日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№100~こうして70年代は終わりを告げた…

2009-12-31 | 洋楽
私がこの企画を考えた時、はじめに70年代の定義を決める必要があると考えました。単純に暦で70年1月から79年12月までを70年代とするのは、コンセプチュアルではないからです。なぜ音楽界にとって70年代が特別な時代であるのか、なぜこの企画を思いついたのかを明確にし、ロジカルにしっかりと定義づけをしなくては企画は成立しないと考えたからです。70年代を特別なモノにしたキーワードは、60年代のヒーロー、ビートルズでした。70年4月の解散宣言により70年代はビートルズの後釜探しと、再結成を横睨みする特別な時代になったのです。そのような背景の下、元ビートルズも入り混じって様々な音楽が世に登場しました。そして80年12月、ジョン・レノンの死をもってビートルズの再結成は永久に封印されました。70年代は終わりを告げたのです。企画のスタート時に書いたように、70年代の定義をビートルズ解散の70年4月からジョンが亡くなった80年12月とした段階で№100は必然的に決定していた訳です。

№100   「ダブル・ファンタジー/ジョン・レノン ヨーコ・オノ」

このアルバムの冒頭に入っている小さな鐘の音はジョンの発のソロアルバム「ジョンの魂」の冒頭の「マザー」のビッグベンの鐘の音と同類のものであると、生前ジョンは語っていました。しかしながらこのアルバムに、「ジョンの魂」のような贅肉をそぎ落とし、戦争に、アメリカに、そしてビートルズに闘いを挑んでいた頃のジョンの姿はありませんでした。そこにあるのは、平和と幸福と愛に満ちた歌の世界。ジョンははからずもこのアルバムで、70年代は終わったと宣言したのでした。でもこの愛と平和にあふれたアルバムは、確実にリリース直後の悲しい出来事とセットで記憶されることになってしまい、篠山紀信によるジャケットのモノクロ・カットさえ周到に用意された追悼写真のように思えてしまうのがこのうえなく悲しいのです。

このアルバム、リリース当初ジョンとヨーコの歌が交互に収められていることを腹立たしく思ったことをよく覚えています。なぜジョンの歌だけにしなかったのかとか、半分の価格でジョンの歌だけをレコードにして欲しいとか。でもそれは若気の至りであり、何度も何度も聞き返してみるとジョンの楽曲にとって交互に入るヨーコの曲は欠かせざるものであり、ヨーコの歌とジョンの歌が対になって彼らが意図したこのアルバムのコンセプチュアルな世界が完結するのです。ジョンの楽曲の素晴らしさは言うに及ばずですが、ヨーコの楽曲もジョンの手助けがあったとしても、過去のどの作品よりもノーマルで美しくジョンへの愛に満ちています(前衛芸術家のヨーコも、ジョンのファミリー回帰の影響かかなり丸くなっています)。B7「ハード・タイムス・アー・オーバー」あたりは、けっこうな名曲です。ただ歌い方が大学でオペラ歌唱を学んだせいであるのか、ジョン・レノンのアルバムにはそぐわない感じがするのが少々残念といえば残念です(B2「あなたのエンジェル」などはクィーンみたいで、この歌い方がバッチリの佳曲ですが)。

ジョンの作品7曲は今さら評する必要もないほど素晴らしい曲ばかりです。A1「スターティング・オーバー」は、曲はジョンとヨーコの再出発を祝した歌詞でありながら、曲調や歌い方は明らかにプレスリーやロイ・オービソンを意識して“ロッカー”ジョンの復活を高らかに宣言したのでしょう。B3「ウーマン」はこのアルバムのテーマを凝縮したヨーコへの素晴らしいラブ・ソングです。イントロ冒頭のジョンのつぶやき「For The Other Half Of The Sky(毛沢東語録の一節)」は、まさしくジョンとヨーコが二人でひとつを意味する「ダブル・ファンタジー」を別の言葉で言い換えたもの。ある意味アルバム中もっともAOR的とも言える新たなジョン・レノンを感じさせる曲でもありました。この曲の先にはどんな未来があったのでしょう。残念ながら、それは永遠に封印されてしまいました。

80年12月8日の夜、私は大学の寮で友人たちと酒を飲んでいました。突然寮の仲間が「ジョンが殺された…」と言って青ざめた顔で私の部屋に入ってきました。ラジオをつけると深夜放送はどこもみな「ジョン・レノン緊急追悼特集」を流していました。ひっきりなしに流れるジョンの歌、ビートルズの歌…。酒の酔いもあったのでしょう、頭をハンマーで叩かれたような衝撃で現実と空想の世界が入り混じったような不思議な感覚に陥りました。そして皆言葉少なになり、重苦しい時が流れていきました。ラジオからは「スターティング・オーバー」が…。二人の再起を祝った歌が、終焉の歌になってしまいました。「悲しい…」私は思いました。「70年代が終わったんだね…」、私はつぶやきました。


※これで<70年代の100枚>はめでたく完結です。無事年内に終了の運びとなりました。新年に最終調整を施した100枚の一覧掲載による「まとめ」で締めくくりたいと思います。長い間のご愛読ありがとうございました。また70年代洋楽モノの新企画を検討したいと思いますので、引き続きご愛読いただければ幸いです。

※本年のブログ更新はこれにてすべて終了です。来年もよろしくお願い申しあげます。皆さま、よいお年を。

今年の10大NEWS⑤~1位

2009-12-31 | ニュース雑感
★1位★「政権交代~真の二大政党制は確立されるのか?」

今年の10大NEWS第1位は、世間の10大NEWSと同じく政権交代をおいて他にないと思いました。長期一党支配(細川政権樹立による瞬間的な下野はありましたが)の自民党政権から民主党政権への政権交代は、日本の憲政における大きなターニング・ポイントでもあります。政権交代の一番の理由は自民党の体たらくにありました。企業の寿命が50年と言われるのと同じく、政党も結党以来長期間を経ることによる組織疲弊は必ず訪れる訳で、安部→福田→麻生と雪崩をうつように組織崩壊の危機に直面していながら“第二創業”的な抜本的改革に着手できずに政権を明け渡した同党。現状も依然として過去の延長線上でのぬるま湯状態に変わりなく、民主党の長期政権化の流れは避けられない情勢にあるのかもしれません。一方の民主党も、総選挙前は政権をとるのに必死の形相で「ばらまき公約」を大々的にぶち上げてはみたもののなかなか現実の壁は厚く、首相のリーダーシップの問題も含めこの年末には内閣支持率は急降下の様相を呈してきました。現時点で国民の多くは、「自民党があまりに情けないので、一度民主党にやらせてみたがどうもイマイチだな」という感じではないでしょうか。

民主党のだらしなさの原因は、野党第一党である自民党のだらしなさにもあるのです。毎度申し上げてきましたが、二大政党が足の引っ張り合いではなく政策的に「切磋琢磨」し相互けん制を働かせながら交代で政権を担当する形が本来は望ましい民主主義政党政治のあり方であり、その意味では自民党の抜本的改革(ポイントは派閥解消と若返り)による民主党政権への政策的な面からの牽制があってはじめて、今回の政権交代は意味があったと言えるのです。今まで長きにわたり政権を担っていた自民党であればこそ、従来の野党とは違う野党としての現政権への関わり方が出来るのではないかと言うことなのです。ただ現実にはそのような役割は全く機能しておらず、自民党は来年夏の参院選でさらなる大敗を重ねない事には、抜本的な改革には至れないほど組織が病んでいると言わざるを得ないと思います。いずれにしましても、今年は二大政党制スタートの第一歩を形式的にでも踏み出したと言う点では、意義深い年であったことは間違いありませんが、この第一歩が果たして次につながるか否かはむしろ現第二党の自民党の再生にこそかかっていると、私は思っています(自民党応援団という意味ではありません)。

先般も当ブログで取り上げた「坂の上の雲」に出てくる「一身独立して一国独立す」の言葉通り、日本が政治においても経済においても世界の先進国として主導的立場でであり続けていくためには、2大政党が「切磋琢磨」し「一身独立」することが不可欠な訳であります。今年を我が国の政治近代化の第一歩として明確に位置づけられるためにも、来年は2大政党の国民生活向上を第一に考えた政策論争による「切磋琢磨」に期待したいと思います。


最後に今年の私の1位をいろいろ
・ツール:ipod touch(カンペキ依存症です)
・本:組織は合理的に失敗する/菊澤研宗(経営者、管理者必読!)
・CD:ビートルズ・モノ・ボックス(ホワイト・アルバムのモノ・バージョンに感激!)
・映画:This Is It/マイケル・ジャクソン(感動です)
・ステージ:クリストファー・クロス(ビルボードでのアコースティクな大人のライブに予想外の感動!)
・食べ物:金目鯛刺し(毎年のことですが、あれば必ず注文します)
・店:熊谷「酒蔵はっかい」(昨年レベル・ダウンしましたが今年見事復活!「味」「店」「サービス」すべてよし!)
・人:忌野清志郎(涙、涙…)
・馬:オウケンブルースリ(「まさかまさかの末脚」も、ウォッカにあと一歩及ばず…)