All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

いさよひの月

2005年09月20日 01時37分22秒 | 私の山歩き・山の仲間たち

十六夜の月はためらうように現われるというが、今夜の月などまさにその典型かもしれない。マサルさんから連絡をもらい、団子ならぬヤキトリの皮とネギマを6本ずつ調達したところで、急な雨となった。ほどなく、マサルさんからケータイで「なまはげで雨宿り。」とメール有り。市内に向けて車を走らせる。しかし「なまはげ」は今夜は閉まっていて「美川」に変更。「雨宿り」も簡単ではない。純子さんもじきに現れ3人で乾杯。店内は急な雨のせいでもないのだろうが、ほぼ満席。活気もあって好感が持てた。イモピザと山芋ステーキが美味。
 今月23日からの山行のスタートとなる焼石についてお二人から話を伺った。水は金明水より銀明水のほうがうまいとのことである。話は多岐に及んだ。松本映画祭で吉野さんの作品についての興味深いコメント。今年の足利山岳映画会に臨むマサルさんの抱負・・・etc
 雨も上がり、外へ出て見上げてみれば東の空高くお月様。しばし、3人で月を眺める。純子さんの用意した梨がさっぱりとして雨上がりの月とマッチした。(卵焼きも美味)
しかし、雨後の月は時折雲間に見え隠れ状態。これはこれで風情のあるものだ。

もろともに 大内山は出でつれど 入る方見せぬいさよひの月(これは源氏物語)


エンターテイメント選挙

2005年09月19日 00時17分39秒 | 平和憲法9条
 以下は昨年秋の「世界」10月号の読書談話室に掲載されていた田中圀さんの投書より
(今回の衆院選ではなく昨年の参院選の体験からです。)


「選挙運動の中、戦争と平和についてリアリティーに乏しい現実に直面した。横浜駅頭で「自民党や民主党は、戦争のできる国にしようと憲法改正を企てています。戦争に行きたくない若者は社民党へ」とメガホンでアピールすると、二十代の男性二人が歩み寄り「おれ、戦争好きだよ。戦争へは行かないけど。憲法変えて(戦争)やりたい奴がやればいい」と真顔ではなしかけてきた。
 私が、戦争で犠牲になる圧倒的多数は民間人であることやテロリストがなぜ増加したか、徴兵制とはなにかを話すと、疑うようなまなざしで去って行った。日本にとっての大問題は国民の大多数が思考停止状態に陥っている事実ではないのか。物事を深く考えない、世の中と自分との関係に無関心なままでこの国はもつのか。」

 投稿者の田中圀さんは奥さんとともにはじめて昨夏選挙活動(社民党応援)をしたそうだ。「平和憲法が危ない」との危機意識からだ。

 この投書が掲載された「世界」10月号には斉藤駿氏(カタログハウス代表)の「ハトはハトでも伝書鳩」も掲載されている。その中で斉藤氏は護憲派の説く平和憲法の理念が改憲派の説く「現実」にくらべリアリティに欠けると指摘している。「20年くらい前まではそんなことはなかった。戦争体験世代がどっさり」いたからだ。その戦争体験世代も80代、生々しい戦争体験は遠い過去となりつつある。

 斉藤氏は現代の若者の傾向として「若者の関心はもっぱらエンターテイメントに集中する傾向が強い。」しかし、それは両刃の刃でもあり「エンターテイメント型の運動には論理抜きの情緒に流れかねない危険性もある」と指摘している。
 今回の小泉郵政(優勢)選挙こそまさに彼一流のエンターテイメント選挙であった。エンターテイメントで戦争に突っ走られてはたまらない!






9月17日夜、海ぼうずの集い

2005年09月18日 21時29分17秒 | 私の山歩き・山の仲間たち
昨晩はT市の「海ぼうず」で今年最後の渓流釣りを前にした蔵王釣り組の面々と楽しい一夜を過ごした。この催しにあたっては、前回のブログ(秋の東北山行計画と前夜祭)でご紹介した通りすべからくT氏のお世話になったことは言うまでもない。
T駅までは電車で行った。K氏と駅で一緒になった。太極拳を習われていてその帰りだそうだ。腰を痛めてからはじめたという。ほどなくT氏が迎えに来て一路「海ぼうず」へ。

まずはビールで乾杯。(T氏は午後は農作業に汗してのどがからからだったそうでグイッと飲み干した。)
その後は写真の樹氷の「すだち酎」をいただいた。焼酎と言えば、先日T氏が「だばだ火振り」という希少な酒を入手。今回の蔵王に持参するというからこれも楽しみだ。K氏は昨年春以来の蔵王である。話にも自然熱が入る。写真は身振り手振りを交えてこれまでの釣行を語るK氏(右)と聞き入るT氏ら。来週の今頃は蔵王の元気荘でこのメンバーと再会だ。

昨夜見た夢

2005年09月16日 06時34分28秒 | 
昨晩はたくさん夢を見た。寝言もかなりだったようだ。(家人には迷惑千万!)
夢の記録9月16日 オムニバス風で断続的な夢だった。
(1) スピード感のある車が疾走している。女、前の運転席に乗っている。後部座席左側に乗っている私は、外から顔を出し、前の助手側の窓から女に叫ぶ。(どう考えても変なのだが夢の中ではこうなっていた。)どなる。女、何かを言い返す。私、怒鳴り返す。(この女性とは敵対関係にあるようだ。)

(2)老婆の家、農村、田園地帯まわりは田んぼ(稲がまだ青かったから初夏か)夕方、遠景には里山、老婆と外へ出かける。田んぼ道。老婆護衛のためか犬2匹、うち一匹ははじめは存在しない。ずっと後に袋の中から飛び出てくるまでわからなかった。犬は吠えたりしない。老婆は家を出る際に、長いコードの着いたカラオケに使うようなマイクで外出することを誰かにを伝えていた。マイクはこの村(?)の有線放送のようなシステムとつながっている模様。コードの長さは無限ではなかったようで途中で老婆はマイクを道端に置いていく。(まるで命綱を離したような印象)老婆はたくさん土地持っていて途中途中で(自分の)田んぼをチェックしていた。さきほどのもう一匹の犬が飛び出るシーンだが、しばらく老婆と歩いた後、老婆の持っていた紙袋を受け取りそれを抱えて歩いているうちに住宅街に入る。そこで小さな用水堀が右手に見えた。柳の木が堀に沿って何本か並ぶ。水は底のほうにわずかしかないが反射でその存在がわかる そのうち前方にふさふさした茶色い毛の犬が目に入る。その瞬間、私の抱えていた紙袋ががさがさと音を立て大きな犬が飛び出てきた。

(3)(家で)小学2~3年生のかぽに妹が生まれることを伝えるとかぽは大喜びする。みんなで赤ちゃんを迎える準備を記録しておこう(大きくなったら教えてあげよう。という意味)と盛り上がる。

(4)改札口を通り抜け(あるいはデパートの出入り口か?)広場に出ると黒いスーツ姿の顔が急接近。中肉中背の男。どこかで見たようなそうでないような、悪い人間ではないことはわかる。人相も悪くない。(今田にちょい似?)もう一人現れるが、その顔はわからない。二人に両脇を挟まれ「拉致?」されるが後輩たちと飲みに行く感覚で怪しさはない。会話をしたが何を話したかはあいまい。柔道部がどうのこうのという訳のわからないことを口走った覚えはある。

(5)和風の一室(畳の部屋)で、私より若い男性と二人。部屋の真ん中には小さな卓があり、男性は卓にかがみ込むように座している。私は彼の運命を知っている。彼はいづれはがんで死ぬのだ。かなり先のことなのだが)彼もそのことを知っている。私はここで「この世界」が「前の世界」と違うことに気づく。うっかりそのことを口したとき目の前に貴美ちゃんがいていぶかしそうに、「前と違うって?」と不審に思う。時刻は不明だが、曇りガラスの窓の様子から午後から夕方のあたり。低い天井には蛍光灯の明かり。

(6)小田急の町田駅前のロータリー。この駅も前とは異なっている。(この場合の前というのは、以前、別の日に見た夢。)駅前ロータリーの空母(米軍のお下がり)のオブジェ(かなりでかい)が無くなっていた。いや、10分の1くらいの模型になっていた。ロータリーを左回りに進みながらバスの車窓からそれを眺める。ただそれだけ。夕方。

 夢というのは、「夢を見る。」という能動的行為ではなく「夢を見せられる。」受動的なものだ。言い換えると「夢」のほうでこちらを呼び出しているのだ。ユングのいう「無意識」から「意識」に対しての呼びかけ、それが夢なのである。ユングは夢の中に出てくる「何か」を象徴ととらえ、その象徴の意味するところから独自の心理学を打ち立てた。

秋の東北山行計画と前夜祭

2005年09月15日 18時31分50秒 | 私の山歩き・山の仲間たち
 T氏の釣行に便乗して、年に数回は東北へ出かけている。宿は遠刈田温泉にある元気荘。ここを拠点にこれまでに早池峰、月山、鳥海、西吾妻山、磐梯山、小国山、安達太良、蔵王山、屏風ヶ岳、半田山などを訪ねた。本年は4月以来2度目の東北行だ。今回は23日~25日の日程でマサルさんのデビュー作品の舞台焼石を歩く予定。(2日目に栗駒山も訪ねる。)
 釣り組の皆さんとは24日の晩に会合する。
ところでこの釣り組の釣果の一端をお見せしよう。写真がそれなのだが、こんなに釣れていいのか?と思ってしまう。だが、しかし近年は釣り客の増加でイワナも減少気味だという。
 釣り組のメンバーは取りまとめ役のT氏、先輩のK氏(館林市幹部)、赤いタヲル氏の3名(別名:愉快な仲間たち)。T氏は事前に開催要項を発行するなど宿の食事の手配から部屋の割り振り、周辺の観光スポット情報の収集などそつなく手配してくれる。人数の多少に関わらず、こういう企画を任せたら万事抜かりなく手際もいい、非常にありがたい存在である。私などはこの【人】にだけは逆らわぬよう常に心がけている。
 で、そのT氏と愉快な仲間たち(?)とともに今週末、館林の某所で「前夜祭」をやることになった。もちろんこの企画もT氏にお任せ、おんぶに抱っこ状態なのは云うまでもない。釣り組にとっては、今回が今年最後の釣行(来月から禁漁期に入る)となるため、その想いは(私などには)計り知れないものがあるようだ。

A市の八木節

2005年09月15日 18時05分22秒 | 八木節
 昨夜は八木節の練習だった。
 日曜は11時に自治会館に集合し、敬老の日のイベントとして八木節を披露する予定だ。持ち時間は一説には1時間という話もあるくらいゆとりがある。地元の町内ならではだ。これはたいへん嬉しい。(写真は一昨年のもの)

 連合会関係の催し物などではスケジュールどおり進行させたいという理由で(移動時間を含んで)6分とか8分と時間制限があり、その厳守が求められる。(極めつけは終了30秒前に赤ランプが点灯する御厨の会場だ。)毎回追い立てられるようにパフォーマンスを強いられるのは正直面白くない。第一演奏に集中できない。連合会内部にそういうことに血道をあげている御仁がいるようだ。そのくせ、国会議員や市長などがやってくると、その御仁たちはすぐに「臨機応変」とばかりに演奏を中断し、長々と彼らのごたくを述べさせてしまう。そのあたりは情けない、政治家が会長を務める足利市の連合会はどうも胡散臭い。

 毎年、正月に行われる連合会の新年会が特にひどい。途中でMT衆議院議員が登場すると会場は彼の国政報告会となってしまう。主客転倒も甚だしい。「忙しいスケジュールの合間をぬって」と決まり文句のように司会者が言っているが、忙しいならここは省いてもらって大いにけっこう。「八木節と彼との関係はいったいなんなんだ!」とつっ込みたくなる。

 連合会幹部の面々は個々の会員一人一人に対してというよりも、偉い人たちの方へ顔を向けっぱなしだ。こういう人たちが「改革」政党を下から支えているんだなあと実感。


 なんか、あの選挙以来怒りっぱなしだな?

 

映画「アイランド」

2005年09月15日 00時15分56秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評
コロナで「アイランド」(20:50~23:00)を観た。なかなかの出来でよかった。あまり期待しないで観に行くのがよい映画の典型だ。原作らしい原作もなさそうだし。テーマはクローンの人権問題。時代は2019年、不治の病あるいは手術でも直せない病気や怪我も、自分のクローンを持っていれば、その「パーツ」をクローンから取り出し交換することで延命が可能というひょっとしたら近い将来、実現してしまうかもと思わせる設定。
 
 大事な点はクローンにも生命があり、何よりも彼ら(クローンたち)は自分たちがクローンであることを知らされずにいるということ。彼らはクローン製造会社の高価な「商品」(500万ドル!)であり、顧客にとっては、大きな「保険」である。しかし、顧客もまたクローンが自分と同様に知性も意志もあり、まさに「人権」によって守られなくてはならない存在だということは知らされていない。「スターウォーズ」のユアン・マクレガーが好演。フォースの力もライトセーバーもなしにいかに彼が戦うのか?ぜひご覧ください。

私はタバコと喫煙者が嫌いです。

2005年09月14日 23時56分20秒 | 私の目の前での喫煙はお断り
以下は私見。
喫煙者に対して本人たちの健康云々ということもあるかもしれないが、それよりもタバコを吸わない人たちに対する考えや配慮がほとんど欠落していることに注意が必要である。
(1)「喫煙者は非喫煙者からどのように見られているのか。」という視点を持つこと。どういうことかといえば、喫煙者の喫煙態度(タバコの吸い方)でその人の人なりがある程度判断されてしまうからだ。
   ちなみに私は原発に反対したり、自然環境を守ろうと運動している人でもタバコを吸う人間はどんな立派なことを言っても全く信じる気にはなれない。
(2)タバコを吸わない人にとって、喫煙者がいかに嫌がられているのか。そのことを知って欲しい。ようするに、吸わない人にとっては(煙の射程距離内では)「吸って欲しくない。」のである。
(3)逆に言えば、喫煙者のそばにいる非喫煙者は大概が「我慢」をしているのである。このことを理解していない喫煙者が多すぎる。(吸いたくもない煙を強制されるのは拷問である。)
(4)また、同じタバコの吸い方でも予め「吸ってもいいですか?」と聞いたり、あるいは吸うときにも吸わない相手に自分の煙が行かないように風下に回る。といった配慮をする人なら、嫌悪感も緩和する。
(5)要は、世の中には非喫煙者がいること。場合によっては喫煙者の煙を否応無く吸わされてしまう環境が存在すること。社会的な上下関係や差別が喫煙にも反映して、「喫煙者の煙を吸いたくない。」ことをはっきりと言えない人々がいること。そういうタバコをめぐる事情を考えないで喫煙する者は、非常に自分勝手な「嫌な奴」になってしまうのである。
(6)結論
   喫煙者はタバコを吸わない人がいるとはっきりしている場合は
1)吸ってもよいかどうかの確認をすること。(こう聞けば普通はダメとは言わない。問題は次の2)
2)吸う場合、吸わない人に煙が行かないように(風下に廻るなど)配慮すること。(ここが大事。「この人は非喫煙者のことを考えているんだな。」と思われるようにすること。)
3) 当然ながら密室状況では吸わないこと。
最低限、この3つは守ること。

日高六郎著『戦争のなかで考えたこと』(筑摩書房)を読んで考えたこと

2005年09月13日 20時40分28秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評

88歳にして今なお現役の日高氏に心から拍手を送りたい。少年から青年期に過ごした戦時下の青島で体験した日常には日本の加害の実相が淡々と詳らかに描写されている。本書の前半に登場する日高家の「家族新聞」は1931年に創刊され、廃刊になるまで家族の絆を結び続ける。父、兄、弟それぞれの状況の受け止め方は異なれど、各自の想いを託した新聞は幾度も青島―東京間を往復する。日高氏の貴重な「遺言」ともいえる渾身の一冊だ。2人の兄が戦死するが、そのことはあくまで日高家にとっての私的なものでそれ以上ではないと言う。国家によって英霊として祀られ、顕彰するなどもってのほかであると。

今まさに日本は再び加害国になろうとしている。しかし、ほとんどの人がそうは思っていない。日高氏は今の日本の状況を「戦前」状態に入っていると感じている。戦争というのはある日どこからかドーンと大きな音と共に突然もたらされるものではない。毎日のささやかな日常の中に、すでに潜み、私たちの心の奥から蝕んでいるのだ。これという確かな自覚症状もなしに。ということは「反戦」活動もまた自らの日常の中の「戦争の芽」との戦いなのかもしれない。それは、勇ましさとか派手さとか大仕掛けとは縁遠い身近な毎日を身近な人たちとどう生きるのかという問いかけと同義である。