日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

なぜ今パナソニックに?遅きに失した松下のブランド戦略

2008-01-10 | マーケティング
松下電器産業が10日、社名変更とブランドの一本化に関する対外発表をおこないました。従来の松下、ナショナル、パナソニックの3本からなる社名およびブランドを、今年10月1日をもって、パナソニックに一本化するというものです。

ここからは、コンサル的観点からの個人的見解です。

私は以前から、松下電器産業のブランド戦略の遅れについて問題視し続けていました。総合家電大手メーカーとして、白物では日立、東芝、音響、映像ではSONYがそのライバル企業です。しかしながら、重電部門を主要業務分野に併せ持つ日立、東芝とは、対消費者イメージ戦略では明らかに異なる路線を歩むべき企業であり、どちらかと言えば消費者との距離感では圧倒的にSONYをライバルと考えブランドおよびイメージ戦略を練り上げる必要があるのだと思っています。

しかも、早くから特約店「ナショナルのお店」を全国的に配置し、消費者との太いパイプの確保と消費者に一番近い家電メーカーというイメージづくりには、いち早く成功をしてもいたのです。

高度成長終盤からバブル期を境にして、日本の消費構造は大きく変貌し、家電は特約店で買う時代から、量販店およびディスカウント家電販売で購入する時代に変わりました。その時代を背景にSONYはマスマーケットを存分に活用したブランド構築に成功し、「世界のSONY」の地位と名誉を確立したのです。

一方の松下は迷いに満ち溢れ、特約店セールスを捨てきれず、時代におされマス中心の販売戦略に移行しつつも、ブランド戦略的にはどっちつかずの並列路線が長年にわたって続いてきたのです。その結果が、「松下」「ナショナル」を捨て切れなかった中途半端さなのです。

理由は簡単。あまりに偉大な創業者松下幸之助の「松下」と、その功績である特約店方式および高度成長期の同社の成長を支えた白物家電の象徴である「ナショナル」。それを捨てさせなかったものは、“経営の神様”と言われた偉大なる創業者の「亡霊」以外の何ものでもなかったというのは、間違いないところです。

私が中学生の頃から音響分野で「パナソニック」は使われはじめ、さらに就職する頃には、海外の子会社は皆各国名+「パナソニック」の社名がつけられていました。
その当時に、全世界的にパナソニックブランドで統一をはかっていたならば、今家電をメインで購入する世代はもはや「松下」の名前も、松下幸之助の名前も知らずに、「パナソニック」の企業イメージは彼らに対して「世界のパナソニック」として「世界のSONY」と並ぶブランド力を持っていたかもしれません。

ここまで引っ張りに引っ張って、今さらの「パナソニック」統一。なぜ今なのか、なぜ一本化なのか、なぜパナソニックなのか、読みきれません。海外では既に以前からパナソニックで統一されているのであり、今さらの「海外でのイメージ戦略強化」というコメントもしっくりこない感じがしています。

並列ブランドの一本化ブランド構築は、そのブランドにとってエポックメイキングな“強力な商品”の出現期や、圧倒的業績好調時等に実行することでより強いブランドイメージを作り上げることができるものです(あるいはタイミングによっては、古いデザインを逆手にとった「ナショナル」への一本化策で、写真のようなレトロ感を全面に出したブランド構築という手もあるのでしょうが…)。
逆にそのような時期でないブランド戦略ならば、むしろ一本化よりも従来のイメージを発展させた、新しいブランドイメージの構築の方が効果が出る場合が多いのです。

なんとも真意がはかりかね、ブランド構築という点からは勉強不足な感が否めない今回のブランド・イメージ戦略。思えば創業者の松下幸之助は、トヨタ自動車と双璧の「日本的経営」を築き上げた“経営の神様”でした。後継の同社経営者は代々、ブランドイメージ構築が国際的に見てヘタクソであると言う部分で、立派に「日本的経営」を引き継いでいるのかもしれません。