日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>"師"と仰ぐ二人の「プロデューサー兼アーティスト」

2008-01-06 | 洋楽
私が、仕事の面で「師」と仰ぐアーティストが二人います。
アル・クーパーとトッド・ラングレン。この二人の共通点が即座に分かる方は、相当な洋楽通ですね。

先に答えを明かしておくと、彼らはいずれも「一流のプロデューサー兼一流のアーティスト」であるということです。

アル・クーパーはディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」での印象的なオルガン演奏で脚光を浴び、その後は、ジャズ的管楽器とロックの融合をコンセプトにブームの先駆けとなる"ブラス・ロック"を標榜し、ブラッド・スウェット&ティアーズをプロデューサー兼メンバーとして結成。デビューアルバムを制作し、大ヒットさせるもののすぐに離脱します。
しかし返す刀で、60年代末期にはマイク・ブルームフィールドおよびスティーブン・スティルス、カルロス・サンタナらとの「スーパー・セッション」「フィルモアの奇蹟」「クーパー・セッション」などで、今度は"スーパー・セッション・ブーム"を演出。企画屋アーティストして大ブレイクしました。

その後の彼は、ルーツ・ロックの流れを汲む南部のロックバンドの発掘を志して新たなレーベルを設立。名バンド、レーナード・スキナードを自らのプロデュースで、その新レーベルからデビューさせ、またもや"サザン・ロック・ブーム"を巻き起こしました。
その間も、自身はアーティストとして、コンスタントに作品をリリース。特に72年のアルバム「赤心の歌」は、バラードの名盤として日本でも人気の一枚です。

一方の、トッド・ラングレン。60年代は、ロックバンドNAZZの一員として活躍の後ソロデビュー。アルバム「バラッド・オブ・トッドラングレン」「サムシング・エニシング」「魔法使いは真実のスター」等の名作を連発し、天才アーティストとしての名声を確立します。同時にロックバンド「ユートピア」を結成し、プログレッシブなバンド活動を並行して展開。ユートピアは精力的なライブ活動をしつつ、ヒットアルバムも出しています。

これらアーティスト活動の傍ら、彼もまたプロデューサーとして驚異的に活躍します。代表的な仕事としては、グランド・ファンクの「アメリカン・バンド」。ただ重たいばかりのアメリカン・ハード・ロックバンドを、都会的に実にスマートに変身させ大ヒットを連発させます。あの名曲「ロコ・モーション」のロック・バージョンを彼らに取り上げさせ、全米№1ヒットとしたのもトッドでした。
他にも、バッド・フィンガー、ホール&オーツ、ニューヨーク・ドールズ、そしてXTCなど個性派アーティストを次々プロデューサーとして演出。時代を先取りし時代をつくるプロデューサーとして、輝かしい功績を残しています。

二人の共通点は、単にプロデューサー兼アーティストと言う職業的事実にとどまりません。プロデューサーとしては次々新しい潮流を創造する斬新なブーム・メーカーでありながら、アーテイストとしてはノーマルで美しいメロディメーカー的一面も持ち合わせる、言わばクリエーターとして絶妙のバランス感覚を兼ね備えているという点も共通しているのです。

私の個人的な評価での、彼ら二人の各分野でのベスト・ジョブですが…
☆アル・クーパーは、
プロデューサー:「ナッシン・ファンシー/レーナード・スキナード」
アーティスト:「紐育市(お前は女さ)」
☆トッド・ラングレンは、
プロデューサー:「アメリカン・バンド/グランド・ファンク」
アーティスト:「バラッド・オブ・トッド・ラングレン」(=写真)
あたりですね。

さて、なぜこの二人の話を長々したかですが…。
私の場合は、コンサルタント兼実業家というのが自称の肩書きなのですが、言ってみれば、コンサルタント=プロデューサー、実業家=アーティストであると思っています。
私は音楽家でもないのに冒頭に「仕事の面での師と仰ぐ」と申しましたのは、自分のフィールドでこの二人のようなビジネスパーソンになりたいと心から思っているわけで、こうして年の初めにあたり再度自分のめざすべき道を確認させていただいた次第です。

アル先生もトッド師匠も、プロデューサーとアーティストの仕事が有機的にからみあって、相互にいいシゲキをし合いどちらの仕事にもそれぞれがプラスに働いている、そんなプロデューサー兼アーティストであったと思います。

私も、彼らのような「名プロデューサー兼名アーティスト」に少しでも近づけますよう、コンサル活動と事業活動が相互にうまく関係してシゲキしあいつつ共に向上していく、そんな活動を今年はもっともっと形にしていきたいと思っています。