-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

隣村(細野地区)の御堂森登山に参加しました。

2017-04-24 21:27:56 | 行事

 平成29年4月23日(日) 畑沢の隣村である細野地区に出かけ、御堂森(1,056.6m)の登山に参加しました。細野地区の振興行事として行われたものです。参加者は約60人ぐらいになったそうです。大変な人数です。山形新聞の記事を見て、参加を決めた方が多かったようです。地元以外から駆け付けた方が大部分です。お陰で、私も思いがけない方々にお会いすることができました。

 ところで、登山道は昨年、細野地区と有志の方々が切り開きました。とてつもない重労働だったことでしょう。

 開会式は、「かあちゃん広場」で8時半ころに始まりました。下の写真の左に「蔵」の看板が見えます。「農家レストラン蔵」の看板です。細野地区振興会長が挨拶しました。大変、失礼なことですが、私はブログ用の写真撮影に没頭していましたので、会長がお話になった内容を聞き漏らしてしまいました。きっと素晴らしいお話だったことでしょう。会長は私の同級生のお兄さんでもありますし、私が畑沢地区振興を相談した時の御師匠様でもありますので、お話の内容は、「神様の声」として後日、降り注いで下さると思います。

 

 今年の雪降ろしは二回だけだったので、暖冬と判断して山の降雪量も少ないものと思っていましたが、とんでもありません。むしろ、山の雪はいつもの年よりも多く残っているのだそうです。山の上と下ではかなり事情が異なるようです。しかも、雪によって杉が各所に倒れて、林道を塞いでいました。そのために、林道の大分、下から歩くことになりました。

 

 林道からしばらく登ると尾根に到着し、雪の上の登行となりました。春の雪は冬の雪と違って、ずぶずぶと足がめり込むことはありません。カンジキは必要ありません。かと言って氷のような固さもりませんので、アイゼンも必要ありません。

 

 登山道の大部分は、尾根の上にあります。尾根は細野地区と鶴子地区の境になっており、何キロメートルにも亘って、城跡に見られる土塁のように1mぐらい盛り上がっています。防火線と言うのだそうです。私はいろんな山に登りましたが、こんなものは初めて見ました。自然に出来上がったものではなくて、人の手によって築かれたものだそうです。ところが、いつごろにどんな目的で作られたかが分からなくなっているそうです。それはそれとして、歩くにはとても良いものです。

 細野地区の方たちは、「天候不順などで生活に窮した人々を救うために起こした事業かもしれない」と、おっしゃっていました。ついでに、「××さん、調べてみろちゃ」と、とんでもない話が出ました。とても私が分かるはずもありませんし、調べるための基礎的な知識も持ち合わせていません。私は誰かが調べくれたものを素直な気持ちで教えてもらうのが常套です。ただ、「私は畑沢しか知りません」とだけしか答えられません。

 しかし、細野の方には日ごろお世話になっています。馬鹿でも、馬鹿なりにお役に立ちたいとも思いますので、文明の利器、インターネットの力を借りました。すると、どうでしょう。期待をしていなかったのですが、「防火線 森林」を餌にして釣り糸を垂らしたところ、かなり食いついてきました。ヒットです。

 先ず、結論です。防火線は現在も森林保安施設で、しかも大分、重要なもののようです。

 林野庁が平成15年3月に作成した 「林野火災対策に係る調査研究報告書」には、次のように出ていました。多少、文章的に理解しにくい表現がありますが、何となく趣旨は分かるような気になります。

 

 防火線は、林野火災の延焼を防止し、火勢を鎮圧する機能のほか消火活動の拠点ともなる重要な施設であり、山の尾根、林道、林内の境界線、森林の外囲など現地の林況や地況、気象条件などを考慮し設置する位置を決定する必要がある。


 林野火災の多くは山間部で発生し、しかも広範囲にわたるため地上からの状況把握には限界があり、ヘリコプターによる空中からの情報収集が極めて有効である。‥‥‥‥‥空中からで収集すべき情報内容としては、一般的に次のようなものが考えられる。
‥‥
〇地上の防ぎょ活動に関する情報
 重点防ぎょ箇所、防火線設定の適地、林道・水利の状況、進入路


 次に米沢市の「林野火災防災計画」にも、次のように出ていました。他の市町村も似たようなものがあるようです。尾花沢市の森林担当部局で調べれば分かるかもしれません。

防火樹帯・防火線の整備
 林野所有者等は、尾根、森林区画等を利用し、耐火樹、防火樹からなる防火樹帯を整備するとともに、地形、水利状況等を考慮して防火線を設けるよう努める。防火線は、定期的な刈り払い等により適切な維持管理を行い、延焼防止機能の維持に努める。

 

 ということは、現在も定期的に適切な維持管理が行われていなければならないようです。そして、防火線の上を歩くことは、理にかなった利用だったようです。昨年、登山道をこの防火線に決めたのは英断でした。さすが、私の常盤中学校の先輩たちです。

 

 道の上に動物の糞が2か所に転がっていました。広い場所ですから何もわざわざ防火線の上に用をたさなくてもよさそうなものですが、2か所とも防火線の上でした。とんでもない獣です。近年、珍しくなくなったあの獣でしょう。そうです、猪に間違いなさそうです。熊でも、カモシカでも、兎でも、狸でも、狐でもありません。

 

 雪上には、新しい足跡が点々と残されていました。こちらは小型の獣です。畑沢の山楯で見た足跡と同じようです。足跡の形も一直線に並んでいることもお狐様です。

 

 実は、登り始めた場所が当初、予定していた標高よりもずっと下になりましたので、とても頂上まで登る時間が足りなくなり、途中で引き返すことになっていました。残念ですが、これはどうしようもありません。

 今回、頂上で確認したいものがありました。どなたかの御堂森のブログに、頂上の石仏が出ていました。姥地蔵のようで如意輪観音のようでもありました。もっと別な表現をすれば、「如意輪観音のようなポーズをした姥地蔵」のようでした。

 しかし、それはできませんでしたが、小学生時代からずっと憧れていた御堂森に間近に迫ることができました。ありがたいものです。私たちを案内して下さった先輩が、御堂森をストックで指し示しています。やはり様になっています。とても私ではこうはいきません。


 御堂森から流れ出る沢水を望遠で拡大してみました。きれいな雪融け水が何段もの滝になって流れ下っています。私は山登りが好きなのですが、水辺を散策するのも大好きです。この滝にも行ってみたくなりました。今は、特に雪融け水で水量が豊富なのでしょうが、雪融けが落ち着いた時期も素晴らしい眺めを堪能できると思います。いつの日か実現できるといいのですが。

 

 無事に午後4時前には、下山することができました。参加者は十分、気力と体力を残しています。私だけはとても疲れていました。寝不足、山形からの運転疲れ、関節の不調等々が原因です。一か月前から調整を始めたのですが、最近、不思議な関節の痛みが生じます。


 細野地区では、下山後のもてなしを御準備して下さったのですが、あいにくの体調不調のために失礼しました。帰路、後ろを振り返ると、御堂森がきれいに見えました。朧気川のほとりで秀麗をパチリです。ところで、スキー場のように見えるのは、蕨(わらび)園だそうで、今年あたりから開園できそうだとのことでした。

 


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