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森羅万象 ~ 歩く印象派

「長浜屋」対「長浜家」一字違い、博多ラーメン対決前夜

2009年12月07日 19時05分54秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
昼時に列が出来る「元祖長浜屋」。道を挟んだ奥には開店準備中の「元祖長浜家」がある=4日、福岡市中央区港1丁目、長沢幹城撮影

2009年12月6日17時58分 朝日COM

博多ラーメンの替え玉発祥の地として、地元や観光客らに愛されている元祖長浜屋(福岡市中央区)の真向かいに、店名が一字違いのそっくりな店が登場した。辞めた元従業員が作った店で、「よりおいしい商品を」と対抗心を燃やす。元祖長浜屋は一時、突然の休業で閉店騒ぎが起きたが、またしてもファンの間でさまざまな憶測を呼んでいる。

 多くのラーメン店がしのぎを削る長浜地区。11月下旬、元祖長浜屋の道路を挟んだほぼ真向かいにできた店に、「元祖ラーメン長浜家(け)」という白地に黒い文字の看板が掲げられた。最後の「家」という字だけが違う、そっくりな店だ。

 「支店ができたの?」「うわさ通りだ」――。スープが冷めない距離の双子のような店の出現に、ファンの間ではさまざまな情報が飛び交っている。事実はどうなのか。オープン準備が進む、シャッターが半開きの店に入ってみた。

 「味のベースも値段もスタイルも、元祖長浜屋と同じです」。応対した代表の中里誠さん(43)が宣言した。元祖長浜屋で28年間働いてきた元従業員で、10年以上働いたスタッフ数人を引き連れて開業する。赤を基調としたテーブルとカウンターが並ぶ。客の定員は30人だ。

 中里さんは「人員配置の考え方や待遇などで折り合いがつかなかった」と開業の理由を説明。そして、「よりおいしい物をめざします」とも。

 だが、なぜこの場所でこの店名なのか。

 「お客さんのため長浜の地を離れることは考えなかった。従業員についてきてくれる常連もいる。対抗心はある」と自信をのぞかせる。「家」と名付けたのは「働く従業員が家族のように仲良く」との思いという。

 店は12日午前6時にオープンする予定で、24時間営業も検討中だ。

 一方の元祖長浜屋は言わずと知れた超有名店。向かい側の長浜家の店舗工事が進む間も客が次々と行列に加わり、店内ではラーメンを黙々とすする客であふれる。

 九州ラーメン研究会などによると、創業は1955年ごろ。替え玉は、1杯では物足りなさを感じていた客が「めんだけお代わりできんと」と尋ねたところ、店主が快く応じたのが始まりという。

 当初は近隣の魚市場のセリ人が多く訪れ、やがてサラリーマンや観光客にも評判が広がった。24時間営業が売りだったが、最近は午前6時から午後1時40分までの営業だ。

 店のカリスマ的人気は2007年6月に突然休業した際に浮き彫りになった。さまざまな憶測を呼び、閉店を心配したファンがインターネット上で存続を求めて署名活動を始めたり、店の従業員に直接聞いたりして休業の理由を探った。6月中に再開したが、待ちわびたファンがカメラを持参して店に殺到したという。

 身内同士が袂(たもと)を分かつ形になった今回の騒動について、元祖長浜屋側は多くを語ろうとしない。対面の店は元従業員の店で、のれん分けでもないことを認めたが、「勝負をしかけてきているようだが、支店ではないし、関係もない」。

 博多ラーメンにくわしい九州ラーメン研究会の原達郎代表(66)は「洗練され過ぎて高価なラーメンが増えるなか、長浜屋は豚骨ラーメンの原点を感じる。うまい、まずいはそれぞれの好みだが、郷愁をさそう庶民の味で今回のような騒動は残念だ」と話す。

 一方、小学2年生の頃から通っている会社員男性(26)は「ファンとしては1店より2店あった方がうれしい。どんな味なのかまずは食べてみたい」と興味津々だ。

 元祖長浜屋は都市計画道路「長浜臨港線」の拡幅工事の立ち退き対象で、来春には近くに移転する予定という。(竹下隆一郎、江崎憲一)

 《元祖長浜屋》 福岡市中央区の那の津通り沿いにあり、入店すると黙っていてもラーメンが出て来る。1杯400円。注文時には「ナマ」「ヤワ」「ベタ」など独特の言葉が飛び交う。ナマと言えば、めんのゆで時間が短くなって硬めに、ヤワは逆に軟らかくなる。ベタは脂が多めになる。「博多のソウルフード」と評され、タクシーで乗り付ける博多の観光スポットにもなっている。即席めんのマルタイ(福岡市)は「元祖長浜屋協力豚骨ラーメン」を2007年10月から発売。これまでに400万食売れた。08年には「元祖長浜屋協力棒ラーメン」と替え玉も売り出した。


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