日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「ジョンの死」と早すぎた“夏の終わり”

2009-12-08 | その他あれこれ
今日12月8日はジョン・レノンの命日です。1980年12月8日からもうかれこれ29年です。本当に早いものです。「ジョンの死」からつれづれなるままにひとくだり…。

「ジョンの死」は“ビートルズの死”であり、ビートルズ再結成や第二のビートルズ探しを軸に動いた70年代の終わりでもありました。50~60年代がポピュラー・ミュージックの「春」であったとすれば70年代はまさにその短い「夏」であり、ジョン・レノンの死は楽しく明るく盛り上がった夏が終わりを告げた本当に悲しく切ない出来事でした。

英国のTレックスやデビッド・ボウィが颯爽と登場し、米国からはイーグルスやドゥービーが台頭し、まさしく音楽の“盛夏”を彩った70年代。ジョンもポールも、ジョージもリンゴも新たな歩みを始めつつも、いつ来るかもしれぬ“再会の日”に向けて本当に元気一杯だったのです。エンドレス・サマーを信じ現在進行形の“アフター・ザ・ビートルズ”音楽にどっぷりとつかっていた僕らの世代は、その日「ジョン・レノン暗殺」の一報に突然横っ面を叩かれたような衝撃を受けたのでした。

ジョンの死後ほどなく訪れた80年代は、ポピュラー・ミュージック界にとって本当につまらない「秋」のはじまりでした。ハートのない音楽が巷に溢れ、僕らの世代は急激に新しい音楽への関心を失っていきました。ひとつ確かに言えることは、僕らの関心を薄めた諸悪の根元はMTV(ミュージックTV)にあったということです。視覚メディアの台頭は音楽水準を下げる以外のなにものでもなかったのです。徐々に広がりを見せたミュージック・クリップ・ブームのうねりは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」で頂点を極め、やがて粗製乱造の嵐となり音楽を視覚でごまかす姑息なミュージシャンたちを大量に“排出”したのでした。

音楽はどこまで行っても耳で聞くものです。耳で聞くからこそいろいろ視覚的想像力が掻き立てられ、本当に人それぞれの楽しみ方ができるのです。たとえ解散はしていてもビートルズを軸に回っていた70年代までは、確実にそんな時代でした。しかし80年代のMTVは曲の視覚的イメージを一方的に押しつけ「目」を通じて脳を洗脳し、想像力を必要としない“ハートのない音楽”たちをヒット・チャートへと導く手助けをしたのです。こうしてポピュラー・ミュージックは、おもしろみやワクワク感が枯れ果てた「冬」の時代に入ってしまった様に思います。

29年前のあの日、あの忌わしい出来事がなければ80年代以降の音楽界は、再びビートルズを軸として違った道を歩んでいたのかもしれません。もしあの忌わしい出来事がなければ、音楽界の“暑い夏”は今も続いていたのかもしれないという幻想が、常に我々世代にはあるように思います。そして、これからも…
Forever John