温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

弘南鉄道大鰐線 今度はいつ乗れるかな

2019年02月06日 | 青森県

(2009年6月撮影)
前回記事で取り上げた大鰐温泉へは、弘前市街の中心部である土手町の中央弘前駅から、弘南鉄道・大鰐線に乗って向かいました。私は20年以上前から青森県へ通っておりますが、県内で行動するときには車を利用することが多く、特に温泉巡りは交通不便な場所を訪ねることが殆どなので、どうしても公共交通機関を使う機会には恵まれません。とはいえ、青森県の場合は、温泉の絶対数が多いために鉄道の駅付近にも温泉が点在していますから、「鉄」の血が流れる私としては、たまに不便を承知で鉄道で旅に出て、時刻表や地図とにらめっこしながら当地の温泉を巡ることもあります。
そんな時にしばしばお世話になるのが、冒頭で申し上げた弘南鉄道・大鰐線です。

※以下、カッコ書き等で撮影年月を示した以外の画像は、2018年秋に撮りました。


弘南鉄道・大鰐線の起点である中央弘前駅は、弘前の繁華街である土手町に位置しています。かつて土手町は街の中心部でしたし、その裏手の鍛治町は所謂繁華街ですから、昼夜を問わずこの駅から電車に乗って移動する旅客も多かったかと思われますが、商業の中心が郊外のロードサイド店に移ってしまった今、古くからある繁華街はすっかり寂れてしまい、起点駅が有していた立地的なアドバンテージはすっかり失われているようです。



20時過ぎの駅構内。この駅の終電は21:30ですが、当日はその1本前の20:30発で大鰐へ向かいました。出発時刻に近づいているというのに、構内にお客さんの姿は見られません。
ご存知の方も多いかと思いますが、この大鰐線は2013年に一度は廃止が決定されたものの、地元の要望を受けて存続されることになりました。とはいえ、路線存続の方針が発表されてからも旅客数は年々減っており、20年前の約4分の1にまで落ち込んでしまいました。このため一旦は白紙撤回された路線廃止も、またいつ発表されるかわかったもんじゃありません。


 
出札窓口はありますが、ここで購入するのは定期券や企画券、記念グッズなど。普通の乗車券は券売機で購入します。
いまや都市圏では見られなくなった昔ながらの改札ゲートで、切符に挟みを入れてもらって入場です。


 
改札からホームへの通路。最近になって顔出し看板も立てられたんですね。



ホームで待っている電車に乗り込みましょう。昭和63年に東急からやってきて以来、大鰐線の主役として頑張り続けています。現在大鰐線で働いている各車両を調べてみますと、東急で活躍した期間は22年から26年かと思われますが、大鰐線では既に30年以上も走り続けていますので、第二の人生ならぬ車生の方が長くなってしまったんですね。


 
寒冷地ですからドアは半自動。ドア車内側にある押しボタンで開閉します(押しボタンの画像は2011年1月撮影)。市販の部材でつくったような手作り感が何とも言えない良い味を醸し出しています。


 
東急で活躍していた当時を思い起こさせる車内。ワインレッドのシートは、経年劣化で禿げかかっていますが、基本的には東急時代のまま。弘南鉄道はいまだに冷房車が1両も無い鉄道会社であり、夏になると天井の扇風機が大活躍します。


 
大鰐線に乗った観光客なら誰しもが目にとめるであろう、リンゴを象った吊り輪。青森と言えばリンゴ。とりわけ大鰐線が走る岩木山麓はリンゴの一大産地です。つり革の一部はハート型もありますが、あくまで遊び心であり、つり革としては握りにくいでしょう。


 
ちなみに↑画像は2011年1月に同じつり革を撮影したもの。まだこのころは葉っぱのフェルトがピンとしており、緑色も鮮やかでした。


 
東急時代のまま走っていますから、つり革の裏の広告は109や東急東横店の食堂など、青森県とは無縁のものばかり。このギャップも面白いところです。


  
(↑の両画像は2011年1月撮影)
運転台もほぼ東急時代のままですが、大鰐線はワンマン運転ですから、左右のドアの開閉スイッチ、そして車内放送や整理券発券機の操作装置が追加装備されていますね。一方、運転台の後部には、運賃表や運賃入れなど、ワンマン運転に欠かせない機器が設置されており、こうした点は東急時代と大きく異なります。



車端部の銘板も東急のまま。昭和39年製ということは、来年まで走り続けたら東京で開催される2つのオリンピックを跨ぐことになりますね。すごい!


 
さて、ここでちょっと寄り道をして、2012年8月に訪れた大鰐線・津軽大沢駅の様子をご紹介。


 
大鰐線は全線単線ですから、いくつかの駅には交換設備があります。津軽大沢駅もそのひとつであり、現在のダイヤでは多くの列車はここで行き違いを行います。


 
また駅構内には大鰐線の車両基地があり、いろんな車両が休憩中。


 
冬になるとラッセル車のお供になる古い機関車ED22。武骨でアンティークな外観が素敵です。大正15年にアメリカで製造され、まずは信州の地で活躍。その後国鉄の機関車となり、西武鉄道、近江鉄道、一畑電鉄と流浪の旅人のように各地の私鉄を渡り歩いた後、この大鰐線へやってきて今でも除雪の時に活躍しています。


 
こちらは元東急6000系。1つの台車に1台のモーターを装備させ、2軸を駆動させるという非常に珍しい独特の駆動方式を採用していますが、その特殊性が仇になったのか、東急ではあまり増備されず、弘南鉄道へ譲渡されてからも脇役程度の活躍しかしていません。


 
一方、こちらは大鰐線の主力である元東急7000系。日本初のオールステンレス車両でありますが、この車両が履くパイオニア台車も大きな特徴。見た目が独特ですが、乗り心地もある意味で独特。端的に言えばとにかく揺れる! 昭和の頃には、東急のみならず小田急や京王、南海など大手私鉄でも採用されましたが、それでも一部の車両にとどまり、大きく普及することは無かったように記憶しています。


ここで寄り道は一旦終了。時間軸を2018年秋に戻します。



中央弘前駅20:30発の列車は、20:58、静かで真っ暗な大鰐駅に到着。



隣のホームにはカッティングシートの帯を巻いていない無色の車両が止まっていました。この外観こそ東急時代そのもの。


 
北口は弘南鉄道専用の改札ですが、でも温泉街からは離れてしまい不便です。このため跨線橋の階段を上がって、JRの駅構内を経由して・・・


 
反対側の改札から駅を出ました。こちらは無人。


 
またまたちょっと寄り道。
津軽といえば雪国。2011年1月に撮った雪の大鰐駅です。東急の車両たちは、東京を走っていた頃は雪に難儀していたはずですが、当地では果てしなく積もる雪もものともせず、力強く走ってお客さんを運んでいます。それどころか、今や元東急の車両もすっかり雪と馴染んでいますね。


 
こちらも2011年1月の大鰐駅。引き込み線の奥では、上述した大正生まれの古参機関車が排雪車と連結して、お仕事の準備をしていました。


 
改めて時間軸を戻します。
こちらは2018年秋に大鰐温泉へ宿泊し、その翌朝に撮ったもの。駅前の大きなワニが印象的です。



ホームにかかる跨線橋。手前を左に降りたら奥羽本線。金沢・大阪方面と書かれていますが、現在その方面へ向かう列車は、この駅には来ません。かつての寝台特急「日本海」の名残ですね。一方、奥の細い通路を進むと弘南鉄道大鰐線。



ホームに停車中の大鰐線。昨晩はお世話になりました。



大鰐の湯で旅の疲れを癒した翌朝、私は奥羽本線の普通列車に乗って大館へ向かいました。

さて、今度私は大鰐線に乗れるのはいつになるのでしょうか。
大鰐線はその頃にも元気に走っていてくれるのでしょうか。
廃止が決まってから応援しても遅い。葬式鉄なんてまっぴらゴメンです。
いつまでも元気に走っていてくれ!


コメント (6)
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