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森羅万象 ~ 歩く印象派

ビラ配布無罪 言論封殺の捜査にクギ

2010年04月03日 04時07分46秒 | 平和憲法9条
2010年3月31日 東京新聞社説より

 政党ビラ配布で罪に問われた元社会保険庁職員に「逆転無罪」の高裁判決が出た。「表現の自由」を重視した内容だ。“微罪”でくるみ、言論を封殺するような捜査にクギを刺したといえよう。

 元職員が配布したのは、共産党の機関紙などだ。それが国家公務員法で定めた「政治的行為の制限」に抵触するとして起訴された。類似行為が罪に問われたのは、北海道の郵便局員が旧社会党のポスターを張った事件で、それ以来、約四十年ぶりだった。同事件は最高裁で有罪となり、判例が生きていた。

 だが、今回は、休日中の行為で、元職員は公務員だと明かしていない。東京高裁は「国民が行政の中立性に疑問を抱くとは考えがたい」としたうえ、「罰則規定の適用は、表現の自由を保障した憲法に違反する」と明確に述べた。

 何より「表現の自由がとりわけ重要な権利だという認識が深まっている」と踏み込んだことは大いに評価できる。判決文が指摘するように、冷戦終結後はイデオロギー的対立の状況も落ち着き、時代は変わった。国民の意識も変わった。公務員の政治的行為の禁止範囲は、世界標準でみても広すぎるのだ。

 そもそも、警察の捜査自体が、常識からかけ離れてはいないか。尾行は二十九日間に及び、多い時は十一人もの捜査官で元職員の行動を監視した。三、四台の捜査車両を使い、四台から六台のビデオカメラを回し、撮影を繰り返したのだ。立ち寄り先や接触人物まで確認するのは異様で、戦前の暗い風景を思い起こさせる。時代錯誤ではないか。

 判決では、かつては「官」を「お上」視して、公務員の影響力を強く考える傾向があったという。むしろ、捜査の現実は、依然、「官」たる警察が、 “微罪”捜査のために、「お上」の強大な権限をフルに活用していると映る。捜査当局は「無罪」の判決をもっと厳粛に受け止めるべきだ。

 ビラ配布の事件では、一貫して、共産党や「反戦」を訴える人々を対象に起訴し、これまで有罪に持ち込んできた。この事態に国連の委員会が「懸念」を表明し、表現の自由への不合理な制限を撤廃するよう政府に勧告している。

 公務員制度改革や公務員の争議権も議論の俎上(そじょう)に載っている。政治活動の許容範囲について、最高裁にも国際世論や時代の変化を踏まえた判断を求めたい。


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