Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

西条富士・城山(じょやま)に登頂☆ 2011年10月26日

2011-10-26 14:08:27 | 日記・エッセイ・コラム

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今朝の加古川は13℃と冷え込んだ!最高気温は18℃にしかならないらしい!思わずストーブを出したくなるほどに寒く感じた!しかし天気予報によれば明日からまた暖かくなると聞いて思い止まった、なんだか昨夜は神戸にも最大瞬間風速15mの木枯らし1号が吹いたらしい?・・・

昨日、5時頃、病院から帰ってきて洗濯物取り入れ、ピッとお湯はりボタンを押し、夕食の仕度にかかった、昼間に刻んでおいた野菜(茄子、ピーマン、ニンジン、キュウリ、モヤシ、タマネギ)をサラダ油で炒めミルクぶっ掛け塩コショウで味付けしてミルク煮込みにした、そして、どんぶりにご飯山盛りにしてカツオおかか味道楽をダブルでふり掛けて、インスタント味噌汁に刻みねぎたっぷり入れて、キムチとビール350mlでガツガツ食した、ふりかけ様様である、うめ~~のなんのって!・・・

サクラに缶詰開けてチキン・ビーフ・野菜煮込みのドッグフードをやると、サイエンス・ダイエットなど見向きもせずにがつついていた、急いで入浴済ませ台所の後片付けしてから、プレゼント交換用DMハガキもって、ヤマトヤシキへ走った、“大北海道物産市会場”が催されている6階にあがり、レトルトぜんざい2袋をありがた~~~く受取った、そして加古川第九セッション会場へ走って行ったが、木枯らしが吹くような気ざしは無かった、急いで走ったかいあって、7時開始、滑り込みセーフのタイミングで連習前の永山トレーナー指導の体操に間に合ったが大汗かいた!・・・

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では、お待たせしました、なに!誰も待ってない!ランカー0だもんねえ、悲し~~い!そうおっしゃらないで読んでおくんなせえ~~、ではでは、ここから日曜日に先送りしておいた、郷里探訪日記に取り掛かることにしよう・・・

あっ!もうこん時間だ!家内のシャワータイムが迫っている、洗濯物取り入れてから出かけ、今日出た洗濯物をもって帰ってこなくっちゃ、2日前から部屋での牽引器リハビリに合わせて、1階のリハビリルームでの歩行リハビリが始まった、今朝、8日間過ごした個室部屋から4人大部屋に移ったと家内から連絡が入った、今夜の夕食は、ほか弁買ってこようっと、ブログは夕食・入浴のあとに始めよう、ためしてガッテン!は観んぞ!睡魔が襲いませんように(祈り)・・・

この日3時頃、小生が勝手に西条富士と名付けた標高85mの城山(じょやま)の登頂目指して、加古川医療センターを出て坂を下っていった、神野小学校への裏道を右折して直ぐのところ、小学校の裏山にこんもり茂った森の静寂のなかに天神さんの祠(ほこら)が2体あった・・・

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天神さんの境内から直ぐ隣に常光寺の墓場が見えていた、10月22日発行の月刊“リビング加古川”に紹介されていたが、西国三十三ヶ所霊場客番として法華山・一乗寺のあとに追加された天徳山・常光禅寺である、100mほど先に進むとその山門があった、この山門は1665年に南室大和尚が開基されて以来ずっと、焼失を免れてきたと言われる由緒ある山門である・・・

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山門をくぐり、さらに坂に沿って奥へ登って行くと、どデッカイ本堂があった!ここの本堂には33cmと小ぶりながら奈良時代に行基上人が彫った十一面観音の本尊が祀られている、そこの中庭から神野小学校校庭越しに前方を観ると寶塔寺の岩山と日岡山が望めた・・・

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常光寺をあとにして、上之山の溜池から流れ落ちてくる水路沿いに、城山の方向へ更に歩を進めていった、すると北神野の天神さんの祠(ほこら)が在って、その前には名前は分からないが長い歴史を見守ってきた大木が1本立っていた・・・

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更に先を急ぐと湖畔に?ではなく池畔に加古川市立北公民館が立つ“里池”と呼ばれる溜池があった、そこから西条山手のほうに振り向くいて目をやると、甲南病院の向こうに加古川医療センターが君臨していた、そこからは目の前に城山の勇姿が迫っていた・・・

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さて、西条山手から中西条にぬける急勾配の峠坂を登りつめ、左折して登山口の方へ進んでいった、いよいよお地蔵さんが納まるお堂の横の途切れ途切れの階段を上って行く登山口に立った、急斜面が続く城山登頂に挑(いど)んでいった、7合目ぐらいのところで下西条かららせん状に上って来る坂道と、直線に伸びる階段登山道が交差する・・・

そこから更に階段なき岩道を直進して登り切ると、頂上には、鎌倉末期から南北朝時代に掛けてこの播磨の守護大名として後醍醐天皇と足利尊氏に仕えた、あの赤松則村(のりむら、1277~1350年、赤松氏4代当主)が築城した“西条城”の史跡に、その名残を漂わせる城館が一つ建っている・・・

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その頂上から下界を眺めれれば、木立に隠れて加古川大堰は見えないが、加古川の大河の傍に草谷川(くさだにがわ)の流れの絶景が望まれる、草谷川が加古川に合流した地点には、“五ヶ井用水”と“新井用水”の源となる“草谷川の堰”が出来ている、そこには聖徳太子の命によって、五ヶ井用水路に鶴林寺(かくりんじ)・三重塔の高さの勾配をつけるための施石“太子岩”が置かれている・・・

小生の中学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた!確か2年生の時、担任のスポーツ万能熱血体育教師・栗林先生に先導されて我々はこの頂上に連れてこられ、一斉に応援団リーダーのように、腕を振りって“箱根八里”を歌ったものだった☆♪ 箱根の山は天下の嶮!函谷関(かんこくかん)も、ものならず・・・♪ 、ご存命かは定かでないが、もう90歳ぐらいになられているだろう・・・

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また、この頂上付近には上から順に、“NTTドコモ”、“J-PHONE IMT神野局”と大規模な“KDDI(株)神野基地局”の中継アンテナが建っている、KDDIのアンテナ横から水管橋方面を望むと既に陽が沈んでいたが、夕焼けがまだ残っていた・・・

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山を降りると、西条古墳群のなかに7世紀後期(奈良時代前期)に建立されていた法隆寺式伽藍配置の西条廃寺跡へ廻った、そこには立派な金堂基壇、塔基壇と講堂基壇がいにしえのままに残っている、ついでに夜の帳(とばり)のなか、先日行者塚は観たがまだ見てない“人塚古墳”と“尼塚古墳”を垣間見て上之山を貫けてメディカル・センターへ帰っていった、古墳を眺めていると家内が心配してか『こんな暗闇に何処、徘徊しとるんや?』と電話を掛けてきた・・・

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夢中になっていると“秋の夜の帳(とばり)は釣る瓶落とし(つるべおとし)にやって来る!”を忘れがちになるものである(^^ゞ・・・

生協 宅配<script type="text/javascript"></script>

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