36’00” 9,6km(㌔3’45)
14~17℃
ランシャツで走れる。
自分としては奇跡の暖かさ。
でも、今週で終了。
来週末からは真冬スタート。
5時に目覚ましかけても起床は5時40分。
昨日の仕事中に右股関節に激痛走る。
一応、昨晩風呂でセルフ治療。
今朝は違和感あり。
ダメだったら明日へスライド予定でスタート。
何とか痛みは大丈夫だったが、まあ重い重い。
こんなに重くていいのかってくらい重い。
4’47”
4’44”
4’43”
4’38”
4’30”
4’24”
4’19”
3’56”
来週は駅伝で10km未満だから、12kmでなく8周の9,6kmBUにした。
ラスト1周だけは重い中、思いの外動いた。
やはり、スピードがないなりに、6kmでのラスト1,2kmをMAXに上げるスピード練習で少しはスピードが出るようになった。
但し、ラストスパートという気持ちの良いスピード変化は出ない。
50歳を過ぎてもう其の速筋は消えた。
それが、自然の摂理というもの!!
今日は南公園に着くと、毎度の短距離軍団の所に、高齢の女性がいた。
それは…
多摩湖RCのS口さんが「あの女性はヤマネさんだよ」と教えてくれた。
ヤマネ先生は自分は中1時に1回か2回お会いしただけ。
中学時に後の日本記録を樹立した佐々木あゆみさんを育てた先生と聞いた(東大和4中時代)。
うちの「とうだいわさん」はウォーターウッド先生でこれまた結構な有名な先生。
後に東京都の中学陸上で跳躍の強化指導先生と聞いた。
因みに、中長距離が分からないウォーターウッド先生は、1500mで都大会に出た小生へのアドバイスは唯一「先頭につけ」だった。
それが、今の今までの「ツッコミ」に繋がっていると思う。
最高級のアドバイスだな!!
自分の中学入学時は2個上にイマジ麹先輩(幅跳び)&ヤマグチ薫先輩(200m)という全国大会で入賞する先輩がいたから盛り上がっていた。
だから、ヤマネテル子先生が遊びに来てアドバイスしてくれたんだろう。
自分も中距離はそれなりに早かったが、1中の1個上にオノさんという中1の都大会で優勝した先輩がいたからそちらの方が期待されていた。
自分が1年時の都駅伝の支部予選でオノさんと1区で激突しこちらは初4kmを見事に突っ込んでラスト100mで後ろから「ポ~ん」と叩かれて離された思い出がある。(その後、こちらはシンスプリントで苦しんだ)
オノさんはその後少しソレてしまった。
高校時は髪の毛が茶色だった。
それにしても、当時の東大和は長距離強かった。
2個上は5中のO村さん・うちのイマジ麹先輩も長いのもイケた。
1個はオノさん5中のI井さん。
俺。5中のKB田クロップH田の3人衆。
そして、1個下の2中の箱根駅伝に4年連続で走ったKG見。。。
楽しい時代だった!!
まあ、50歳になっても楽しみましょう。
来月には全国マスターズ駅伝があり東京Aチームで走ることになったからな!!
平均心拍 161