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-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

戦前の古い貴重な本の数々

2025-06-22 20:27:20 | 歴史

 投稿をさぼってから数か月が過ぎました。その間に大事なgooブログがなくなるとの情報がありました。極めて残念ですが、怠惰な私のようなブロガーにも大きな責任があるのではないかと遅まきながら反省しています。

 それでは、久しぶりに投稿します。 

 古い本を活用して下さる方を探しています。尾花市立常盤小学校・中学校時代の同級生の蔵から古い本が大量に出てきました。明治40年代、大正時代、昭和の終戦前の時代の本です。その本の内容が直ぐに今の時代の知識の習得に役立つわけではありませんが、当時の世相、当時の学問のレベル等をかなり直接的に感じ取ることができます。

 日本が戦争に負けたときに、GHQが日本の軍国主義的なものを排除するために大量の本を処分したそうです。「焚書」とも言われていいますが、実際は焼却ではなくて、パルプに再製していたようです。その際に決して軍国主義につながらない本までが処分されたようで、戦前の本が一挙に人目に触れる機会がなくなりました。民間人が保有している本は対象にしてなかったようですが、どうしてもこの種の動きは、過激に走りがちになります。対象外の本も処分されたとの話もあります。その当時、本を持っていた民間人は少数の富裕層などに限られています。過激な処分を逃れるために、「蔵」の中で守られたかもしれません。おかげで良好な状態で残っていて、貴重な資料となりました。

 全国的にも当然、勿体ない本が数多くあったようです。しかし、最近、処分されてしまった本の復刻版の人気が高まっているそうです。それを読んで軍国主義的な思想に浸る訳ではなく、逆に当時の世相の中でさえも優れた様々な意見が出ていたようで、その様子を知りたいということのようです。

 そんなことも考慮に入れると、私の同級生が所蔵している本はかなり貴重なものです。でも、いくら貴重でも廃棄物として処理してしまえばその価値が生かされません。私も少し拝見したところ、興味深い内容がありましたので、これから何回かに分けて紹介します。

 先ず、太平洋戦争に関する本です。本題へ入る前に一言、私に関する「言い訳」をします。私は飛行機のメカが大好きで、中学校時代に戦記物を読み漁りました。というのは、1951年に朝鮮戦争が勃発し、アメリカは日本に対して方針を大きく変え、戦争を肯定するようになりました。常盤中学校の図書館には、日本が東南アジアへ進軍する日本軍を褒め称えるような戦記物が何巻もありました。また、少年雑誌はゼロ戦や紫電改のパイロットが主人公となって大人気をはくしていました。完全に軍国少年です。そんな訳で戦争のことを意外と知っていますが、決して「戦争おたく」ではありません。その洗脳から脱却するのに、数年を要しました。その後も再勉強をしておりませんので、正しい歴史認識には程遠い状態です。そこで、ブログに必要な情報は、wikipediaを中心としたネットにお世話になりました。まだ、今回、紹介する本の中身をちゃんと開いて読んでいませんので、紹介は極めて表面的です。でも、表紙からだけでも戦時中の雰囲気が伝わってきます。

 先ずは、国民を戦争に駆り立てるメディアの報道です。次の表は、写真が多数が中心の刊行誌を集めたリストです。リスト最上段の行中「冊数」は、同じ本ではなくて刊行誌の発行号数です。

番号1 大東亜報 月に2回の発行で10冊あります。月刊か季刊でしょうか。

 表紙の一番下に「昭和19年5月1日発行」とあります。戦局は完全に敗戦で決まっていたような時期です。「座談会 祖国進撃の印度国民軍」「ビルマの象と密林」の文字が見えます。このころ、インパール作戦がとんでもない状況にありました。そして、印度国民軍も渦中に巻き込まれていましたので、とても「祖国進撃」などと言える状況にはなかったはずです。ここで多くの地元民や日本兵が死んでいました。

 

番号2 世界画報 月に1回の発行に見えます。46冊もありますので、4年分かもしれません。

 下の写真を見ると、熱帯地方のジャングルに工兵部隊が道路を急造し、そこを歩兵と物資を満載したトラックが坂道を登っているようです。この写真ではまだ物資も配給されているので、戦闘は始まったばかりのころの写真かと思います。やがて、物資も配給されず、日本兵は飢えに苦しむことになったようですが、恐らくそのことは一言も書かれていないでしょう。

 

 同じく世界画報の記事です。飛行機が好きな私は飛行機にだけは、歴史を知らなくても一家言らしきことを口走ります。飛行機の記事には、つい目が停まります。軍艦の上に飛行機が見えます。飛行機は九五式水上偵察機です。複葉ですからスピードは出ません。軍艦から遠くまでは偵察できなかったでしょう。戦艦や駆逐艦に積まれていて、クレーンで海面へ降ろされて発進します。偵察が終わるとクレーンで艦上へ引き上げられます。このタイプは古いので、太平洋戦争の初期の写真かもしれません。

 

 これも、世界画報の記事です。九七式艦上攻撃機が空母から発進しています。機体の下に爆弾も魚雷も吊るしていませんので、戦闘ではなく訓練ではないかと思います。中国語らしき説明文もあります。当時、日本の領土だった台湾の人たちに読んでもらうことを想定していたかもしれません。空母名は分かりません。

 

 同じく世界画報です。写真内の右の冊子から「昭和17年」の文字が見えましたので、下の本は同年1月号かと思われます。まだ、日本は勝利の可能性が幾分なりと残っていた時期かもしれません。しかし、この後、日本は太平洋上で大きな負けが続き、戦局は大きく傾きます。

 

番号3 躍進之日本 月1回の発行かと思います。15冊ありますので、発行開始が遅かったのか、購入を続けていたが、途中で購読終了か発行停止でしょうか。

 次の写真は昭和18年9月1日発行で、時の首相である東条英機が東南アジア各地を訪問したときのようです。

 この年の4月18日には既に山本五十六が戦死しています。その背景には日本軍の暗号がアメリカには解読されていたし、アメリカ軍の勢力が太平洋に広まっていました。とても、遠く離れた戦地を訪問するなどは危ないこと限りないのですが、陸伝いにでも飛行したかもしれません。そんなことまでしてまでも、山本五十六が亡くなった大きな穴を首相が埋めなければならなかったのかもしれません。

番号4 写真週報

 あれ、写真がありません。撮り忘れました。

 

 次回は農業関連の教材を紹介します。


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