Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第43話”如水の誕生!~後編” 2014年10月27日

2014-10-27 12:14:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜の阪神は、入団3年目の武田翔太(21歳、宮崎日大高)の大きく縦に割れるカーブと150kmの速球を混ぜる安定した好投にやらた!ホークスの投手陣の層が厚い!阪神は武田に7回を1失点に抑えられ1-2の接戦でホークスに敗れ1勝1敗のタイとなった、6回裏に、西岡のタイムリー・ツーベースで1点差にしたが及ばなかった、能見も6回を投げて健闘したが、1回裏に内川のタイムリーと、4回にイデホの一発に泣いた、28日からの3連戦をヤフーオクドームで迎えることに成るが、両軍譲らぬ接戦を期待したい!・・・

今朝のNHKラジオが、逸ノ城駿(いちのじょう たかし、21歳、モンゴル、湊部屋)の関脇昇進を伝えていた!逸ノ城と言えば、身長192cm、体重199kgの巨漢を生かし、ついこないだの九月場所で上位力士を次々と破って、13勝2敗の好成績で殊勲賞と敢闘賞を受賞して記憶に新しい!今年1月場所で幕下付け出しで初土俵を踏んで以来、トントン拍子に昇進し、先場所の新入幕から11枚も番付を飛び級して、デビュー5場所目の11月場所には、新三役・関脇に昇進した角界の出世頭となった!将来が楽しみん・・・

秀吉の怒りを鎮めるためなのか、官兵衛が名を如水と改め第一線を退き隠居の身と なった、その8月15日、多くの兵を朝鮮に残したまま、秀吉は大坂へ帰った、そのまま、名護屋城を訪れることはなかった、大坂の黒田屋敷にも黒田の大殿、官兵衛が戻って来た、光殿、熊の助、お福、お道が、頭を剃り落した官兵衛を迎えた、皆は官兵衛のツンツルてんの頭を観てビックリ仰天した!『如何じゃ?』、『ええ、お似合いで御座いますよ!』と笑いながら光が褒めた、うっふふふふ~~~!『笑っておるではないか!』、お道と目を合わせながら、お福が言った「いえ、大殿が御無事で嬉しいので御座います!」、はい!・・・

官兵衛が腰を下ろし皆の顔を観て言った『心配をかけた、わしも晴れて隠居の身じゃ!』、光が労(ねぎら)った『長い間、ご苦労様で御座いました!』、官兵衛の顔は穏やかに和んでいた、熊の助に頭を突き出して言った『熊の助、触ってみるか?』、「はい!ザラザラしております!」光も触った『ザラザラしております!』、一方、秀吉は寝床に眠る我が子の頭を撫でながら、拾(ひろい)との初(はつ)対面をじっくりと味わっておった『拾、良い面構えをしておる、このわしにそっくりじゃ!あっははは~~~!しかし茶々の言う通り、男(おのこ)が生まれるとはのう、うっふふふふ~~~!」・・・

茶々が言った「わたくしにはお腹に居るときから分かっておりました!」、『大した女子(おなご)じゃ!茶々、欲しいものがあれば、何でも言え!わしは拾を健やかに育てるためなら、何でもするぞ!』、「ありがとう御座います!」茶々は頭を下げた、『じゃ拾い、わしは行って参るぞ!』秀吉はあやし鈴を三成に託して出て行った、三成が茶々に言った「拾君がお生まれになることが分かっていれば、殿下も秀次公に、早々に関白の位を御譲りになることもなかったでしょうに!」、「私の望みはただ一つ、この子が天下人に成ることだけ、邪魔立てするものは全て、退けなければなりませぬ!」茶々は三成を横目で見つめて不気味に笑った!・・・ 

官兵衛と光は聚楽亭におねを訪ねて、此度のお礼に参っていた、『今度ばかりは、命拾いを致しました、政所様のお蔭で御座います!ありがとうございました!』、深々頭を下げて、光も『ありがとうございました!』、おねが言った「頭を上げて下さい、官兵衛殿を追い詰める方が、どうかしているのです!むしろ、こちらこそ申し訳ない思いでいっぱいです!許しておくれ!」、『もったいなきお言葉!』、光も『長政の時と言え、政所様は黒田の恩人!脚を向けて寝られませぬ!』、『隠居の身では御座いますが、お役に立てることがあれば、何なりとお申し付けを!』、「その言葉、待っていましたよ!如水殿!」・・・

聚楽第に関白の豊臣秀次が参り、官兵衛に会って言った「政所様より、何でもお主に相談せよと言われた、頼みにしておるぞ!」、はっ!「叔父上(おじうえ)は拾が生まれてから、わしへの物言いが変わった!」、秀次は先日大坂城で起こったことを官兵衛に話した、秀吉が秀次に訊いた『なあ秀次、この国を一人で治めるのは大変であろう?そこでだ!』、三成が一枚の絵地図を広げて、それを秀次の傍に置いた、「これは?」、秀吉が答えた『この国を五つに分けた、そのうちの四つを、関白であるお主が治め、あとの一つを、拾に治めさせるというのは如何じゃろう?』、不思議に思い秀次が訊いた「拾はまだ生まれたばかりで御座います、その様なお話は早いと存じまするが?」、『確かにまだ先の話じゃ、まあ、考えておいてくれ!』、はあ~~??・・・

官兵衛と秀次が対話していた先ほどの場面に戻ろう、「わしは関白じゃ、この国を立派に治めたいと思ておる、だが叔父上は、拾の元服の暁には、天下人にと、お思いなのであろう?官兵衛、如何すれば良い?」、官兵衛気は訊ねた『いずれ、関白の位を拾君にお譲りすることに、異存がお在りでしょうか?』、「無論、異存など無い!」、『ならば、それを太閤殿下にお伝えし、ご安心して頂くので御座います!』、「しかし、口約束だけでは、信じて頂けるのかどうか?」、『それがしに考えが御座います!』と官兵衛は秀次に約束した・・・

大坂城では三成に心配事あるようじゃった、秀吉が言った『三成、そう心配するな、秀次はこのわしの気持ちが分からん男ではない、そもそも、このわしが譲ってやった天下じゃ、拾が生まれたからには、いずれは自ら、関白の位を返上するであろう!』、三成が問うた「はて、そうなりましょうか?秀次公には今年四つに成る御嫡男、仙千代丸様がいらっしゃいます、我が子が可愛いのは、誰でも同じ、太閤殿下が拾君に跡を継がせたいとお思いになられる様に、秀次公もいずれ、ご自分の子に継がせたいと思うやも知れません!」、うむうむ・・・

そこへ増田長盛が入ってきて言った「殿下、秀次公より書状が届きました!」、『秀次から?』その書状に目を通して秀吉が言った『はっははは~~~!』、三成が「如何されました?」、『秀次のやつ、二歳になる娘を、拾の嫁に貰って欲しいと、言ってきた!』、「生まれて二月(ふたつき)の拾君に縁談で御座いますか??」、三成がぼやいた「二歳と二月(ふたつき)!?雛人形ではあるまいし!」、『秀次め!洒落たことをやるではないか!面白い、拾の言い名づけは、秀次の娘じゃ!』と秀吉が決めた!これが官兵衛のじゃれごとの策と知ってか知らずか・・・

そのあくる年の文禄3年(1594)の夏、長政と家臣団が朝鮮から帰国した、官兵衛からねぎらいの言葉があった『2年余りの務め、大儀である!』、長政が帰国の挨拶をした「誠に長ごう御座いました!こうして皆が顔を揃えられることは、喜ばしい限りで御座います!」、太兵衛と九郎右衛門が官兵衛の頭を観て口を開いた「話には聞いておりましたが!」、「男っぷりが上がりましたな!?」、頭をなで名ながら官兵衛が『からかうな!』、うっふふふふ!うっふふふふ!善助も加わり、帰国の祝いの席が 設けられた、長政と一成が何やら風呂敷に包まれたものを運んできた「熊の助、土産じゃ!」包みを広げると虎の皮が出てきた!女達が一斉に黄色い声を上げた!キゃ~~!・・・

長政の武勇伝が始まった「な~~あ、わしは鉄砲を手に、山を分け入ったわ!暫く行くと、背後でガサガサと物音がする!振り向くと、こ奴が現れ、わし目掛けて飛びかかって来た!がお~~~!わしはすかさず狙いを定めて打ち抜いた!ヅど~~~ん!」、熊の助がびっくりした!太兵衛「一歩間違えば、殿が虎の餌食になっていたところで御座います!」、熊の助「さすがは、兄上!」、糸が割り込んで来た「呆れた!何故その様な危ないことをなさるんですか!?」、「腕試しじゃ!」、「何が腕試しで御座いますか!?この様な恐ろしい獣、もし、何かがあったら、如何なさる御積りですか!?」、官兵衛が『糸の言う通りじゃ!お前は相変わらず、命知らずだ!目を離すと、何をしでかすか分からぬ!』・・・

長政が「父上、子ども扱いなさらないでください、これでも今や、黒田家の当主ですぞ!」、光が『どんなに立派になろうとも、親にとっては、子は何時まで経っても子なのじゃ!』、長政は嬉しそうに笑った、善助が「それにしても、朝鮮での戦さ、余りに無謀であった!」、又兵衛が「あのようなことをやっていては、国が亡びかねませぬ!」、太兵衛が「太閤殿下の黒田家へのなさりようも、得心が行かぬ!」、長政が「許せんのが三成じゃ!あることないこと、吹き込みよって!」、善助「かつての太閤殿下が、あのような讒言(ざんげん、人を陥れるため事実を曲げ言いふらすこと)!一生に臥(ふ)されましたわ!」・・・

九郎右衛門「殿下が御伽衆と噂(うわ)されていたように、一掃の事、大殿が天下を御取りに成れば良いのじゃ!」、善助「九郎右衛門!良いことを言った!そうじゃ!大殿が天下人に成るべきじゃ~~~!」、そろそろ宴もたけなわ、酔いも廻って来た、お道「お前さん、飲みすぎですよ!」、ここで太兵衛が立ち上がって音頭を取った「黒田家、久方ぶりの勢揃いじゃ~~!酒がある限り!飲むぞ~~~!」、おお~~~!一気!一気!一気!太兵衛が大杯を一気に飲み干した!おお~~~!太兵衛殿!あらあらあら!ははははは~~~!あっはははは~~~!黒田家一門の絆が、久方ぶりに一つになって夜遅くまで盛り上がっていった!祝い夜にふさわしい満月が黒田家の宴の席を煌々と照らしていた!・・・

そして、この男が動き出していた、密かに天下人の道を歩む家康である、重臣の井伊直政、本多忠勝が揃う伏見の徳川屋敷に、家康が長政と正則を宴の席に招待していた、『さあさあ!』家康が二人に酒を進めていて言った『わしは朝鮮へ行くことが無かったので、今宵は彼(か)の地の話を、じっくりお聞かせ願いたい!』、長政「長~~い戦さで御座いました!」、清盛「我等、2年もの間、朝鮮で戦い続けてきましたが、何の恩賞にも預かって居りませぬ!その訳を御存知か?三成の所為で御座る!あやつを始めとした奉行衆が、我等の働きを認めようとせんので御座る!」、長政「別けても、まだ朝鮮から戻れぬ、加藤殿の武功は格別なれど、奉行衆はそれを承知で、握りつぶしよった!許せませぬ!」・・・

今度は直政と忠勝が二人に酌をした、酒の弱い正則の手から盃が滑り落ちた?早!酔いつぶれたようだ??「福島殿、シッカリなされよ!」長政が正則の頬を叩いた、突然「おのれ三成め!」と正則が喚(わめ)き、また寝てしまった!忠勝「いや~~、それにしても、黒田様はご苦労続きで御座るなあ!」、直政「我等のような戦さ場育ちの者は石田三成の様な奉行衆とは肌が合いませぬ!我等の殿も、黒田様、福島様、加藤様の様な人に親しみを覚えると、いつも仰せで御座います!」、長政「有難きお言葉!」・・・

家康『別けても、長政殿は他人の様な気がせぬ!わしも幼き頃に、人質となり、織田家、今川家をたらい回しにされてきた!危うい目におおたのも、一度や二度ではない!お主と同じじゃ!お主が信長公に成敗されそうになったと聞いた時は、他人事とは思えなんだ!あの辛さは人質になったものにしか分からぬ!』、はい!家康『いや~~、今宵は楽しい酒であった!』、「次は是非、向学のため、徳川様の戦さ話をお聞かせください!」、家康『うんうん、何時でも、お越しに成るがよい!』、長政「福島殿!お暇(いとま)しますぞ!」はははははは~~~!・・・

天正15年(1591)11月に、関白の位を秀吉から譲り受け、その執務を聚楽第で執っている秀次を、官兵衛が訪ねていた、二人は縁で将棋を指しながら、何やら、楽しそうに語らっていた、秀次「あれ以来、殿下もすっかり安心され、近頃は万事うまくいっておる!全て官兵衛のお蔭じゃ!」、『それは良う御座いました!』、「王手!」、『参りました!』、官兵衛が負けたようじゃった、「あっはははは~~~!よ~~し、もう一番じゃ!」、はっ!、秀次「官兵衛、先ほどの勝負は本気であったか?わざと負けたのではないか?」、『貴方様は毎度そうお聞きに成りますが、それを知って如何なさいますか?』、「わしは本気のお主に勝ちたいのじゃ!」・・・

『その様なつまらぬことを考えてはなりませぬ!』、「つまらぬじゃと!?」、『太閤殿下であれば、その様なことを聞かずに、勝ったことを大喜びなさいます!それでこそ、天下人と云うもの!仕える者の顔色を窺(うかが)っているようではいけませぬ!』、「関白と云うても、わしの力でなった訳ではない!すべて叔父上(おじうえ)が居ればこそ!その叔父上に頼らず、わしは真の力を手に入れたいのだ!」と秀次は”王将”の駒を観た、『その様にお考えに成ることを、殿下はお喜びに成りましょうか?』、秀次はもっと強くなって自立せねばと暫し考えていた・・・

そんな頃、え~~ん!あ~~ん!少し大きゅうなった拾君が泣き止まぬゆえ、秀吉があやしていた、『ああ~~、泣くな!泣くな!泣くな、拾!』、お付の侍女が拾君を受け取った、あ~~あ~~、は~~、ハ~~、腰を下ろした秀吉は息を切らしておった、淀君がそんな秀吉を横目で見ながら訊ねた「拾は天下人になれましょうか?」、『案ずるな!秀次は分かっておる、そのために秀次の娘と縁組を決めたんじゃ!』、淀殿は案じていた「秀次様はお若こう御座います、殿下の御目が黒いうちは宜しいでしょう、されど?」、『このわしが死んでからと云うことか?』、茶々はその時、三成とのことを考えていた、・・・三成も密かに秀吉の死後のことを覗っていた!文禄4年(1595)7月3日、聚楽亭に秀吉傘下の奉行衆たちが押し掛けていた、秀次が語気を荒げて言った『何用じゃ!』、三成等は明らかに秀吉亡き後の政権を狙っていた!・・・ 

中津城の中庭では、幼少期から脱皮して、少年期を迎えた熊の助が又兵衛を相手にして剣術の稽古に励んでいた、やあっ~~~!えいっ~~~!「 もっと!腰を入れなさいませ!」、えいっ~~~!やぁ~~~!「参りました!」、それを縁側で官兵衛と光殿が観ていた、「次!吉太夫(きちだゆう)来い!」、はい!お願いします!母里太兵衛と正室・大友宗麟の娘との間に生まれた息子の母里吉太夫(1582年生まれで熊の助とは同年輩)も大きく成長していた、光『この様な平凡な日々が、何時までも、続くとよいのですが!』、官兵衛はあくびをしながら『これが隠居暮らしと云うものか!?少々物足らない気もするが!』、光『戦場が恋しいのではありませんか?』、うふ・・・

「大殿!」そこへ九郎右衛門が急ぎ足でやって来て伝えた、『如何した?』、「聚楽亭に石田殿等、奉行衆が太閤殿下の使者として、向かわれたようで御座います!」、『何があった!?』、「関白秀次公に御謀反の疑いがあるとのことに御座います!」、又しても謀(はか)ったな、三成~~~!・・・ 

 

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