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-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の昔の年中行事

2013-07-10 14:56:23 | 行事

 楯岡高校が昭和45年に畑沢を調査した結果が掲載されている「郷土 Ⅱ」から、畑沢の行事を抜粋しました。この「畑沢の年中行事」の部分は、複数の生徒が書いた調査結果をそのまま載せたようで、全体的なまとまりに欠けた所が見られます。また、調査結果の本文ではなく、資料編に記載されたものだったために、校正がされていないように見受けられ、時期的な矛盾、誤植、意味不明な文などが所々に見られました。まだ高校生で昔の事柄に疎いにもかかわらず、これだけ沢山の資料をまとめるとなると、高校生でもさすがにお疲れになったようです。でも、この高校生たちのお陰で、貴重な資料が残りました。

 この中には、一部に私が経験したものもありますが、ほとんどは私の世代では分からないものばかりです。

(以下は原文のままです。)

畑沢の年中行事

一月

一日~三日 作占い 若水の儀式

 重箱に二分目くらいの米を入れ、その上に「餅」「早稲」「晩稲」「中」の名前をつけた四つの餅を置く。これにうすを逆さにかぶせ、しめ縄をかけて置く。そして三日の日に重箱を取り出し、餅をついた米粒の数によって豊作を占う。(米粒の数の多い方が良い。)又、同じ日に若水の儀式を行う。これは、作占いで使ううすを兼用する。うすの上に水の入ったやかんを置いておく。やかんの水は、毎朝くみ直す。三日間そのやかんの水を沸かしてお茶を飲むと、若返えるといわれている。

七日 七草会

 春の七草(なずな、ほとけのざ、せり、ごぎょう、はこべ、すずな、すずしろ)をおかゆのようにして煮て食べる。

十一日 若木迎え(野始め)

 官有林をこの日に限りいくら切っても良く、わらをなったものに、餅、木炭、こんぶをはさんだ「のし」というものを山に持って行く。そして、節分の時の豆をとっておいて、それを食べながら木を切りに行く。切ってきた木で湯をわかし、茶を飲む。

十二日(十三日) だんごさし

 木にだんごをさして、なるべくたくさん飾る。水木の元の方にきんちゃく餅と豆だま(わらのみご十五本くらいに、二百~三百のだんごをさしたもの。)というものをさげ、これらにひび割れが入ると、豊作と言われている。このだんごさしの由来については「自分達は、日が増す程に小さくなり、働くことも出来なくなると言われ、その時には、これを食べて生活しょう。」という、伝説がある。

十五日 天気占い、雪中田植、熊野神社、オサイド

 半紙に一月~六月と七月~十二月を上下に分けて、それぞれ、月の数字を書く。線香やおさいどの時の焼えがら、節分の時用いた豆のいずれかに火をつけ、○印の所を焼く。その印の焼け方によって、天気を占う。多く焼けた方が、天気が良い。又、半分焼けた時には、上旬、下旬とに分けてみる。

十五日~十六日 若い衆

 十五才になった男の人が初めて入られるもので、今の成人式のようなものである。三十五才になると、退会する。この日は、若い衆の総会、鳥追い、おさいど等の行事が行われる。

二十日 皿かぶり

 これは、病気にかからないようにするもので、やり方は、皿を裏返しにして、糸底に干した草を載せ、火をつける。それを体の悪い所に載せる。最初、囲呂利のカギから家族全員やる。

 

二月

十五日 お釈迦様の死

 初午、稲荷神社にお拝りにゆく。掛軸のある家は、その家で行う。ない家では、村内の地蔵堂に行ってだんごをあげ拝む。服装は、別にこだわらないで、自分の数珠を使う。

 

三月

三日 ひな祭り 

 くじら餅、おしんこ、草餅、ももの木をあげる。

十二日 稲荷様

十五日 熊野神社祭典(畑沢全体・旧)

二十四日 地蔵講

 隣近所の人が組を作って地蔵信仰と慰安の行事を行う。特に女の人が参加する。

 

四月

八日 お釈迦様の誕生日

 あじさいのような葉を干したものを煎じて、お茶のようにして飲む(甘茶)

十五日 熊野神社祭典(畑沢全体・現)

十七日 運びらき

 四方を望める高い山に登り、運を祈願して、酒を飲む。

 

五月

四日 お日待ち

五日 節句

 鯉のぼりをたて、餅、おしんこ、笹まきを作って食べる。

五日 大谷講

 一年に一回 一年前に死んだ人の白骨を十三の寺で、かわりがわり集めて京都の寺におさめる。

 

六月

一日 ハガタメ餅

十日 さなぶり

 

七月

七日 七夕

 子供達が一定の家に集まり、お互いの親睦を深めるため、その家で寝食を共にし、八日の朝まで行われる。

十三日 墓参り

二十日 ウラ盆

 

八月

一日 豆ごはん

 ごはんの中に豆を入れ、かやのはしで食べる。

十五日 えだ豆会

 豆明月、中秋の明月にあたり、えだ豆二~三本あげる。その日は正月の入会式を終えた者等各家の長男、若い衆の寄合いとなる。

二十日 風祭り

 この日は、畑沢内の村社に神主をよんで、おはらいをしてもらう。これは、二百十日の前に行われるもので、台風がこないように祈る。

 

九月

四日 お日待ち

九日 菊の節句

 この日は、餅をついて祝い、菊料理を食べる。

十三日 いもこ明月

 お月様に里芋をあげる。

十九日(十八日) 中の節句

 餅をついて食べる。

二十九日 刈上げ

 

十月

十日 むじなのむかさり

 伝説である。むじなが柿の木の下で、柿の葉をしいて、柿の葉で造った着物を着てむかさりをやっていた。柿の木の根元で逆立ちになって見ると、それがえ見えるという。この日は餅をついて祝う。

十六日 山の神講

 山に関係した人、即ちきこりなどが、感謝と安全を願ってお祈りする。また、この日は、山の共有林等の会計をする。

二十日 契約講

 運営上の諸事をとり決める寄合いのことで、年度の会計収支決算や、諸行事等の重要事のほかに、隣組の相互扶助のための取り決めなども行う。例えば、葬式の時はその組員の者がお金や労力を出し合って、互いに助け合うことである。

十一月

三日 ダイシ講

 小豆がゆを煮たり、団子を作ってダイシに供える。

五日 づづくれ

 土送りを感謝の意味でする。

十三日 ダイシ講

二十三日 ダイシ講

 

十二月

七日 さんげさんげ

九日 大黒

 大根おろしにして食う。豆飯、豆汁、豆

十五日 十六日 熊野神社オサイド

二十四日 地蔵様オサイド

暮日 大みそか

 旧七月十五日に十五才以上の男子が出羽三山に、六尺ぐらいのしゃくじょうをつき、白装束の姿で登る。三山の一つで修行して一晩泊ってくる。残った家の者は、無事を祝って屋根の上に神おろしを立てる。十二月七日は、前に三山で修行をしてきたことを、仮の行場、地蔵堂で行う。三山に登ったものは、一日一回水ごりを一~七日の朝まで行う。この間、家族も精進料理だけを食べる。これらのことにたえられた者だけが行人として参加できる。七日に朝食をとらないで、地蔵堂に行き、行人達だけで作って食べる。昼食後、行人達は白装束で経(三山大神を拝す詞)を十時ごろまで唱える。十時以降、一般の人は帰宅し、行人達は酒を飲んだり、将棋などをして一晩寝ないですごす。二十日、朝食前に経を読み、帰宅する。

二十日 正月の支度

 家中新しい年を迎えるために大掃除等を行う。


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