ヌマンタの書斎

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ニート 玄田有史 曲沼美恵

2016-06-24 16:00:00 | 

独断と偏見だとの謗りを承知で書かせてもらうと、ニートって先進国特有の贅沢病である。

生きるための必死さが欠落している心の病だと思っている。

ニートが発生した背景には、西欧型近代文明の行き詰まりといった問題がある。科学の発達と共に飛躍的に生産力を高め、新たな社会を築き上げてきた資本主義社会ではあるが、科学の停滞と共に、その成長に限界が見えてきた。

半導体も、バイオ技術も、そしてIT技術も、所詮は便利な技術であり、社会の基盤を大きく変える力はない。石油、石炭等の化石燃料を燃焼させて膨大なエネルギーをもって、鉄と化学製品により成り立つ近代文明は、もはや成長の限界に近づいている。

だからこそ、成長の限界が見えた先進国ではニートが発生し、まだ成長の余地が十分ある発展途上国ではニートは生まれない。

しかしながら、今さら賢しげに文明の停滞とニートとの関係を論じているべき事態ではない。もはや、ニートは日本中、どこにでもいるし、誰もがニートになりかねないほど、事態は切迫している。

90年代から、ニートを研究対象としてきた著者たちは、そのニートを社会復帰させるには如何にしたらよいかを模索している。その活動のうち、秀逸なのは、ニートの発生の時期を、中学の時点まで遡って指摘している点であろう。

たしかに、大人とも子供とも言いかねる微妙にして、急激に成長する中学の3年間は、子供たちにとって非常に難しい時期なのだろう。この時期に挫折したり、社会との親和性を失ってしまった子供が、成長して大人社会と上手く折り合えずに、やがてニートとなる。

そこで参考になるのが、この本でも取り上げられていた神戸と富山のケースでしょう。中学生に5日間(!)働かせて社会経験を積ませる。地域社会の支援、親御さんたちの理解、学校と役所の連携などがあって実現できたのでしょうけど、これは立派なことです。

かなり、ひねくれた子供であった私ですが、子供の頃から大人の手伝いとして働くことを知っていたので、自分の人生について、稚拙ながらもそれなりの考えを持てました。

また、子供としてではなく、働き手として大人と共に働けば、そこには大人社会の厳しい現実があることも理解できました。私がやっていた仕事は、どちらかといえば犯罪紙一重のものでしたが、それだけに仕事そのものは厳しかった。

子供だからといって、手を抜くことは許されない。同時に、自分が社会の中の一員として生きていける自信にもつながりました。この時の経験があったので、私は大人になって、長期の自宅療養中であっても、身体さえ治れば再び働けることを、ほぼ確信していました。

だから、神戸や富山で実施されている、中学生の社会経験学習がニート対策に役立つであろうことが良く分かります。そして同時に、私とて子供の頃に大人の仕事の手伝いをした経験がなかったら、病気が治ってもニート化した可能性があることも分かるのです。

表題の書が世に出てから、すでに10年が経ちましたが、ニートの数は増えるばかり。行政も手をこまねいている訳でもなく、また各地の中学や高校で、社会学習が行われてはいますが、まだまだ十分な成果は出ていません。

21世紀の日本を襲う危機は、石油、食料、水を巡る戦いだと思いますが、同時に高齢化社会への対応と、働かない社会人といった内政上の問題もあることは認識すべきことだと思います。

コメント
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