私がこの企画を考えた時、はじめに70年代の定義を決める必要があると考えました。単純に暦で70年1月から79年12月までを70年代とするのは、コンセプチュアルではないからです。なぜ音楽界にとって70年代が特別な時代であるのか、なぜこの企画を思いついたのかを明確にし、ロジカルにしっかりと定義づけをしなくては企画は成立しないと考えたからです。70年代を特別なモノにしたキーワードは、60年代のヒーロー、ビートルズでした。70年4月の解散宣言により70年代はビートルズの後釜探しと、再結成を横睨みする特別な時代になったのです。そのような背景の下、元ビートルズも入り混じって様々な音楽が世に登場しました。そして80年12月、ジョン・レノンの死をもってビートルズの再結成は永久に封印されました。70年代は終わりを告げたのです。企画のスタート時に書いたように、70年代の定義をビートルズ解散の70年4月からジョンが亡くなった80年12月とした段階で№100は必然的に決定していた訳です。
№100 「ダブル・ファンタジー/ジョン・レノン ヨーコ・オノ」
このアルバムの冒頭に入っている小さな鐘の音はジョンの発のソロアルバム「ジョンの魂」の冒頭の「マザー」のビッグベンの鐘の音と同類のものであると、生前ジョンは語っていました。しかしながらこのアルバムに、「ジョンの魂」のような贅肉をそぎ落とし、戦争に、アメリカに、そしてビートルズに闘いを挑んでいた頃のジョンの姿はありませんでした。そこにあるのは、平和と幸福と愛に満ちた歌の世界。ジョンははからずもこのアルバムで、70年代は終わったと宣言したのでした。でもこの愛と平和にあふれたアルバムは、確実にリリース直後の悲しい出来事とセットで記憶されることになってしまい、篠山紀信によるジャケットのモノクロ・カットさえ周到に用意された追悼写真のように思えてしまうのがこのうえなく悲しいのです。
このアルバム、リリース当初ジョンとヨーコの歌が交互に収められていることを腹立たしく思ったことをよく覚えています。なぜジョンの歌だけにしなかったのかとか、半分の価格でジョンの歌だけをレコードにして欲しいとか。でもそれは若気の至りであり、何度も何度も聞き返してみるとジョンの楽曲にとって交互に入るヨーコの曲は欠かせざるものであり、ヨーコの歌とジョンの歌が対になって彼らが意図したこのアルバムのコンセプチュアルな世界が完結するのです。ジョンの楽曲の素晴らしさは言うに及ばずですが、ヨーコの楽曲もジョンの手助けがあったとしても、過去のどの作品よりもノーマルで美しくジョンへの愛に満ちています(前衛芸術家のヨーコも、ジョンのファミリー回帰の影響かかなり丸くなっています)。B7「ハード・タイムス・アー・オーバー」あたりは、けっこうな名曲です。ただ歌い方が大学でオペラ歌唱を学んだせいであるのか、ジョン・レノンのアルバムにはそぐわない感じがするのが少々残念といえば残念です(B2「あなたのエンジェル」などはクィーンみたいで、この歌い方がバッチリの佳曲ですが)。
ジョンの作品7曲は今さら評する必要もないほど素晴らしい曲ばかりです。A1「スターティング・オーバー」は、曲はジョンとヨーコの再出発を祝した歌詞でありながら、曲調や歌い方は明らかにプレスリーやロイ・オービソンを意識して“ロッカー”ジョンの復活を高らかに宣言したのでしょう。B3「ウーマン」はこのアルバムのテーマを凝縮したヨーコへの素晴らしいラブ・ソングです。イントロ冒頭のジョンのつぶやき「For The Other Half Of The Sky(毛沢東語録の一節)」は、まさしくジョンとヨーコが二人でひとつを意味する「ダブル・ファンタジー」を別の言葉で言い換えたもの。ある意味アルバム中もっともAOR的とも言える新たなジョン・レノンを感じさせる曲でもありました。この曲の先にはどんな未来があったのでしょう。残念ながら、それは永遠に封印されてしまいました。
80年12月8日の夜、私は大学の寮で友人たちと酒を飲んでいました。突然寮の仲間が「ジョンが殺された…」と言って青ざめた顔で私の部屋に入ってきました。ラジオをつけると深夜放送はどこもみな「ジョン・レノン緊急追悼特集」を流していました。ひっきりなしに流れるジョンの歌、ビートルズの歌…。酒の酔いもあったのでしょう、頭をハンマーで叩かれたような衝撃で現実と空想の世界が入り混じったような不思議な感覚に陥りました。そして皆言葉少なになり、重苦しい時が流れていきました。ラジオからは「スターティング・オーバー」が…。二人の再起を祝った歌が、終焉の歌になってしまいました。「悲しい…」私は思いました。「70年代が終わったんだね…」、私はつぶやきました。
※これで<70年代の100枚>はめでたく完結です。無事年内に終了の運びとなりました。新年に最終調整を施した100枚の一覧掲載による「まとめ」で締めくくりたいと思います。長い間のご愛読ありがとうございました。また70年代洋楽モノの新企画を検討したいと思いますので、引き続きご愛読いただければ幸いです。
※本年のブログ更新はこれにてすべて終了です。来年もよろしくお願い申しあげます。皆さま、よいお年を。
№100 「ダブル・ファンタジー/ジョン・レノン ヨーコ・オノ」
このアルバムの冒頭に入っている小さな鐘の音はジョンの発のソロアルバム「ジョンの魂」の冒頭の「マザー」のビッグベンの鐘の音と同類のものであると、生前ジョンは語っていました。しかしながらこのアルバムに、「ジョンの魂」のような贅肉をそぎ落とし、戦争に、アメリカに、そしてビートルズに闘いを挑んでいた頃のジョンの姿はありませんでした。そこにあるのは、平和と幸福と愛に満ちた歌の世界。ジョンははからずもこのアルバムで、70年代は終わったと宣言したのでした。でもこの愛と平和にあふれたアルバムは、確実にリリース直後の悲しい出来事とセットで記憶されることになってしまい、篠山紀信によるジャケットのモノクロ・カットさえ周到に用意された追悼写真のように思えてしまうのがこのうえなく悲しいのです。
このアルバム、リリース当初ジョンとヨーコの歌が交互に収められていることを腹立たしく思ったことをよく覚えています。なぜジョンの歌だけにしなかったのかとか、半分の価格でジョンの歌だけをレコードにして欲しいとか。でもそれは若気の至りであり、何度も何度も聞き返してみるとジョンの楽曲にとって交互に入るヨーコの曲は欠かせざるものであり、ヨーコの歌とジョンの歌が対になって彼らが意図したこのアルバムのコンセプチュアルな世界が完結するのです。ジョンの楽曲の素晴らしさは言うに及ばずですが、ヨーコの楽曲もジョンの手助けがあったとしても、過去のどの作品よりもノーマルで美しくジョンへの愛に満ちています(前衛芸術家のヨーコも、ジョンのファミリー回帰の影響かかなり丸くなっています)。B7「ハード・タイムス・アー・オーバー」あたりは、けっこうな名曲です。ただ歌い方が大学でオペラ歌唱を学んだせいであるのか、ジョン・レノンのアルバムにはそぐわない感じがするのが少々残念といえば残念です(B2「あなたのエンジェル」などはクィーンみたいで、この歌い方がバッチリの佳曲ですが)。
ジョンの作品7曲は今さら評する必要もないほど素晴らしい曲ばかりです。A1「スターティング・オーバー」は、曲はジョンとヨーコの再出発を祝した歌詞でありながら、曲調や歌い方は明らかにプレスリーやロイ・オービソンを意識して“ロッカー”ジョンの復活を高らかに宣言したのでしょう。B3「ウーマン」はこのアルバムのテーマを凝縮したヨーコへの素晴らしいラブ・ソングです。イントロ冒頭のジョンのつぶやき「For The Other Half Of The Sky(毛沢東語録の一節)」は、まさしくジョンとヨーコが二人でひとつを意味する「ダブル・ファンタジー」を別の言葉で言い換えたもの。ある意味アルバム中もっともAOR的とも言える新たなジョン・レノンを感じさせる曲でもありました。この曲の先にはどんな未来があったのでしょう。残念ながら、それは永遠に封印されてしまいました。
80年12月8日の夜、私は大学の寮で友人たちと酒を飲んでいました。突然寮の仲間が「ジョンが殺された…」と言って青ざめた顔で私の部屋に入ってきました。ラジオをつけると深夜放送はどこもみな「ジョン・レノン緊急追悼特集」を流していました。ひっきりなしに流れるジョンの歌、ビートルズの歌…。酒の酔いもあったのでしょう、頭をハンマーで叩かれたような衝撃で現実と空想の世界が入り混じったような不思議な感覚に陥りました。そして皆言葉少なになり、重苦しい時が流れていきました。ラジオからは「スターティング・オーバー」が…。二人の再起を祝った歌が、終焉の歌になってしまいました。「悲しい…」私は思いました。「70年代が終わったんだね…」、私はつぶやきました。
※これで<70年代の100枚>はめでたく完結です。無事年内に終了の運びとなりました。新年に最終調整を施した100枚の一覧掲載による「まとめ」で締めくくりたいと思います。長い間のご愛読ありがとうございました。また70年代洋楽モノの新企画を検討したいと思いますので、引き続きご愛読いただければ幸いです。
※本年のブログ更新はこれにてすべて終了です。来年もよろしくお願い申しあげます。皆さま、よいお年を。