曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

いつまで謝罪し続けなければならないのか

2015-04-22 23:33:05 | 社会
アジア・アフリカ会議での安部首相の発言が一部で問題視されている。

首相演説「深い反省」表明…「おわび」に触れず
読売新聞 4月22日(水)


一番問題になっているのは、次の部分だろう。

戦後50年の村山首相談話、戦後60年の小泉首相談話に盛り込まれた「植民地支配と侵略」や「おわび」といった表現については、今回の演説では触れなかった。

外国を植民地支配していたのは日本だけではない。アフリカや南アメリカは、つい最近まで欧州列強の植民地だった。南米の仏領ギアナなんかは、いまだにフランス領である。

欧州列強が、アフリカや南米を植民地支配していたことについて、痛切な思いでお詫びをしているという話は、あまり聞いたことがない。僕が知らないだけで、実はお詫びしているのだろうか。それとも、もう詫び終わっているのだろうか。

あの戦争から70年も経った。日本は、いつまで中国や韓国にお詫びをし続けなければならないのだろうか。あと何年くらいで反省やら謝罪の義務が完了するのだろうか。何をすれば、中国と韓国は「OK、もういいよ。過去のことは水に流そう」と言ってくれるのだろうか。

このニュースのコメント欄は、安部首相に対する非難だらけだが、非難している人たちは、これから永遠に謝罪し続けて、それでいいと思っているのだろうか。どこかで「そろそろ許してくれよ」と言って断ち切らなければならないのではないだろうか。

人間同士だってそうじゃん。どこかで相手を許さないと関係を続けていくことはできない。日本と中国、韓国は隣接していて引っ越すわけにもいかない。隣人として嫌でも関係を続けていかなければならないのだ。いじめるほうは楽しいかもしれんが、苛められるほうはたまったものではない。


・・・と比較的綺麗なことを書いてみたが、実際のところはこんなもんじゃないだろう。

中国も韓国も国策として、国家戦略として日本に謝罪を求め続けている。もう70年もたって、当時のことを覚えている人もほとんど死んでしまったというのに、ここ数年一段と激しく攻撃してくるのは、そこが日本の弱点だと分かったからだろう。

80年代までは、ここまで執拗に言ってこなかったと思う。中韓ともに経済が発展して、国力が日本に接近してきてから、憎しみが蘇ってきたように見える。そういう国民の雰囲気に乗って(またはそういう雰囲気になるように誘導して)、お詫びのしるしに●●●よこせ、ってわけだ。●のなかには金とか島とかが入る。

戦略としてやってきている以上、こっちがいくら頭を低くして謝っても、中韓が日本を許すことはないだろう。バッシングをやめてもらうには、この謝罪要求戦略にメリットがなくなったときだ。つまり、日本から何も搾り取れなくなったとき・・・日本が三流国に落ちぶれたときだが、そういう未来は御免なので、じわじわと謝罪するのをやめていくしかないんじゃないですかね。

今首相がやってるのは、まさにそういうことなんだと思うけど。

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