パソコンに保管してある写真を眺めていたら、蔵王温泉名のフォルダに撮影場所が分からない写真が混じっていました。商店街のようですが、蔵王とは思えません。詳しく商店名などを手掛かりにして調べましたら、尾花沢の町であることが分かりました。
昔、畑沢の何処の家でも、カメラはなかったような気がします。勿論、私の家にもカメラがありませんでした。高等学校での修学旅行には、姉の嫁ぎ先である楯岡の親戚からお借りしてカメラを持っていきました。高校1年の時から新聞配達のアルバイトをしていたのですが、その収入は生活費や学費に入れていましたので、とてもカメラなんぞを買うことができません。カメラ店のカタログを眺めて、「あれがいいな、これがいいな」と楽しむだけでした。私が憧れたのがヤシカ・レクトロ35とオリンパス・ペンです。
その後もお金はなくて、就職してようやくある程度の給料を得ることができるようになって、月賦で買ったのがヤシカ・エレクトロ35を一眼レフにしたカメラです。正式な名前は記憶していません。当時、就職した若者が買いたがる物は、カメラとステレオと自動車でしたが、私はステレオや自動車には興味がありませんでしたので、当然のごとくカメラを直ぐに買ったわけです。カメラにも「腕前」というのがあります。カメラの雑誌を読み漁(あさ)るなどして勉強したつもりでしたが、いくら撮影しても上達しません。それは今でも続いています。それなのに、カメラの勉強もしない末っ子である小学生が、私のカメラで撮った初めての写真の方がずっと上手く撮れていることもありました。構図がいいのです。私は構図が下手なのです。写真に関しては、「神は不平等を作った」ようです。今では上手くなろうと思わなくなりました。
当時その下手糞が、買ったばかりのカメラで、手当たり次第にどうでもいいような物を片っ端から撮りまくりました。そのために得体のしれない写真があちこちに散らばる結果となってしまいました。下の写真もその類(たぐい)の一枚です。私が就職した昭和49年頃のようです。雪が積もっていますが、大したほどではありません。自転車さえ見えます。写真の奥の方は、延沢の方角です。今とはまるで違う風景です。
ところで、12月18日に常盤地区公民館で、カンジキ作りをしてきました。私を含めて11人の参加でした。畑沢、細野から2人ずつ、延沢からは4人、鶴子と新庄から各1人でした。私はカメラだけでなく説明も下手なために、参加者を苦しませてしまいました。苦しんだ分だけ、参加者にはきっと、「今度は自分だけで作ってやろう」という自立心が育まれたことでしょう。
こういった古い写真は、当時の雰囲気を感じられて好きです。
ちょっとした写真展を実施したりしたら、懐かしく感じる方も多いかもしれませんね。
カンジキ作り参加してみたかったです!
次の機会がありましたら是非参加させてください。
きっと、いろんな昔の写真が多くの家庭にあるのでしょうね。できることなら、一堂に会して古い写真を持ち寄ることができると、いろんな面白いことが分かるような気がします。市役所や公民館が企画していただければいいですね。
カンジキ作りは、習うよりもチャレンジが大事です。「駄目で元々」で何回も楽しめます。