ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

誰のための報道か

2016-06-15 14:33:00 | 社会・政治・一般

表現の自由とは、マスコミの常套句である。

私に言わせれば、事実を報じない自由であり、(マスコミにとって)都合の悪い事実を報じない自由でもある。

ただ、いかなるマスコミにも立場というものがある。その立場は、営利組織であるマスコミ自体の経営を守り、従業員の雇用を守る立場でもある。また自らが正しいと信じる信念を守る立場でもある。

世の中には、多様な考え方があるのだから、その立場も多種多様であるのは当然のことだ。一般にマスコミは、公平中立、不偏不党だと世の中にアピールしたがるが、これほど悪質な嘘はない。

ほとんどのマスコミは、その立場はある程度の偏りを持つ。これは当然のことである。神ならざる人間が、完全に中立、公平な立場である訳がないからだ。

だから朝日新聞が未だに従軍慰安婦という虚構を報じるのも、共感こそできないが、理解できないわけではない。朝日新聞にとっては、日本を貶めることこそ、平和への道だと信じているからだ。たとえ虚構であったとしても、それで自らの善人ぶりをアピールしてきた過去を捨てきれないのも理解できなくはない。

ただし、思いっきり軽蔑はしますけどね。

ちなみに、その偽善ぶりを代表するスター記者であった植村・元記者が退社した後、急に誤報問題として取り上げたのは、営利組織として当然の防衛本能である。購買部数の低下ほど浮「ものはない。昔のように反日、自虐を叫べば発行部数が伸びる時代ではないから当然である。

ただ、かつての偽善ぶりの怨念だけは残っているので、未だに煮え切らない社説を載せるあたりが、朝日新聞のダメなところであろう。まァ、今の全共闘世代の幹部たちが退職すれば、変ると思う。

これが怖い。営利組織としての企業防衛の都合で、これまでの主張を一転させることぐらい平然とやる。真剣に敗戦を反省した上での反戦平和思想ではないため、状況が変われば、アメリカやシナとの決戦辞さずの好戦的新聞に変る可能性がある。

別に驚くことではない。かつて日露戦争時において、徹底的な戦争継続を主張したのは他ならぬ朝日新聞であり、この業績をもってして全国紙に成り上がったのは歴史的事実である。

そして、日華事変以降、急激に深まる戦線の拡大に反対の声を上げたのも朝日新聞だ。しかし、朝日の愛読者であった退役軍人たちの反発と、不買運動に慌てふためき、戦線拡大に賛意を示したのも朝日新聞である。

営利組織である新聞社が、その存続のために信念や政治的主張を変えるのは、歴史上よくあることである。

少し私は寛容過ぎるかもしれないが、そんな私でも沖縄の新聞(琉球新報、沖縄タイムス)だけは理解しがたい。自分たちの島に、外国の軍隊がいて迷惑をかけているのだから、反感が生じるのは理解できる。

しかし、その一方でその基地の存在が、沖縄を守っているのは確かだ。彼らは知らんふりをしているが、沖縄に大規模な基地があるのは、そこに軍事上の拠点としての価値があるからに他ならない。

沖縄を差別しているのではない。むしろ重要拠点として極めて重視しているが故である。それは大陸側の侵攻勢力であるシナにとっても同じことである。

だが、さすがのシナも沖縄に直接手を出せないでいるのは、米軍基地があるからに他ならない。シナにとっては、沖縄を手中に納めれば、台湾は事実上抑えたも同様である。大陸側に防衛拠点を集中させている台湾だが、沖縄を経由したシナ海軍に太平洋側を攻められたら御終いであることは、素人でも分かろう。

守る努力を怠れば、貪欲なシナの軍隊は、平然と侵攻してくることは南沙諸島をみれば分かること。にもかかわらず、沖縄の地元新聞2紙は、この簡単な道理を無視している。

尖閣諸島沖にシナの軍艦が来ても、知らん顔である。石垣島の漁民が、シナの艦船に脅かされても、決して反シナ報道はしない。するのは決まって反米、反日報道だけである。

沖縄の地元新聞は、いったい誰のために報道しているのか。私には理解しかねますね。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする