温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

金門島旅行 その7 日本人が秘密裡に活躍した戦跡 「古寧頭戦史館」

2015年10月04日 | 台湾
前回記事から戦争ネタが続いていますが、どうかご勘弁を。私は別に戦争好きでもミリタリーマニアでもなく、単に近現代史を追いかけることで好奇心を満たして知的満足を得ているにすぎないのですが、20世紀は戦争の世紀でもあり、この時代を探ろうとすると否応なく戦争にぶち当たってしまうので、前回今回と連続して戦争関係施設を訪れております。

この度の台湾旅行に際し、日本から搭乗していた飛行機の中で私は、門田隆将著 『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 』という文庫本を読んでおりました。

金門島は国共対立の最前線でありつづけ、前回記事で紹介しました山外の「八二三戦史館」で展示されていたように、1958年の金門砲戦では共産党側から47万発もの砲弾を浴びせかけられたにもかかわらず、国民党側はアメリカの支援を受けながら辛うじて島を死守し、台湾を赤化から守ったわけですが、なぜアメリカの兵站を受けることができたかと言えば、国民党が大陸から撤退した1949年以降も台湾海峡の制海権と制空権を抑えられていたです。
では、どうして劣勢であったはずの国民党サイドが台湾海峡の制海権と制空権を確保できていたと言えば、金門島北東端における1949年の古寧頭戦役で国民党が勝利して金門島を防衛できたからであり、その勝利に大きな貢献を果たした人物の一人が、旧日本軍の陸軍中将であった福島県(現須賀川市)出身の根本博なのでありました。表向きには公表されていませんが、根本博中将を始めとする日本人の軍事顧問団が作戦を舞台裏で指導したことにより、国民党が勝利をおさめたのでした。

日本が降伏し軍が解体されて4年も経っているのに、どうして日本陸軍の軍人が、しかも4年前まで敵として戦っていた相手である国民党に与して戦っているの?と疑問を抱かれる方もいらっしゃるかと思いますが、その経過を説明するだけでも一冊の分厚い本になっちゃいますので、ご関心ある方は上記の作品や関係するWikipediaをご覧いただくとして、大雑把に説明しますと、国共内戦の末、共産党に追い込まれて背水の陣であった蒋介石の国民党軍は、反転攻勢を手助けしてくれる優秀な軍師が欲しかった。そこで目をつけたのが旧日本軍の将校たちです。蒋介石は東京振武学校に留学経験がありますし、一時は新潟高田の陸軍第13師団にも属していましたから、なんだかんだで頭の片隅には日本への信頼があったのかもしれません。一方、戦前の台湾に思い入れがある当時の日本人にとって、台湾が共産化されてしまうのは、なんとしてでも避けたいですし、つい数年前まで国民党は敵であったものの、戦後の蒋介石の「以徳報怨」という恩義には応えたい。こうした双方の思惑が交錯しつつも合致し、根本博をはじめとする数名の旧日本軍関係者は決死の覚悟で台湾へ密航し、更に厦門(アモイ)や金門島へ渡って、中国名を名乗りつつも黒衣に徹し、古寧頭戦役の作戦指導を行って中共軍の殲滅に成功したのでした。

その一連の流れを追った門田隆将氏の力作をここへ来る直前まで読んでいましたので、今回の1泊2日の金門島観光では、日本人が台湾側の勝利に貢献した古寧頭戦役の跡を、是非自分の目で見ておきたかったのです。


 
金城バスターミナルから9番(古寧行)の路線バスに乗って「古寧頭戦史館」バス停で下車し、木々の生い茂る真っ直ぐなコリドーを歩きます。この古寧は島の北東端にあたり、わずか数キロしかない狭い海の水道を挟んで厦門など中国大陸側と間近に対峙しています。コリドーの中間地点にある小さな広場には対空砲が設置されているのですが、解説板によればこの手の対空砲は島のあちこちに配備されていたんだとか。


 
コリドーの突き当たりに構える砦のような建物が「古寧頭戦史館」です。正面には勇ましく進軍する兵士の銅像が右腕を思いっきり突き上げていました。



建物の左右両端には、まるで魔除けの置物のよう戦車が1台ずつ、砲身をこちらに向けて展示されていました。この戦車は第二次大戦時に開発されたアメリカ製のM5軽戦車で、大戦中は主にドイツや日本を相手にしていたのですが、戦後に余剰となると国民党をはじめとする世界各地の西側陣営に供与され、古寧頭戦役においては金門島へ上陸してくる共産党軍を次々に撃退し、その功績が讃えられて「金門之熊」の称号が与えられました。
でもこんな小さな戦車が大きな戦果をもたらすとは俄に信じがたいですよね。後々調べたところによれば、共産党の人民解放軍は、今も昔もとにかく人海戦術ですから、兵器で戦略的に攻撃するのではなく、漁船やジャンク船などポンコツ木舟を根こそぎ徴用して大量の歩兵を島に送りこみ、兵士の頭数で優勢に立とうとします。これに対する国民党軍は、アメリカからこの小さなM5軽戦車を提供してもらっていたものの、当時は大陸から這々の体で撤退しているような惨憺たる状況でしたから、戦車はあっても砲弾が不足していました。そこで窮余の策として、この戦車を前進させて、あたかも害虫を駆除するかのように、海岸から上がってくる共産党軍の兵士を次々に踏み潰し、轢き殺していったんですね。ひゃー、恐ろしい。


 
入館は無料で誰でも自由に入館できます。館内の順路は反時計回り。まず目に入ってくるのが、この戦役における指揮系統と代表的な指揮官達のポートレートです。福州綏靖総司令の湯恩伯をトップとして、どのような軍隊が組織されていたかを巨大な樹状図で示しているのですが、この図には重要なものが欠けています。と言うか、意図的に記されていません。
上述のように古寧頭戦役では、根本博をはじめとして、7人の旧日本軍関係者が顧問として重要な活躍を果たしていました。この戦いにおいて根本博は林保源という中国風の偽名を名乗っており、他6名もやはり中国風の偽名で活動していましたが、この7人の名前がこの系統図には載っていないのです。古寧頭戦役で勝利を収めた以降も、80名以上に及ぶ旧日本軍の将校が「白団」として国民党の軍事顧問を勤めましたが、彼らも表舞台に出ることはありませんでした(くわしくは「白団」を参照)。国民党側としては、憎き日本軍をやっつけたからこそ統治の正統性を主張できるわけであり、その敵であった日本人の助けを借りただなんて、口が裂けても言えなかったんですね。ちなみに、国民党が根本博たちの存在とその功績を認めたのは、古寧頭戦役60周年式典が行われた2009年のことです。


 
前回記事で取り上げた「八二三戦史館」は、戦いの様子を時系列に従いながら、その前後の背景や具体的な状況などを、画像・映像・模型など各種資料を用いながらわかりやすく説明されていましたが、それに比べてこちらの施設はぶっきら棒というか、概念的な展示にとどまっているというか、展示物こそそれなりの数が揃っているものの、視覚的迫力に訴えかける一方で説明が不足しており、単純に「俺たち勝ったんだぞ、すげーだろ」という勝鬨の雰囲気を盛り上げているような感が否めません。「八二三戦史館」が百科事典的ならば、この「古寧頭戦史館」は図鑑的です。たとえば上画像は作戦司令の書類なのですが、ただ「国軍作戦紀録」や「金門作戦検討会訓詞」等とタイトルが振られているだけで、それが意味する具体的な内容は説明されていません。中国語がわかれば読めるのでしょうけど、もし読めたとしても、当時の状況を把握できなければ、その意味を把握するのは難しいはず。


 

館内展示の多くを占めていたのが、こうした戦争画の数々です。時期が時期だけに、当時の写真はあまり撮られていないか、あるいは残っていないのかもしれません。このため写実性はいまいち欠けるかもしれませんが、それぞれの絵画は戦いの時系列に沿って並べられており、印象的にいかに激しい戦いであったかは伝わってきます。なお訪問時は絵画の一部が補修作業中でした。


 
戦中の様子を捉えた写真はほとんど無いのですが、その前後に撮影したものでしたら、このような感じで展示されていました。左(上)画像で、青天白日の左に緊張の面持ちで直立しているのは高魁元という国民党軍の将軍で、その下に座っている禿頭のおじさんはみなさんご存知の蒋介石。戦役後に「よくがんばったね」という謁見をした際の写真のようです。その右側の、戦車が写っている写真は、戦役前の軍事演習の様子を撮ったもの。
この他、展示されている写真のほとんどは戦役の前か後で、戦中のものは出撃時の空軍機を撮ったものなど数枚足らずです。激戦ゆえ写真を撮っている余裕なんか無かったのかな。ヘタに記録を残して敵の手に渡ったらエライことにもなりますしね。


 

実戦使用された銃器銃剣の数々も展示されていましたが、やっぱりここも説明が足りず、ミリタリーマニアじゃない私にはちんぷんかんぷん。
スカイブルー地に白い星が描かれ、その星の中でトラが雄叫びを上げている旗は、中華民国陸軍第118師団に対して贈られたもの。この第118師団は上陸してきた共産党軍と市街戦を繰り広げて大量の死傷者を出したものの、最終的に共産党軍を追い返して陣地を奪回し、勝利に大いに貢献しました。その功績を称えるため蒋介石の贈ったのがこの旗なんだそうです。
こちらの戦争画は投降した共産党軍を整列させて捕虜として扱おうとしている様子を描いたものですね。これなら私でも説明無しで理解できました。


 
 
戦勝記念の施設なので、館内はとにかく当時の国民党イデオロギー、より具体的に言えば蒋介石への礼賛に満ちています。館内を反時計回りにグルっと周回した最後の方では、勝利後の蒋介石がジープに乗って閲兵している様子が大きな油絵で描かれており、絵画の下にはその閲兵式の際に蒋介石が実際に乗ったフォードGPW(1944年製)が展示されていました。

結局この展示館内に根本博の「ね」の字も見当たらなかったのは残念でした。相当な年月な経過し、当時の戦役をある程度客観視できるようになった今だからこそ、台湾政府側は日本人軍事顧問の存在を認めることができたわけですが、根本達の立場で考えてみたら、ヘタに自分たちの存在が露呈されちゃったら、それこそ国際問題になりますし、日本国内でもとんでもない政治スキャンダルに発展しちゃいますから、おそらく黒衣に徹し縁の下へ潜り続けることを覚悟の上で(本懐として)、台湾のために粉骨砕身なさっていらっしゃったのでしょう。役目が終わって日本に帰り、ご自宅に戻ってからも、当時のことはあまり語らなかったそうですから、この戦史館で名前を載せないのは、結果論としてご本人の意向に沿っているのかもしれません。己のことを主張せず謙虚に徹し、義のために身を尽くすだなんて、男の生き方として惚れちゃうなぁ。

余談ですが、根本博の自宅は小田急線の鶴川駅付近にあったそうですが、現在の私の住まいはその2駅隣りが最寄り駅ですので、ご近所さんという意味でも妙な親近感を覚えてしまいました。鶴川(東京都町田市)といえば、戦後GHQを相手に「従順ならざる唯一の日本人」として毅然と交渉した白洲次郎も居を構えていましたし、もっと時代を遡れば明治期における自由民権運動の拠点のひとつでもありました。国士のような人物と縁の深い土地なのかもしれませんね。


 
「古寧頭戦史館」の見どころは館内の展示のみならず、実際の戦闘で使われた坑道(地下通路)などが残っており、一部の通行可能なトンネルを通った先にある戦闘の跡を見学することも、当地におけるハイライトのひとつです。館内の奥にあるこの「古寧頭三営區」と書かれた坑口がそのトンネルの入口です。入口脇には、坑道の構内図が掲示されており、非公開部分を含めると、かなり長い地下要塞が造られていたことがわかります。


 
細い地下通路が長く続いています。見学者が通行できる箇所には照明が設置されていますが、非公開の通路は真っ暗で先が見えません。戦闘中はこんな真っ暗な中を行き来したのでしょうね。


 
通路の突き当たりは中山室と称する部屋になっており、古寧頭戦役において国共両軍がどのように攻防したのかを図示していました。中山(孫文のこと)ってことは、戦時中は重要な役割を担った部屋だったのかな。


 
中山室にはいくつかの覗き窓があり、そこから外を眺めると、松の梢と狭い海峡の向こうに、対岸の中国大陸と民家群がくっきりと目視できました。


 
 
中山室の隣は戦時に仮眠室として使われていた空間があり、そこでは当時の写真の特別展示が行われていました。



地下通路から階段を上がってゆくと・・・


 
海を臨む展望台となっており、わずか数キロ先の対岸には、中国大陸が延々と広がっていました。


 
展望台の周りにはトーチカや通信施設など、軍事施設がたくさん点在しています。このあたりは小さな起伏がやたらに多いのですが、これって砲撃を受けた跡なのでしょうか。


 
 
トーチカの丘を下って海岸に突き出る監視所にもお邪魔しました。緊張が和らいだ現在では使われておらず、潮をモロに受けてボロボロです。
海岸には上陸を阻止するための杭がたくさん並べられていたはずですが、こちらもお役御免ですっかり錆びきっており、現在残っているのはわずか数本に過ぎません。展望台の左右には砂浜が広がっているのですが、この浜で死闘が繰り広げられ、両軍の兵士たちが硝煙の中で死屍累々としていたんですね。至極当然なことですが、国民党だろうと中共軍だろうと、思想や帰属以前に、それぞれ我々と同じ人間に変わりありません。それを想うと非常に重い気分になり、その場で黙祷を捧げずにはいられませんでした。



私の退館時、正面の銅像前に集まって、右腕を突き上げるポーズを真似しながらワイワイ楽しそうに騒いで記念撮影をしている団体客がいたのですが、大音量のトラメガであれこれ案内しているガイドさんの旗を見たら、そこには簡体字が書かれていました。つまり大陸からの観光客だったんですね。
変な意味ではなく、皮肉や理屈は一切抜きで、平和な世の中って本当にいいものなんだ。無邪気にはしゃぐ彼らを見て、心の底からつくづく思いました。

「古寧頭戦史館」
金門県金寧郷林厝村
8:30~17:00 年中無休 無料



次回に続く

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