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森羅万象 ~ 歩く印象派

この国はどこへ行こうとしているのか 鶴見俊輔さん

2007年09月01日 00時55分26秒 | 平和憲法9条
 <おちおち死んではいられない>

 ◇最後まで不良で生きる--哲学者・85歳、鶴見俊輔さん

 ◇追い込まれた民主主義をまた盛り返す、そのパワーが重要なんだ

 京の鴨川べり。地鳴りのようにセミの声が響いていた。その近くの京大会館へ、哲学者の鶴見俊輔さん(85)は歩いてやってきた。強い日差しの中、帽子もかぶらずに。

 「暑いねえ。これは人類滅亡の暑さだ。今日のテーマは『この国はどこへ行こうとしているのか』だっけ。わっはっはっ、ちょうどいいじゃない。この暑さじゃ、間違いなく滅亡に向かっているね」

 注文したのはアイスティー。グラスの氷がカランと音を立てる。

 「国をつくる者と、国につくられる者の区別があるような気がしてね」

 突然の言葉に戸惑った。

 「若いころからじゃなくて、だんだんそう思えてきたんだ。その物差しで、和子と私の区別と結びつきを語ってみようと思う」

 澄んだビー玉みたいな目が、こちらをのぞきこんでいた。

   ■

 俊輔さんの姉で、社会学者の鶴見和子さんは昨年7月、88歳で亡くなった。水俣や南方熊楠(みなかたくまぐす)の研究、「内発的発展論」の提唱で知られる。95年、脳出血で半身不随となった後も、車いすで原稿を書いた。亡くなる前「もう2、3年、がんばりたい」と言っていたという。どんな思いだったのか。

 「和子は面白い人でね。生涯1番。44歳で入った米プリンストン大の大学院も首席で出た。対照的に、私は中学校も途中でクビになった生涯不良。はっはっはっ」

 祖父は政治家、後藤新平。父も政治家で文筆家の鶴見祐輔。母は俊輔さんを立派に育てようと必死だった。幼いころからしかり、殴り、柱にしばり「悪い子だ。あなたを殺して私も死ぬ」と泣いた。

 「度を越していたね。こっちは子どもだから言い返せない。母親は心の原住民だ。それがそう言うんだから、自分は悪人だと思った。そんな母からいつも和子が私をかばってくれた」

 中学生のころ、母親から逃げる方法を考え出した。

 「薬局をはしごして、睡眠薬のカルモチンを集める。それを渋谷のカフェでソーダ水で飲む。ぼおっとして死ぬのも怖くなくなる。胃に管を突っ込まれ、吐かされるんだが、つらいよ。生きることの方が死ぬよりずっと苦しい。何度もやって、母もお手上げになって、15歳で国債を持たされて米国に追放されたんだ。はっはっは」

 俊輔さんはよく笑う。それが父親の話となると一転する。

 「あいつは政治家としてばかだ。後藤新平はね、国をつくる人だった。だがおやじは国につくられる人だった。つくられる人は1番になろうとして、常に世間の模倣を主(しゅ)としている。おやじは一高を1番で出た。優等生ばかだ。世界平和だ、自由主義だと言いつつ、満州国ができると反対もせず大政翼賛会の総務になった。日本を空襲した米国の飛行士は死刑にしろという動議も出した。それは世間を主とした者、裁判官とした者の運命なんだ」

 机をたたかんばかり。その怒りように、どうしてだろう、胸が詰まった。小学校卒業までに「1万冊ぐらい本を読んだ」早熟な少年。自殺未遂を繰り返したのは、母から逃げるためだけでなく、父への愛情とその生き方への絶望に引き裂かれたからではないか。

 今の政治家も2世、3世が目立つ。祖父や父の業績を誇るのはいい。だが汚点にも向き合い、葛藤(かっとう)し続ける者はどれだけいるのか。

   ■

 「現在の日本は、おやじの基準に立って動いていると思うね。今の大臣たちを見ると、おやじの顔を思い出す」

 生涯1番の和子さんもやはり、国につくられる者なのか。

 「その1番を脳出血が砕いた」

 「人間の精神とは不思議なものだね。和子は倒れた直後から和歌がわき出してきたというんだ。倒れてから彼女は31冊も本を出した。それまでの研究すべて、水俣の調査も、障害者となった自分の目で見直し、検証し、後書きを添えた。それはもう新しいものでした。それはおやじの模倣からは離脱していた。彼女はね、正義のインテリでなく、一人の老人、身障者として今の日本を生き、老人を切り捨てようとする社会にプロテスト(抵抗)しようとした」

 9月末に出版予定の和子さんの最後の歌集「山姥(やまんば)」に、こんな一首がある。

生類の破滅に向かう世にありて 生き抜くことぞ終(つい)の抵抗

 「あと2、3年」と言ったのは、このためか。

 「憲法改悪も心配していた。彼女はある種の勝利を見届けたかったんだ。つまり憲法9条が何らかのかたちで残ることですね」

 俊輔さんは、古くからの友人で三つ年上の評論家、加藤周一さんとともに、護憲グループ「九条の会」の呼びかけ人だ。

 「もうろく度って人によって違うねえ。加藤周一が昨年、九条の会でこう言うんだ。『(国民投票が行われたら)われわれは少しの差で負けるかもしれない』と。だからといって旗を降ろすわけにはいかない。どうするか。彼は憲法セミナーをやろうと言うんだ。この日本の多数派が戦争をする、と決めた時、反戦をどう続けられるか。その研究と検討をしようと言うんだよ。感心したね」

 民主主義というのは完全に成立することはない、と俊輔さんは言う。「フランスだって、大革命以後何度も失敗し、ファシズムに近いところまで追い込まれ、盛り返している。その盛り返すパワーが重要なんだ」

 今の日本はどうか。安倍晋三首相は憲法改正を掲げ、自民党は7月の参議院選挙で大敗したが。

 「楽観はできないけれど……何か……大衆の中に……動きがあるのかもしれないね。分からない。もう少し見てみたい。和子の気持ちと一緒だね」

   ■

 「私は九条の会、がんばるつもりですよ。でもね、べ平連に参加するとか、九条の会に参加するとかね、ためらいがあるんです。会で話をしていると、自分がなんとなく正義の側に立っている。これが非常に後ろめたいんですね、悪人だから」

 笑ってしまった。だが本人はいたってまじめ。

 「私の心意気はね、最後の一息まで、不良少年として生きることです。そりゃ不良少年の意味は変わってきますよね。安倍首相が優等生なら、私は不良です。当然のことです」

 あの一首は、姉から弟へ、同志へのエールなのかもしれない。命ある限り1票がある、誰でもその1票を自分の大切なもののために投じることができるのよ--と。

 強い日差しが傾いていた。鴨川の岸で、セミはまだ鳴いていた。うなるように、美しく。【太田阿利佐】

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 ■人物略歴

 ◇つるみ・しゅんすけ

 1922年、東京都生まれ。米ハーバード大卒。日米開戦後、交換船で帰国。戦後、丸山真男らと「思想の科学」創刊。「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」で脱走兵援助にもかかわる。「共同研究 転向」「戦後日本の大衆文化史」など著書多数。

毎日新聞 2007年8月31日 東京夕刊


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