日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№97~70年代初頭を彩った天才兄弟デュオ

2009-12-13 | 洋楽
1970年はビートルズやサイモン&ガーファンクルの解散による新時代の幕開けであり、その初っ端を飾ったのが黒人5人兄弟デュオ、ジャクソン5でした。

№97    「グレイテスト・ヒッツ/ジャクソン5」

ご存じまだ少年時代のマイケル・ジャクソンをメイン・ボーカルに据えた兄弟デュオは、この年A1「帰ってほしいの(1週)」A2「ABC(2週)」B1「小さな経験(2週)」A5「アイル・ビー・ゼア(5週)」と驚異的な旋風を巻き起こします。1年52週中10週間を彼らの4曲のヒットがチャートの№1を席巻していた訳で、60年代におけるピーク時のビートルズを思わせる大活躍は、「70年代はジャクソン5の時代」と思わせるに十分すぎるほどの大旋風でした。

ここで見落としてはならない重要なポイントは、デビューから連続4曲の№1ヒット曲のうち「アイル・ビー・ゼア」が圧倒的に売れているという点です。この曲マイケル少年がソロ的イメージで歌う素晴らしいバラードなのですが、この曲が大いに売れ最大のヒットとなったことで、兄弟デュオ「ジャクソン5人気」から天才歌手「マイケル・ジャクソン人気」へ、人気が変質したと思われるのです。翌71年に出したシングルB3「ママの真珠」は「帰ってほしいの」タイプのアップな曲で、最高位2位。続いて出されたモータウン・デュオ・タイプのスロー・ナンバーA3「さよならは言わないで」も同じく2位で№1を逃しているのに対し、72年マイケルのソロ・シングル「ベン」は見事に1位に輝いているのです。

この曲が№1ヒットになるほど売れた理由は、映画のタイトル曲であったこともありますが、曲調、歌い方が明らかに「アイル・ビー・ゼア」路線の曲でよりマイケルの天才的な歌いぶりから感じさせる“本物感”が漂っていたことが大きく、この路線こそが大衆から求められていたことを示してもいたのです。引き続きアイドル・ファミリー・グループとして売ろうとするレコード会社の戦略は失敗します。結局これ以降グループとして№1ヒットが出ることはありませんでした。考えてみるに、天才マイケル少年の歌のうまさが抜きん出てしまい、かえってグループとしての人気のピーク・アウトを早めてしまう結果になったと言えるのではないでしょうか。

さてこのアルバム、71年にそれまでのヒット曲を集めて出されたベスト・アルバムです。ここからは、新録音で収録されたA4「シュガー・ダディ」がシングル・カットされましたが、最高位は10位。アルバムも、最高位は12位。普通に売れたレベルではありますが、TOP10入りできなかった事実は明らかにグループとしての人気の陰りを表わしていました。一方のソロとしてのマイケル・ジャクソンですが、以前取り上げたように79年のアルバム「オフ・ザ・ウォール」が“火つけ”となって80年代に一大“マイケル・ブーム”を展開します。一世を風靡したグループ人気が完全に下火になった後に、ソロとして再び一時代を築き上げたマイケル・ジャクソンは、やはりタダ者ではないのです。