ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ ディック・スレーター

2016-06-09 12:45:00 | スポーツ

交通事故さえなかったらチャンピオン、そう云われていたのが、今回取り上げるディック・スレーターでした。

日本での肩書は「喧嘩番長」。酒場で大男にケンカを売ったが、相手は真剣勝負(シュート)に強いとされたプロレスラーだったのが運の尽き。逆に叩き潰されたが、その根性が買われてのプロレス入りとパンフレットに紹介されていた。

日本ではファンクス兄弟の弟分としてデビューし、右利きのテリーと云われる暴れっぷり。なかでも記憶に残るのは、ブッチャーとの試合で目に負傷をおってしまいながらも、翌日の試合では眼帯をつけて登場した根性者ぶりであろう。これで、日本での人気が定着したと云われている。

強いプロレスラーには二種類いる。身体の大きさや身体能力などが優れた上に技術のあるタイプは分かりやすい。分かりにくいのは、喧嘩に長けた強者である。

多少の反則あれどもルールに守られ、観客の視線にさらされるプロレスのマットの上と、ルールもなく、不意打ち、騙し、なんでもありの路上の喧嘩とは、おのずと戦い方が異なる。

路上の喧嘩では、なにがあるか分からない。だからこそ、先手必勝の度胸が必要となる。やってみれば分かるが、見知らぬ相手に路上で殴り鰍ゥるのは、案外と度胸が必要だ。

戸惑っていたら、相手の攻撃を受けての敗北というケースは非常に多い。いくら技術や体力があっても、最初の一発を鼻っ柱に喰らったら、素人は挽回するのは難しい。

だから、路上の喧嘩強者は、まず度胸だ。その次は狡さだと私は思っている。喧嘩の強い奴ほど、その強さを隠すのが上手い。笑顔で「やあ、やあ」と近寄ってきて、いきなり急所にドスンである。

気が付いたら、胃液を吐いてのたうっていた私なんざ、なにが起きたのかさっぱり分からなかったほど。後で悪ガキ仲間に訊いたら、下段からの正拳突きであったそうが。まるで気が付かなかった。

ディック・スレーターも路上の喧嘩屋上がりであるだけに、この手の騙しが上手かった。恵まれた体躯と、喧嘩度胸があり、しかも狡賢さも持っていた。才能は十分、チャンピオン級であったと思う。

しかしながら、アメリカで交通事故に遭い、瀕死の重傷を負ってしまった。リハビリ後、見事に復活し、その気振りもみせずにプロレスのリングに上がっていたガッツの持ち主である。だが、以前ほど身体が動かなかったようで、遂にチャンピオンになることはなかった。

ここまでが表向きの話。

実はそうではなかった。交通事故の話は本当だし、その後遺症で苦しんでいたのも事実である。薬物中毒になりかけて、晩年は多難な人生であったとも聞いている。

だが、彼がチャンピオンになれなかったのは、他に理由があった。一言で云えば、素行が悪かった。とにかく時間を守らず、オフでの素人とのトラブル(要は喧嘩だ)が多くて、全米各地のプロモーターからの評価が最低であったのが原因であった。

日本では、全日本や、新日本のプロレス会社の外人係が、宿の手配、食事の案内、夜の飲食、トレーニング場所の確保などの雑用を世話してくれる。だから、日本のプロレス・ファンは、スレーターの素行の悪さに気が付かなかった。

また人気者のファンクスの弟分として人気が出たせいか、日本では善玉(ベビーフェイス)として活躍していたことも、彼にとっては新鮮で、遣り甲斐を感じていたので、真面目にプロレスをやっていたようだ。

しかし、アメリカではデビューから一貫して悪役(ヒール)であり、彼は自らの気性からして、悪役を好んではいたが、そのせいで、リングの外でもファンから嫌われて、トラブルが尽きなかったようなのだ。

彼がアメリカで善玉に転向したのは、交通事故の後であり、もはや悪役をやる自信がなかったからだろうと思う。いささか遅きに失したし、なによりプロモーターの歓心を買いたかったからだと云われている。そして、それはもう手遅れであった。

スレーターは、その喧嘩度胸、悪賢さ、優れた身体能力を持ち合わせていたが、唯一、世間と折り合っていくのが下手であったことが、彼をして不遇の境遇に貶めたのではないかと思う。

私は彼の喧嘩度胸の良さを買っていたので、いささか残念に思います。

コメント (2)
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