日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>トラッドを基礎にしたツェッペリン本当の魅力

2008-01-13 | 洋楽
昨年12月に、70年代最高のロックバンド、レッド・ツェッペリンの1回限りの再結成ライブがロンドンで開催されたそうです。聞くところによれば、2万枚のプラチナ・チケットには、全世界から2千万枚もの応募があったとか。ドラマー、ジョン・ボーナムの死による解散から既に四半世紀以上。いまだ衰えぬ、その圧倒的な人気振りにはただ驚かされるばかりです。

そんな70年代ロックの王者ツェッペリンですから、一度は<音楽夜話>で取り上げなくてはいけないビッグ・ネームです。

私がリアルタイムで聞いた彼らの新譜は、73年「聖なる館」で、なぜか当時の評価はイマイチでした。前作の「Ⅳ」が、アルバム収録曲の水準のバラつきはあったものの、何をおいてもあの名曲「天国への階段」が収録されていること、他にもハードなナンバーとして彼らを代表する「ブラック・ドック」「ロックンロール」の2曲が入っていることで、次作「聖なる館」は、やや地味な印象で捉えられたアルバムだったように思います。

ただ当時から私は、「Ⅳ」よりもむしろ「聖なる館」派でして、このアルバムと次に出された同路線の2枚組「フィジカル・グラフィティ」(=写真)は、いまだに愛聴盤として時折BGMで聞いております。

私が考える「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」に共通した素晴らしさは、この2枚でハード一辺倒ではない、彼ら独自のスタイルが確立されたことです。よく知られるように、ツェッペリンの音楽的ルーツには、実はブリティッシュ・トラッド・フォークの流れがあります。「Ⅲ」のアルバムで初めて明確に顔を出したその傾向が、「Ⅳ」収録の「天国への階段」という名曲の創作を経てターニング・ポイントを迎え、「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」で見事にツェッペリンのひとつのスタイルとして、昇華されたと捉えています。

「聖なる館」収録曲では「レイン・ソング」はまさにそんな代表曲ですし、「デジャー・メイク・ハー」などはレゲエのリズムを取り入れて、彼らのスタイルで扱う余裕すら感じさせます。アップの曲でも「オーシャン」などは、全く重苦しくなく素晴らしくバランスの良いロックに仕上がっています。

こんな流れを経て次作の「フィジカル・グラフィティ」では、「カシミール」や「イン・ザ・ライト」といった、「天国への階段」や「ブラック・ドック」とは異なる領域での名曲が誕生することになるのです。

ちなみに、正統派ツェッペリン・ファンからは怒られるかもしれませんが、「フィジカル・グラフィティ」の次に制作されたハード路線爆走の人気アルバム「プレゼンス」は、私には全くと言ってほど魅力を感じさせない作品なのです。どこか“筋肉バカ”的とでも言うのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、知性があまり感じられない点が決定的なマイナス要因に思えます。

その点「聖なる館」「フィジカル・グラフィティ」は、あらゆる面で知性に溢れています(私の勝手な思いですが…)。敢えてこの2枚から私のフェイバリットを1枚に絞るとすれば、2枚組の楽曲の充実度で「フィジカル・グラフィティ」の方をあげておきたいと思います。以前もお話しましたが、どのアーティストでも、2枚組を出すという行動は、創作活動が充実していることの証でもあるのです。実際には「Ⅲ」から前作までのアウトテイクも収めた内容ですが、そのことがかえって、「Ⅲ」から試行錯誤を重ねてきたひとつの到達点に至らせる結果になったように思いいます。

最後に、彼らの全アルバムを一言づつで評すれば…
荒削りで未完の「Ⅰ」、名曲多数ながら奥行き今一歩の「Ⅱ」、ルーツの旅の入口で迷う「Ⅲ」、創作能力向上もレベルにバラつき多い「Ⅳ」、スタイル確立方向に歩き出した「聖なる館」、スタイル確立&充実一途の「フィジカル・グラフィティ」、スタイル確立後一服でハード一辺倒のおバカ路線「プレゼンス」、金満の緊張感低下で惰性の「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」、おまけの「コーダ」、といったことろです。

正統派ツェッペリン・ファンではないので、何卒ご容赦を。