日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

皇太子は戦没者慰霊祭に出席すべきではないか

2012-08-16 | その他あれこれ
昨日は終戦記念日、今年も日本武道館で戦没者慰霊祭が、天皇皇后両陛下、野田首相出席の下開催されました。

愛する人の尊い命を戦争という愚行の犠牲として失った多くの戦没者の遺族の方々が出席されていました。しかし、すでに戦後70年近くを経て戦争を肌身で知る出席者は年々減少し、出席者の7割以上が70代以上の高齢者であったと。次世代への橋渡しが無言のうちになされている時代の移り変わりが、テレビの映像を通じても感じさせられる式典でもありました。それでも、この戦没者慰霊祭はこれからも続けていかなくてはいけないのです。世界に「戦争」と言う概念が存在しなくなる日まで、いや「戦争」という概念が存在しなくなった日が訪れたとしてもいつまた愚かな人間が同じ過ちを繰り返えさぬよう、永久不滅の式典として未来永劫続けていくべき催しなのだと思っています。それが第二次大戦と言う人類史上まれにみる愚かな戦争の当事者国日本の責務でもあると思うからです。

戦争体験を幼少期にされたという方々でさえ既に70代。戦争のない平和な世界の実現を訴え続け明るい未来をつくっていくためには、我々戦後生まれ特に昭和30年代生まれの世代がどれだけ、先代からバトンを受けて戦争の愚かさを語り継ぎ「平和」を訴え続けていけるかにかかっているのではないでしょうか。今ビジネス界をはじめ世一般は我々世代が時代を担い社会をリードしている訳で、平和活動に関しても同じく我々世代がリードオフマン的自覚をもって率先して動かなくてはいけないのです。終戦後十余年を経て生まれ、昭和30~40年代の高度成長期に少年少女時代を過ごし、「平和」であることが当たり前の時代に育った“戦後っ子”として、我々を育んでくれた「平和」のありがたみを、「戦争の愚かさ」を語り継ぐ人が絶え始めた今こそ意識を持ってしっかりと受けつ継ぐべき時に来ていると思うのです。

その意味において、個人的に毎年言い続けている戦没者慰霊祭への皇太子夫妻の列席が今年も実現しなかったことは本当に残念です。皇太子殿下は私と同学年の52歳であります。論語にも「五十にして天命を知る」との言葉もあります。戦前戦中の天皇制を断罪するという意味ではなく、次期天皇即位者である皇太子殿下が、天皇制の下突き進んだ第二次世界大戦と「天皇陛下万歳」と戦地に散った多くの尊い命を思うなら、我々世代の代表として「平和」を願う先導役を積極的に務めて欲しいと思うのです。すでに終戦記念日8月15日が持つ意味合いさえも大きく変わりつつあると思います。過去の犠牲者へ向けられた悲しみや追悼を乗り越え次世代に引き継ぐべき恒久平和を誓う祭典たるべきであり、それを今担うのは我々戦後世代の役割であるはずのなのですから。

「五十にして天命を知る」。我々世代に課された次世代に過去の過ちを語り継ぐという役割を知るならば、同世代の天皇家の人間には先んじて「平和」の尊さを主張する行動をとって欲しいと思いますし、その使命が課されてもいると思うのです。政府宮内庁も、戦没者慰霊祭はシキタリや前例にとらわれず、未来永継続される平和祈念の式典としての位置づけを明確に認識をしていただき、我々世代のリーダーとして皇太子殿下による次世代へ力強いメッセージを伝える場として欲しい。来年には我々世代の恒久平和実現に向けた役割を改めて確認する場とするためにも、皇太子殿下の戦没者慰霊祭出席およびご発言の実現を切に望んで止みません。

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