写真)は、いまだに愛聴盤として時折BGMで聞いております。

私が考える「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」に共通した素晴らしさは、この2枚でハード一辺倒ではない、彼ら独自のスタイルが確立されたことです。よく知られるように、ツェッペリンの音楽的ルーツには、実はブリティッシュ・トラッド・フォークの流れがあります。「Ⅲ」のアルバムで初めて明確に顔を出したその傾向が、「Ⅳ」収録の「天国への階段」という名曲の創作を経てターニング・ポイントを迎え、「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」で見事にツェッペリンのひとつのスタイルとして、昇華されたと捉えています。

「聖なる館」収録曲では「レイン・ソング」はまさにそんな代表曲ですし、「デジャー・メイク・ハー」などはレゲエのリズムを取り入れて、彼らのスタイルで扱う余裕すら感じさせます。アップの曲でも「オーシャン」などは、全く重苦しくなく素晴らしくバランスの良いロックに仕上がっています。

こんな流れを経て次作の「フィジカル・グラフィティ」では、「カシミール」や「イン・ザ・ライト」といった、「天国への階段」や「ブラック・ドック」とは異なる領域での名曲が誕生することになるのです。

ちなみに、正統派ツェッペリン・ファンからは怒られるかもしれませんが、「フィジカル・グラフィティ」の次に制作されたハード路線爆走の人気アルバム「プレゼンス」は、私には全くと言ってほど魅力を感じさせない作品なのです。どこか“筋肉バカ”的とでも言うのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、知性があまり感じられない点が決定的なマイナス要因に思えます。

その点「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」は、あらゆる面で知性に溢れています(私の勝手な思いですが…)。敢えてこの2枚から私のフェイバリットを1枚に絞るとすれば、2枚組の楽曲の充実度で「フィジカル・グラフィティ」の方をあげておきたいと思います。以前もお話しましたが、どのアーティストでも、2枚組を出すという行動は、創作活動が充実していることの証でもあるのです。実際には「Ⅲ」から前作までのアウトテイクも収めた内容ですが、そのことがかえって、「Ⅲ」から試行錯誤を重ねてきたひとつの到達点に至らせる結果になったように思いいます。

最後に、彼らの全アルバムを一言づつで評すれば…
荒削りで未完の「Ⅰ」、名曲多数ながら奥行き今一歩の「Ⅱ」、ルーツの旅の入口で迷う「Ⅲ」、創作能力向上もレベルにバラつき多い「Ⅳ」、スタイル確立方向に歩き出した「聖なる館」、スタイル確立&充実一途の「フィジカル・グラフィティ」、スタイル確立後一服でハード一辺倒のおバカ路線「プレゼンス」、金満の緊張感低下で惰性の「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」、おまけの「コーダ」、といったことろです。

正統派ツェッペリン・ファンではないので、何卒ご容赦を。

<音楽夜話>魔法使いは真実のトッド

2008-01-12 | 洋楽
トッド・ラングレン話が思いの外の盛り上がりだったので、続編です。

トッドが日本で最初に盛り上がったのは、74年頃。2枚組の名盤アルバム「サムシング・エニシング」を、日本独自に1枚に編集した(当時のことですから、無許可“勝手編集”ですよね)「ハロー・イッツ・ミー」なるLPでした。タイトル・ナンバーもシングルが切られて、深夜放送などでけっこうかかっていました。

なんと言っても強烈だったのはアルバムのジャケ写真で、孔雀のような羽衣装に化粧顔でマスカラマツゲがヤケに目立つ、“三輪さん”もどきのトッドのアップだったのです。私が関心を持ったキッカケはまさにこの写真。当然キモかったのですが、グラムロックのニュー・フェイスに違いないと思って聞いてみたのでした。

当時のレコード会社各社の洋楽セールスはと言えば、どちらかと言えばゲテモノ的見てくれを前面に押し出して、まずは関心を引くというやり方が常套でした。なにしろ、まだまだビートルズ以外は、洋楽そのものが市民権を十分に得ているとは言い難い状況でしたから。

したがって、オリジナル・アルバムの花のイラストジャケットを使ったのでは、お話にならないという判断だったのでしょうね。
私のようにグラムロックと間違えたり、当時人気絶頂だったミッシェル・ポルナレフあたりと同類と思わせられれば、という意図があったのだろうと、今になって分かる気がします。

次に大々的に話題になったのは(とは言っても一部の洋楽マニアの間での話)88年頃。廃盤だったトッドのアルバムの一斉復刻と、それに続くソロ来日公演でした。

アルバムの復刻事件は、雑誌「ミュージック・マガジン」(中村とうよう責任編集だったレココレの親分雑誌)+「レココレ」での、大トッド特集となりピークを迎えました。レコード会社も、「ミュージック・マガジン」の表紙イラストレーターが描く似顔絵ジャケ(=写真)の、日本独自ベストCDをリリースするほどの力の入れようで、今思えばトッドとしては異常な盛り上がりだったように思います。

私的にはと言えば、初めて聞く2枚組“完全版”の「サムシング・エニシング」、それまで中古盤屋で高嶺の花で手が出せなかった「バラッド・オブ…」などなどを入手し、まさに聞き倒しておりました。

88年の来日では、渋谷タワーレコード(東急ハンズ近くにあった時代です)でなんとサイン会があったのですよ!私はサインはもらわなかったですが、スッゴい気さくな人柄で、気軽に握手とかしてくれたのを覚えています。こんな大物のストア・イベントも今みたいな“芋洗い”状態じゃなくて、なんかすごくアトホームで和気あいあいとした時代だったなぁと懐かしく思います。

それで、同じ日の夜に渋公でみたワンマン・コンサート。これがものスゴくて、いまだにその感動をよ~く覚えています。当時では珍しかった完全打ち込みのバンドデータとトッドのギター、ピアノとの“競演曲”と単純な弾き語り曲を織り混ぜたライブは、未来のコンサートに招待されたような新鮮な驚きと感動の連続で、天才トッドはやはり魔法使いであったと、つくづく実感させらたのでした。

廃盤復刻記念ライブだったので、選曲もベスト・オブ・ベスト。「ラブ・オブ・ザ・コモンマン」「アイ・ソー・ザ・ライト」「ジャスト・ワン・ビクトリー」「キャン・ウイ・スティル・ビー・フレンド」などなど。鳥肌が立ち過ぎて、風邪ひいたのを覚えています。あはは…。

聞くところによると、現在はハワイ在住とか。似合わないなぁ~。個人的には、いくつになっても変わらず、ニューヨークの小汚い裏通りあたりの地下スタジオで、マニアックな音づくりに精出しているイメージなんですけどね。

なぜ今パナソニックに?遅きに失した松下のブランド戦略

2008-01-10 | マーケティング
松下電器産業が10日、社名変更とブランドの一本化に関する対外発表をおこないました。従来の松下、ナショナル、パナソニックの3本からなる社名およびブランドを、今年10月1日をもって、パナソニックに一本化するというものです。

ここからは、コンサル的観点からの個人的見解です。

私は以前から、松下電器産業のブランド戦略の遅れについて問題視し続けていました。総合家電大手メーカーとして、白物では日立、東芝、音響、映像ではSONYがそのライバル企業です。しかしながら、重電部門を主要業務分野に併せ持つ日立、東芝とは、対消費者イメージ戦略では明らかに異なる路線を歩むべき企業であり、どちらかと言えば消費者との距離感では圧倒的にSONYをライバルと考えブランドおよびイメージ戦略を練り上げる必要があるのだと思っています。

しかも、早くから特約店「ナショナルのお店」を全国的に配置し、消費者との太いパイプの確保と消費者に一番近い家電メーカーというイメージづくりには、いち早く成功をしてもいたのです。

高度成長終盤からバブル期を境にして、日本の消費構造は大きく変貌し、家電は特約店で買う時代から、量販店およびディスカウント家電販売で購入する時代に変わりました。その時代を背景にSONYはマスマーケットを存分に活用したブランド構築に成功し、「世界のSONY」の地位と名誉を確立したのです。

一方の松下は迷いに満ち溢れ、特約店セールスを捨てきれず、時代におされマス中心の販売戦略に移行しつつも、ブランド戦略的にはどっちつかずの並列路線が長年にわたって続いてきたのです。その結果が、「松下」「ナショナル」を捨て切れなかった中途半端さなのです。

理由は簡単。あまりに偉大な創業者松下幸之助の「松下」と、その功績である特約店方式および高度成長期の同社の成長を支えた白物家電の象徴である「ナショナル」。それを捨てさせなかったものは、“経営の神様”と言われた偉大なる創業者の「亡霊」以外の何ものでもなかったというのは、間違いないところです。

私が中学生の頃から音響分野で「パナソニック」は使われはじめ、さらに就職する頃には、海外の子会社は皆各国名+「パナソニック」の社名がつけられていました。
その当時に、全世界的にパナソニックブランドで統一をはかっていたならば、今家電をメインで購入する世代はもはや「松下」の名前も、松下幸之助の名前も知らずに、「パナソニック」の企業イメージは彼らに対して「世界のパナソニック」として「世界のSONY」と並ぶブランド力を持っていたかもしれません。

ここまで引っ張りに引っ張って、今さらの「パナソニック」統一。なぜ今なのか、なぜ一本化なのか、なぜパナソニックなのか、読みきれません。海外では既に以前からパナソニックで統一されているのであり、今さらの「海外でのイメージ戦略強化」というコメントもしっくりこない感じがしています。

並列ブランドの一本化ブランド構築は、そのブランドにとってエポックメイキングな“強力な商品”の出現期や、圧倒的業績好調時等に実行することでより強いブランドイメージを作り上げることができるものです(あるいはタイミングによっては、古いデザインを逆手にとった「ナショナル」への一本化策で、写真のようなレトロ感を全面に出したブランド構築という手もあるのでしょうが…)。
逆にそのような時期でないブランド戦略ならば、むしろ一本化よりも従来のイメージを発展させた、新しいブランドイメージの構築の方が効果が出る場合が多いのです。

なんとも真意がはかりかね、ブランド構築という点からは勉強不足な感が否めない今回のブランド・イメージ戦略。思えば創業者の松下幸之助は、トヨタ自動車と双璧の「日本的経営」を築き上げた“経営の神様”でした。後継の同社経営者は代々、ブランドイメージ構築が国際的に見てヘタクソであると言う部分で、立派に「日本的経営」を引き継いでいるのかもしれません。

経営のトリセツ17 ~ 80:20の法則

2008-01-09 | 経営
経営のセミナーや書籍などによく登場する「80:20」の法則をご存知でしょうか?けっこう使える法則なので覚えておくと良いように思います。

「80:20の法則」、正式名を「パレートの法則」と言います。
かんたんに言うと、ビジネス界において「売上の80%は20%の顧客が生み出す」とか、「売上の80%は20%の社員の実績である」とか、「売上の80%は20%の商品で占められている」とか…。経済や実業において、「80:20」は黄金比率であるという、イタリアの経済学者パレート教授の教えなのです。

氏が唱えて約100年、多くのビジネス・パーソンがその黄金比率を実感し、またその比率を頭においてあらゆるビジネス展開に活かすことで、多くの成功が導かれてきたのでした。今では「成功の経験則」とまで言われるようになったのです。

そもそも、パレート氏がこの法則に気がついたキッカケは、家庭菜園のエンドウ豆を見ていて、「豆の80%が20%のサヤから取れるものであった」ことに気がついたことであったと言われています。

動物でも同じ傾向が出るそうです。働き蜂の世界でも、よく働く蜂は全体の20%だそうです。では、そのよく働く20%の蜂だけをいろいろな巣から集めて集団を作るとどうなるか。これがまたよく働く蜂は、その中の20%だけになってしまうのだそうです。さらに、あまり働かない蜂ばかり集めてくるとどうなるか。この場合も、20%の蜂がよく働くようになるそうです。

自然界を支配する普遍の法則なのかもしれません。

とすると、これって人間界でも同じことなんじゃないかなぁって思う企業家の方、けっこういますよね。その通り、企業の人事管理、人材育成にも役立つ法則です。

あなたの会社の売上が20%の社員によって支えられていると感じられた場合、それ以外の80%の社員をクビにして、他社から同程度に稼げる稼ぎ頭組の20%に入るような人材ばかりをヘッドハントしてエリート集団を作れたら素晴らしい会社になるだろう、なんて夢物語を頭で描いたことが1度や2度はありませんか。

これは結論から言うと、たぶんそれは無駄な投資に終わるようです。結果は、その集まったエリート集団の中で、自然自然と全体の80%を稼ぐ20%の社員群ができてしまうようです。まぁ全体の売上が多少底上げされることはあるでしょうが、業績に大きく貢献するのは20%の社員に落ち着くことに変わりないようです。

他球団の4番打者ばかりを集める巨人軍が、決して強くないのとどこか似ている気がしますよね。

ですから、逆にエース級の営業マンが転職で去ってしまったとしても、残りの社員の社員の20%が全体売上の80%を稼ぐようになるもののようです。あとは全体の売上を落とさないように意識教育や戦術策定をおこなえば、エースの戦線離脱はそう怖くないとな言えるでしょう。

こちらは、新庄、小笠原が抜けた日本ハムが、それでも連続リーグ優勝できたことに似てるように思います。

他にもこの法則の使い方として、何か組織運営上問題が発生したとき、その問題の原因となっている要因をまず洗い上げ、その中で全体のトラブルの80%の原因になっている20%の事柄を見つけて優先的に解決すれば、早期に解決方向に向かわせる効率的なやり方になる、という考え方ができるのです。

また、流通業界などでは、この「80:20の法則」を利用して、20%の売れ筋商品を優先したMD戦略を立てたり、20%の顧客を重点的に攻めるCRM戦略を実践したり、古くから活用されています。
近年話題になった「ロングテール戦略」は、この法則を逆手にとって、ITの活用等により稼ぎ頭以外の80%部分の売上を増やせば全体の売上がアップするという、新しい理論を構築しています。

いずれにしましても、「80:20の法則」は使い方ひとつで、様々に役立つ「法則」であることは確かなようです。

ブルーレイを勝利に導くか?永ちゃん的“いいオヤジ”の魅力度

2008-01-08 | マーケティング
突然ですが、「オヤジ」って単語は蔑みの言葉でしょうか?

確かに、「オヤジくせぇ~」とか「オヤジ入ってる」とか、モロに「オヤジじゃ~ん」とか…。どうもここ十年ばかりは、お世辞にもほめ言葉ではない使われ方がほとんどで、もはや「オヤジ」は皆、忌み嫌われる象徴になり下がった感がありました。
そんな中で、一昨年の「ちょいワルオヤジ」という新語の登場は、待望久しい、オヤジでも“いいオヤジ”には復権のチャンスが与えられる可能性あり、とのわずかな希望の光を感じさせてくれる出来事でありました。

そんな土台もあってのことでしょうが、この冬のCMで“いいオヤジ”として“オヤジ株”を急上昇させてくれたのが、「永ちゃん」こと矢沢永吉です。

事の発端は、次世代DVD「ブルーレイディスク・デッキ」の12月ボーナス商戦での売れ行きが、予想外に好調で品薄状態が続いたことにあります。どうも、これにはSONYブルーレイ・デッキの矢沢のCMが大きく貢献したようであると、マーケティング業界で大評判になっているのです。

低価格化がいくらか進んだとは言え、まだまだ高額家電の次世代DVD機器。これを所得にある程度の余裕があり、AV機器に関心が高い中年男性層を購入ターゲットとして狙いを定め、矢沢をイメージキャラクターに据えたSONYのCM展開が想定外に大あたりしたというのです。六十路を迎えなお一貫して通すツッパリキャラが、一緒に年を重ねた彼より一世代若い“オヤジ層”の絶大な支持を得た結果のようです。

永ちゃんは、若い頃はどちらかと言うと「カッコつけのツッパリ」で、中身を感じさせない軽薄さにも似たムードが災いして、暴走族などの特殊な層からの熱烈な支持はあったものの、そのことが一般的な支持を集めにくくして万人受けを遠ざけていました。
当時の同年代のアーティストとの比較で言えば、吉田拓郎あたりの方が、「等身大の男らしさ」が受けて、一般的な男性層から圧倒的な支持を得ていたように思います。私個人も永ちゃんはどうでもよかったのですが、拓郎に関してはレコードを買ったりコンサートに行ったりかなりのファンでした。

ところが、年を経てみると、拓郎の“急激な角の取れ方”や若い頃からは想像もできない“大衆媒体への迎合化路線”、加えてその迫力を欠く風貌の変化は如何ともしがたく、昔を懐かしむ対象ではあっても、当時の「憧れの兄貴」的存在からは大きくかけ離れてしまったのでした(彼を襲った病との闘いも大きく影響をしているとは思いますが…)。

一方の永ちゃん。あの永ちゃん一流の物言い、臭いほどのカッコつけのスタイル、その臭うような風貌、マスメディアとの独自の距離感、どれをとっても昔のまま。「本物は続く、続ければ本物になる」との格言のもあるように、40年来一貫した「永ちゃんスタイル」は、今や男の色気を感じさせ芸術の域に達したとも言えるほど。我々「永ちゃん弟世代」から見れば、一般的にも十分カッコいい存在になってしまったのでした。今や、「不良性不変の魅力」という意味では、あのローリング・ストーンズとも相通じる「カッコいいオヤジの鏡」であります。

その彼に、「そのDVDの矢沢はハイビジョンじゃないの? テレビはハイビジョンなのに…」「もったいない」と一言。我々世代には強烈なインパクトですね(あの独特の言い方での「ブルーレイ」の発音がまた、耳に残るというよく練られたCMです)。
でおそらく、
→商品メインターゲット層たる我々世代がこのCMに引っ張られる
→「来年のオリンピックあたりには検討してもいいかな」の予定が早まる
→ついつい「ブルーレイ」を買う
この流れが、予想外のボーナス商戦での“ブルーレイ旋風”を巻き起こしたのは違いないところです。

迎え撃つ、東芝陣営を中心としたもう一方の次世代DVD、HD-DVD陣営は、両陣営の商戦の天王山は次の夏とみたか、商品投入、CM戦略ともかなりな出遅れ感がありました。
そもそも商品化前の下馬評では、現行DVDも再生できるHD-DVDデッキ陣営有利と言われていた戦いですが、この冬の永ちゃんの活躍で一気に逆転された感が強くなりました。

イメージキャラクター戦略にはイメージキャラクター戦略で対抗し、永ちゃんを凌駕するキャラクター戦略を展開することこそが、巻き返しのポイントになるでしょう。強烈なイメージ戦略で先行された場合、後追い側が別の戦略でかわそうとするのは、イメージでの敗戦を認めた形になり「負け組イメージ」が定着して命取りになりかねません。

最新のニュースでは、ワーナーに続いて「パラマウントがHD-DVD陣営から離脱か?」、との報道も流れています。これも“永ちゃん効果”?
次の一手で負ければ、後がなくなる可能性もあるだけに、東芝陣営が果たして誰を起用してくるのか興味津々です。

ひとつだけ言えること。東芝さん、年とともに‘劣化’する拓郎タイプはおやめになった方がよさそうですよ。

原油価格高騰 ~ 投機筋に求めたい基本的投資モラル

2008-01-07 | ニュース雑感
日経平均が本日も続落。年明け前後から下げ止まらない様相を呈してきました。

そもそも、ここ半年間の株価の下落の主因は、ご存知の通り「サブプライム問題」に尽きます。出口の見えないこの問題と、米国経済の先行き不安から、証券市場では金融および主要産業売りが先行し、またドルも大幅に売られることでドル安円高基調に舞い戻ってきました。景気の先行きに黄色信号が点ったと言えます。

それにさらに追い討ちをかけているのが、原油高。1バレル=100ドルを越す史上最高値を更新するなど、過去に例を見ない勢いで原油価格が上昇を続けています。原油価格上昇は物価上昇を引き起こし、景気の信号は赤に変わっていくことになりかねません。

そもそも今回の原油高ですが、米国のサブプライム問題に嫌気したヘッジファンドなどの投機筋が、中国やインドなどの将来的な経済成長を見越して大挙原油市場に流れ込んだ結果、実際の需給関係とは無関係の狂乱相場を作り出したものです。
70年代のオイルショックや湾岸戦争時の原油価格急騰は、いずれも産油国側の供給制限に端を発した相場変動であっただけに、今回の相場急騰は実態を伴わないマネーゲーム型の異常な事態であると言えます。

需給関係とは無縁???
そもそも相場とは、需給関係を背景にして動かされるべきものであり、そうでない動きが相場を支配し、かつそれが生活に欠かせないモノであるとすれば、事態は由々しき問題であるのです。

石油は、現代の人間生活にとって欠かせざるエネルギーです。石油の価格上昇は、電力供給価格への影響はもとより、ガソリン価格上昇は輸送コストを確実に押し上げますし、ひいてはあらゆる産業のコストアップ、イコール市民生活への大打撃に確実につながるものと言えます。

その価格が、人為的な、至って投機的なものに左右されていいのでしょうか?

管理価格制度の考え方は、日本の過去にも存在した国家専売等による価格統制のようなやり方にならざるを得ず、確かに市場原理を損なうものであり好ましくありません。しかしながら、石油のような人類の生活を根底から覆しかねない資源については、このようなマネーゲームの標的にされるのであれば、政府間協議レベルでの国際的管理も必要になるのではないか、とさえ思わせられる今回の「事件」です。

「100ドルはまだ始まり。120ドル、150ドル、その先もあると覚悟していた方がいい」。大手商社のエネルギー担当者は、中、長期的に値上がりが止まる理由は全くない、と断言しています。
マネーがマネーを呼ぶ循環に入った原油相場。「世界経済が失速、本当に石油危機に陥るまで(価格高騰に)ブレーキはかからない」と市場関係者の間ではあきらめとも取れる見方すら出始めているのです。

生活の根幹を支えるエネルギー相場を高騰の一途に陥れる投機筋。いかに投資で大きな利益を上げようとも、長期的な世界経済の冷え込みを自らの手で作り出すようなやり方は、人類が自ら作った人為的な要因が世界を滅ぼしていくかのようなSF的地球滅亡ストーリーにもなぞられる、ある種「戦争」にも似た愚かな行為ではないのでしょうか。

今回の「事件」で議論されるべきは、石油依存脱却型の今後の産業のあり方ではありません。マスコミ各社は、今回の主犯格であるヘッジファンドをはじめとした投資家たちに対して、投機筋自身も含めた市民生活の根幹を揺るがしかねないような投資活動は自粛すべき、との「投資の基本モラル」を声を大にして求めるべきではないかと思うのです。

<音楽夜話>"師"と仰ぐ二人の「プロデューサー兼アーティスト」

2008-01-06 | 洋楽
私が、仕事の面で「師」と仰ぐアーティストが二人います。
アル・クーパーとトッド・ラングレン。この二人の共通点が即座に分かる方は、相当な洋楽通ですね。

先に答えを明かしておくと、彼らはいずれも「一流のプロデューサー兼一流のアーティスト」であるということです。

アル・クーパーはディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」での印象的なオルガン演奏で脚光を浴び、その後は、ジャズ的管楽器とロックの融合をコンセプトにブームの先駆けとなる"ブラス・ロック"を標榜し、ブラッド・スウェット&ティアーズをプロデューサー兼メンバーとして結成。デビューアルバムを制作し、大ヒットさせるもののすぐに離脱します。
しかし返す刀で、60年代末期にはマイク・ブルームフィールドおよびスティーブン・スティルス、カルロス・サンタナらとの「スーパー・セッション」「フィルモアの奇蹟」「クーパー・セッション」などで、今度は"スーパー・セッション・ブーム"を演出。企画屋アーティストして大ブレイクしました。

その後の彼は、ルーツ・ロックの流れを汲む南部のロックバンドの発掘を志して新たなレーベルを設立。名バンド、レーナード・スキナードを自らのプロデュースで、その新レーベルからデビューさせ、またもや"サザン・ロック・ブーム"を巻き起こしました。
その間も、自身はアーティストとして、コンスタントに作品をリリース。特に72年のアルバム「赤心の歌」は、バラードの名盤として日本でも人気の一枚です。

一方の、トッド・ラングレン。60年代は、ロックバンドNAZZの一員として活躍の後ソロデビュー。アルバム「バラッド・オブ・トッドラングレン」「サムシング・エニシング」「魔法使いは真実のスター」等の名作を連発し、天才アーティストとしての名声を確立します。同時にロックバンド「ユートピア」を結成し、プログレッシブなバンド活動を並行して展開。ユートピアは精力的なライブ活動をしつつ、ヒットアルバムも出しています。

これらアーティスト活動の傍ら、彼もまたプロデューサーとして驚異的に活躍します。代表的な仕事としては、グランド・ファンクの「アメリカン・バンド」。ただ重たいばかりのアメリカン・ハード・ロックバンドを、都会的に実にスマートに変身させ大ヒットを連発させます。あの名曲「ロコ・モーション」のロック・バージョンを彼らに取り上げさせ、全米№1ヒットとしたのもトッドでした。
他にも、バッド・フィンガー、ホール&オーツ、ニューヨーク・ドールズ、そしてXTCなど個性派アーティストを次々プロデューサーとして演出。時代を先取りし時代をつくるプロデューサーとして、輝かしい功績を残しています。

二人の共通点は、単にプロデューサー兼アーティストと言う職業的事実にとどまりません。プロデューサーとしては次々新しい潮流を創造する斬新なブーム・メーカーでありながら、アーテイストとしてはノーマルで美しいメロディメーカー的一面も持ち合わせる、言わばクリエーターとして絶妙のバランス感覚を兼ね備えているという点も共通しているのです。

私の個人的な評価での、彼ら二人の各分野でのベスト・ジョブですが…
☆アル・クーパーは、
プロデューサー:「ナッシン・ファンシー/レーナード・スキナード」
アーティスト:「紐育市(お前は女さ)」
☆トッド・ラングレンは、
プロデューサー:「アメリカン・バンド/グランド・ファンク」
アーティスト:「バラッド・オブ・トッド・ラングレン」(=写真)
あたりですね。

さて、なぜこの二人の話を長々したかですが…。
私の場合は、コンサルタント兼実業家というのが自称の肩書きなのですが、言ってみれば、コンサルタント=プロデューサー、実業家=アーティストであると思っています。
私は音楽家でもないのに冒頭に「仕事の面での師と仰ぐ」と申しましたのは、自分のフィールドでこの二人のようなビジネスパーソンになりたいと心から思っているわけで、こうして年の初めにあたり再度自分のめざすべき道を確認させていただいた次第です。

アル先生もトッド師匠も、プロデューサーとアーティストの仕事が有機的にからみあって、相互にいいシゲキをし合いどちらの仕事にもそれぞれがプラスに働いている、そんなプロデューサー兼アーティストであったと思います。

私も、彼らのような「名プロデューサー兼名アーティスト」に少しでも近づけますよう、コンサル活動と事業活動が相互にうまく関係してシゲキしあいつつ共に向上していく、そんな活動を今年はもっともっと形にしていきたいと思っています。

金杯で乾杯?完敗?

2008-01-05 | 競馬
年の初めの運だめしは、毎年東西の「金杯」です。

中央競馬は正月は毎年5日スタートと決められています。本年はたまたま土曜日ですが、平日開催の年などでは、おとそ気分のサラリーマン諸氏が場外馬券場に部下の新人くんを馬券購入に走らせたりして、馬券と酒を片手に職場でテレビ観戦して盛り上がったりとか…。って古き良き時代のお話?

中山金杯の「経験則」ですが、ハンデ戦というのは傾向としてあるのが荒れることぐらいで、荒れる要素というのはその年の人気馬がなぜ人気になっているかによりますから、一定の「経験則」を導き出しにくいものです。

ただこのレースは、記憶では、前年末のツキを持ち越す騎手がいたりとかするように思います。ならば今年は断然蛯名騎手ですね。有馬記念のマツリダゴッホの大穴激走の勢いをそのまま、08年金杯に持ち込んでもらいましょう。
昨年3着なのに人気薄、ディープインパクトの兄、蛯名の⑦ブラックタイドからのワイド馬券に注目。

西の京都金杯。金杯は根拠なく「キン」とか「カネ」の字の馬がよく来るとも言われています。今年は⑧キンサシャノキセキ、⑩カネトシツヨシオーが資格ありですね。
気になる大穴。このレースに相性のいい⑬アルビレオが、複勝でも10倍以上なので注目です。

今年も「金杯で完敗」ってかな?