日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉No.98~70年代を象徴する“ワン・パターン芸”

2009-12-23 | 洋楽
いよいよこのシリーズも残すところ3枚。なんとか取り上げたかったアーティストの一人を、苦肉の策で76年リリースのベスト盤で取り上げることにします。

No.98    「グレイテスト・ヒッツ/ギルバート・オサリバン」

ギルバート・オサリバンと言えば大ヒット曲A1「アローン・アゲイン」。彼の名を知らない人でも、この曲は聞いたことがあるのではないかと思うほどに耳馴染みの良い印象的なナンバーです。この曲は、72年に全米で6週連続No.1になり、一躍彼の名を全米に、いや世界中に知らしめたのでした。70年代を通して、全米シングル・チャートで6週以上連続でNo.1を記録した曲は、わずかに9曲。それらは、「明日に架ける橋(サイモン&ガーファンクル)」「喜びの世界(スリー・ドッグ・ナイト)」「恋のナイト・フィーバー(ビージーズ)」など、どれも本当に有名な大ヒット曲ばかりです。となればやはり取り上げたい。しかもこの人、けっこうヒット曲がある訳で…。と言う訳でベスト盤での登場です。

ギルバート・オサリバンはこの曲の印象が強すぎて、今ではややもすると“一発屋”的に思われているフシもありそうですが、実はアメリカでは続くA2「クレア」は2位、さらに73年のB1「ゲット・ダウン」も7位を記録しており、本国英国ほどではないにしろ72年から73年にかけてトップテン・ヒットを連発していたのです(他にもB6「アウト・オブ・ザ・クエスチョン」17位、B5「ウー・ベイビー」25位のスマッシュ・ヒットあり)。さらに日本では根強い人気に後押しされ、A6「ホワイ・オー・ホワイ」や「ハピネス」「愛のジェット便」などと言った曲もけっこう売れていたと記憶しています(彼のHPにある日本のラジオ・チャート順位では、それぞれ最高位6、8、6位と記載されています)。

彼は、アルバムとシングルを別物として制作していたフシがあり、「アローン・アゲイン」はシングルのみのリリースでした(日本では、特別にセカンド・アルバム「バック・トゥ・フロント」に収録)。その後の「ホワイ・オー・ホワイ」「ハピネス」「愛のジェット便」も同様シングルのみ。でも一方のアルバムが決してコンセプチュアルな作りであった訳でもないので、アルバム単位ではなかなか語り継がれるようなアーティストにはなりにくく、また「アローン・アゲイン」があまりに大ヒットしたことも災いしてか、結果“一発屋”的印象に受け取られているように思われます。

75年までのヒットを網羅した本作はCDは現在廃盤ですが、90年代以降かなり多種類のベスト盤が出ていますので、彼の代表曲は容易に入手できる環境にあります。ベスト盤で上記の彼の作品を聞いていただくと、彼のメロディ・メイカーとしての並みはずれた才能がよく分かると思います。ただ惜しむらくは、単調なリズムパターンを生み出しているキーボードの“手癖”的なワン・パターンと独特の歌い回しが、どの曲も似たような印象を与えてしまうので、その点がちょっと残念な感じも…(例えバラードでっも、この人が歌うとなぜかポップになります)。そこが、ヒット・チャート的には早々に飽きられ、エルトン・ジョンやビリー・ジョエルになり損ねてその後ヒットとは無縁のアーティストになった所以であるのかもしれません。裏を返せば、いつもいつの日も変わることがないので、オールド・ファンが安心してどの作品も聞くことが出来るとは言えるのでしょうが…。

昨年、ビルボード・ライブ東京にやってきた生の彼を久しぶりに見ましたが、風貌もさることながら70年代と全く変わらぬ演奏と歌い回しに、個人的には本当に懐かしい想いに浸らせてもらいました。最近では、昔の楽曲をジャズ風にアレンジしたりアコーステック・セットに模様替えしたりして、アダルトな雰囲気で売る70年代シンガー・ソングライター系アーティストが多い中、ある意味まんま70年代当時を再現してくれる数少ないアーティストかもしれません。ベリー・スペシャル・ワン・パターン(VSOP)も、続ければ新たな価値が生まれてくるって感じですね。このスタイル、ビジネス的にも応用が利く話かもしれないとちょっと思いましたが、いかがでしょう。