日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>ロックの歴史を変えた2枚組

2008-01-26 | 洋楽
まだ続く魅惑の2枚組シリーズ。

<音楽夜話>としては、お待たせしましたの感が強いボブ・ディランです。66年の歴史的名作「ブロンド・オン・ブロンド」。

ボブ・ディランという人は、実はビートルズやストーンズ以上の開拓者であり、私は音楽界随一のマーケッターであると思っています。アメリカにおける伝統的フォークからプロテスト・ソングの流れ、さらにはフォーク・ロックの流れを作ったのは彼でした。また60年代末期、ザ・バンドを擁しての「"地下室=ビッグ・ピンク"活動」で、ストーンズやクラプトンの70年代以降を大きく変えたルーツ・ロック・ブームのキッカケをつくったのも彼でした。

こういったディランの活動がなかったら、70年代以降のロックの流れは明らかに違う形になっていたはずなのです。

アルバムづくりという観点からも、ディランの一流マーケッター振りを示す話があります。例えば、アルバムというもの自体がまだ「ヒット曲と埋め草寄せ集めのお徳用盤」だった時代の63年、既に彼はアルバムとしての意義を明確に持たせた「フリー・ホイーリン」や「時代は変わる」といった作品を制作していました。

また、有名曲のカバーアルバムというアルバム・コンセプトは、彼の「セルフ・ポートレート」(70年)がそのハシリなのです。さらに、今ではビートルズの「アンソロジー・シリーズ」をはじめ、あらゆるアーティストが出している「発掘音源集」というアルバム・コンセプトも、彼の「バイオグラフ」(85年)および「ブートレッグ・シリーズ」(91年)が、その源流をつくったのです。

世捨て人のように思われがちなディランですが、実はこのように世捨てどころか、いろいろな形で先頭を切って時代を引っぱり続けてきたのです。

「ブロンド・オン・ブロンド」は66年当時にして、時代の最先端であるフォークロック・スタイルを完成させ、いち早く70年代以降のロックの流れを予見したアルバムであり、マーケッター=ディラン面目躍如と言える作品なのです。

しかも、レコード2枚組という"暴挙"。当時ポピュラー・ミュージックのアルバムが2枚組で出されるというのは思いもかけない事であり、衝撃の出来事でした。68年にビートルズが2枚組のホワイト・アルバムを出したのも、ディランに習ってのことに違いないのです。ビートルズにとってさえも、彼はまさに開拓者だったのです。

前々作「ブリング・イット・オールバック・ホーム」で芽生えたロック化の息吹が、前作「追憶のハイウェイ61」の「ライク・ア・ローリング・ストーン」でより衝撃的に演出され、さらにこの「ブロンド・オン・ブロンド」制作に至って、新生ディラン誕生を明確に印象づけたのでした。

「雨の日の女」「スナー・オア・レイター」「女の如く」「我が道を行く」「アイ・ウォント・ユー」「メンフィス・ブルース・アゲイン」など名曲揃いの全14曲。その後現在まで脈々と続くディランの音楽スタイルを、まさに形にしたと言える大名盤です。

余談ですが、私がこのアルバムを大好きになったキッカケは、20年近く前、ジャーナリストで世界情勢評論家の田中宇(当時共同通信記者)※と飲んだ、京都四条界隈の元ベ平連のオヤジがやっている客のいないお店での出来事。真夜中に激論を戦わせる我々の話を聞きながら、オヤジが淡々とレコードの皿をひっくり返し続けたのがこのアルバムで、その時のえも言われぬトリップ感が忘れがたいのです…。

曲、演奏、歌声…、とにかく"ディランの塊"とも言うべき不思議な力を持った歴史的名盤です。なぜか真夜中が似合います。

※「田中宇の国際ニュース解説」 → http://tanakanews.com/