走る治療師の練習日誌

月間500kmを目標+質も上げる

練習日誌(13・木) 週末に向け調整

2019-06-13 | Weblog
1゜25’44” 18kmjog(200m坂ダッシュ×14)(㌔4’45)

25,7℃(緑の文化ゾーン)

清々しく微風も吹きjogには勿体無い梅雨の中休み。
コース場に200mの坂があるから、そこだけダッシュで上った。

先日、患者さんに蔵王銘菓と書いてあったでん六の豆菓子を頂いた。
蔵王というと3点思い出す。

①高3時夏の蔵王坊平合宿。
②19歳時の正月に積雪少ない中のスキー。
③2001年夏に当時仙台にいたサトシとのゴルフ。(宮城蔵王)

特に、蔵王合宿は目茶苦茶だった。
時は1990年夏。(ナンバが西東京代表で甲子園決めた日から)
米沢工業主催で2週間位やっていて、7泊8日だったかな。
前夜から夜行バスで山形駅に朝5時着。
蔵王行きのバスは10時だから5時間待ち。
当時の山形駅周辺はコンビニが2軒あっただけ。
立ち読みしたって1時間ももたない。
他には営業している店は1軒もなく、しまいには道で寝ていた。

合宿はというと、朝は4時には起こされる。
朝練、午前練、午後練があり、その都度上り坂で100mナガシを最低でも10~20本はやらないといけない。
基本的にはやってられないので、だいぶサボったが、1度ボルテージが上がりアドレナリン全快になった時に129本やった。
(朝練自体、かなり遠くに逃亡しサボっていた。参加者が3~500人以上(推定)はいたから楽勝)

ある夜には、各学校ごとに代表者がカラオケを歌うことに。
うちからは俺が、サザンのチャコの海岸物語を歌い優勝。
他県の人達は慣れていないのか?ヘタクソだった。
1990年の東京多摩地区でもカラオケBOXはどんどん出来遊んでいた。

因みに、高1で生涯始めてのカラオケは「津軽海峡冬景色」。。
カラオケはかなり好きな方で、異常なくらい高音が出た。(もう出ない)

当時は距離走の時に少しは水分補給出来たのに、この蔵王合宿では一滴も飲ませてくれなかった。
まあ、トイレで飲んでたけど。

中学高校でそれなりにハードトレーニングをしたけど、生涯で1番キツカッタ練習はこの坊平でやった、「500m坂道レぺ×15本」だな!!

流石に、今の俺でも無理ッス。
ただ、多摩湖の青年坂道ダッシュ500mは10本はやっておこう!!
コメント
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