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All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

商工会の企業見学に参加。(後編)

2006年03月23日 23時36分19秒 | 仕事
 さて、高崎のカンサンを後にした商工会のバスは次の目的地である
東松山市の豊島製作所を目指した。
途中で昼食を済ませた後、13時30分に豊島製作所に到着した。

 この会社もユニークな会社である。
その理由は同一の会社とは思えないを3つの事業を同時に展開
しているからだ。(以下を参照。)
1番目は独自の冷間鍛造工法による迅速で精密なプレス品の製造
2番目は幼児向けの乗用玩具いわゆる玩具(トイ)の製造販売。
3番目が GMR・TMRヘッド材料、高温超電導材料 、MOCVD材料 、
熱電変換材料などハイテク素材関連の開発など。

詳しくは豊島製作所のHPhttp://www.toshima-mfg.jp/j/index.html
見ていただくことにして、まずは2階の食堂に案内された。
一年ほど前に新築されたという食堂は南側に面していて広くて明るく
とても快適なつくりであった。しかも本格的な厨房が設備されていて、
専門の業者による出来立ての食事が摂れるとのことであった。

 その理由を木本大作社長は「うちみたいな100人ていどの会社ではふ
つうは(給食センターの)弁当を取るのだろうけど、私としては従業員
がせめて昼飯くらいはゆったりとした気持で食べてもらいたいと考えた。」
と説明してくれた。
 木本大作氏は会社の寿命は30年が一つの区切りだと週刊ダイヤモンドの
社長から聞いたそうだ。2代目、3代目に切り替わるときが大事なポイント
で、そこで躓くことが多い。

 また、世界の投資家の投資基準についてもユニークなお話をされた。
今の日本はねらい目だそうで、その理由は人口ピラミッドの形にあるとい
う。日本を含め欧米の先進国は少子高齢化が進んでいるが、その形は瓢箪
のように少しくびれていてその上下に膨らんだところがあるが、その膨ら
みが当然その世代の人口が多いことをあらわす。そして、その世代が25歳
になるときが最も投資効率がいいのだそうだ。今日本ではいわゆる「団塊」
の世代が大量に退職を迎えようとしているが、彼らの子供たちが実は25歳
にを迎え始めたのだ。かつて、高度成長の時は「団塊」自体が25歳でその
ときも世界の投資家は猛烈に日本に投資したのだという。
 ただし、投資は2回で3回目はないそうだ。次第に再生産による増大巾は
減少してしまい、効果が期待されないのだ。こうして投資家たちは国ごと
の世代別人口に注意を払い、その世代が25歳になり始める国に投資するの
だそうだ。

 さて、冒頭で述べた豊島製作所が異なる3つの分野の事業を展開の話だが
木本社長によればこれも30年周期があるのだという。創業60年目を迎えた
豊島製作所は当初はプレス品の製造から始まったが、独特の冷間鍛造の技術
を確立するまでは、紆余曲折もあった。そんな中、会社の資源=広い土地を
生かした幼児向けの常用玩具の製造にも乗り出し、これが当たった。しかし、
製造界は海外に拠点が移るようになり、プレスもトイも国際競争の波に飲み
込まれていく。
 そんな中で木本社長はこんな風に時代を見通した。
「当社の基本は海外に出なくても生き残れるために、何をするかという考
えで進めています。プレス加工は量産加工を限りなく追及する工法であり、
当社にはその工法があり、人材もいます。そのために日本に残るだろうと
思われる製品・部品に特化して技術力を高めてゆくしか方法がないと日々
研鑽しています。」
 結果、生まれたのが、従来のプレス加工では「不可能」なものをすべて
「可能」にした「冷間鍛造工法」と呼ばれるものである。


参照→トイ(乗用玩具)

商工会の企業見学に参加。(前編)

2006年03月20日 12時32分17秒 | 仕事
先週の半ば頃、商工会主催による企業見学のツアーに参加してきた。

訪問したのは
(1)群馬県にあるカンサン株式会社高崎事業所(本社は渋川市)と
(2)埼玉県東松山市の株式会社豊島製作所

まずはカンサン株式会社から。
「カンサン」という名称はその前身の「関東酸素工業所」に由来する。
その前はずっと時代を遡り寛永6年(1629年)に渋川の金物商「堀口商店」
として創業したというから、歴史はかなり古い。

で、何をやっている会社なのか。
一言で言えば「高圧ガスの製造・販売」となるのだが、実は私たちの日常
の実生活で御世話になっているものが多い。

 たとえばLPガス。
これは電気、灯油、都市ガスと並んで、生活に必須の貴重なエネルギーの
ひとつだ。
 それよりも、もっと重要なのが各種高圧ガス、その中でも酸素の力は偉
大だ。世界第一位の生産量を誇る日本の製鉄業を支えているのは、ほかな
らぬ酸素だという。鉄を溶かす高炉では、酸素が燃焼を助けて効率アップ
と省エネルギー効果をもたらし、溶出した鉄から炭素などの不純物を取り
除く段階でも、大量の酸素が使われる。
 医療用にも多く使われている。全身麻酔手術や未熟児の保育、高圧酸素
治療、輸血用血液の冷凍保存などと利用は多岐にわたる。直接患者さんに
供給される医療用酸素などは医薬品の分類に入るという。

 他にも、最近需要がとみに伸びている窒素ガス、現在は酸素をはるかに
しのぐそうだ。またアルゴンガス、二酸化炭素なども取り扱っている。

 とまあ、用意された部屋でプレゼンを受けたあと、工場を見学させてい
ただいた。

下の写真は何かというと氷だ。どうして?

下の写真の温度表示をを見て欲しい。
-157度~-161度の世界である。
酸素もアルゴンガスもこの温度でないと液体の状態を保てないのだ。
(窒素は-196度!)
ガスを気化する際に急速に熱を奪う。その際の凍結だという。

何気ないパイプの配管一つをとっても、この過酷な超低温、高圧に対する
耐性が求められる。原発関連の機器類にも匹敵する重要保安設備だ。

そしてこの見学の見所は容器のリサイクルだった。(残念ながら写真はない)
長年、高圧ガスを取り扱う中で培われた容器の再生技術およびそのシステ
ムは自社工場の中で完結している。高圧ガスという危険性も伴うシビアな
ものを収納する容器のリサイクルは、回収、解体、洗浄(容器内側も)そ
して外側の塗装も全て剥がしきり、再塗装が施される。リサイクル後容器
の外観は新品とほとんど同じだ。リサイクル作業をされている従業員の方
に訪ねてみたところ、こちらの一日あたりのリサイクル処理能力は150本ほ
どだそうだ。

 再び、部屋に戻りカンサンの鈴木常務さんのお話を伺い、その後質疑と
なった。
 現在、LPガスは中国での需要が増えたアオリで原材料のガスの価格が高
騰しているとのことであった。とはいえ、競合他社との絡みで価格にそれ
を添加するわけにもいかず苦戦が続いているそうだ。
(唯一の赤字部門と聞いた。)
酸素の需要も落ちているそうだ。日本から中国へと生産拠点の移動も大き
い。代わって増えたのが先ほども述べた窒素。その不活性(他のガスと化
合しない性質)と低温性を生かし金属・化学・電気・食品・医薬・宇宙工
学にと、その優れた特性の活用で、活躍の場がますます拡大の一途にある
そうだ。

 とはいえ、既存の分野にしがみついているだけでは生き残れないのが世
の習い。というわけで、カンサンの鈴木常務が取組んでいるのが産学協同
によるハイテク分野への進出だ。中でも半導体用として開発されたウルト
ラクリン容器は、最先端の技術で注目を浴びているという。
こちらを参照→ウルトラクリン

 感心したのは鈴木常務の「自社にない技術は知の宝庫である“学”から
得よう」という姿勢だ。これは「資金力や開発力でははるかにかなわない
大企業に対抗する小さな企業の知恵だ。」とも言った。実際には若手の社
員を群馬大学の研究室にずっと貼り付けて、研究室の学生たちといっしょ
になって研鑽させたという。大いに見習いたいところだ。

  次回(後編は豊島製作所)

新機能性材料展2006

2006年02月22日 23時58分11秒 | 仕事
 ビッグサイトで催された表題の展示会に行ってきた。
最近の展示会では珍しく、写真撮影が禁止されていた。
こういう新素材関係では、それだけ各社共しのぎを削る
状況にあるということでもある。
(というわけで内部の展示写真は今回なし。)

 住友3Mとか三菱樹脂といった老舗は、なんとなくわ
かるがオリンパスの出展には意外な感じがした。本業の
カメラで苦戦が続いているようだが、医療や産業資材関
係にも進出していた。特に医療関係では人工骨補填材
いう材料に力を注いでいる。生体材料事業とか再生医療
事業という分野があることも初めて知った。顕微鏡とか
医療関連の光学機器とのつながりから、始まった事業の
ようである。

 自分の仕事からいえばオレフィン系材料(熱可塑性エ
ラストマー)の使用頻度は着実に伸びてはいるものの、
塩ビ関係がこの先どうなっていくのか?といった素朴な
疑問に答えてくれる「展示」は皆無に近く。歴史から
塩ビ自体が「消去」されてしまった感がある。(実際に
は塩ビの使用量は大幅に減ってはいないのに。)

 地味な展示会のせいか、この種の新素材関係のイベン
トはそう多くはない。機会があれば、次回も訪れたい。

おまけ:食堂のメニュー
(メッセや横浜パシフィコなどと較べてみると面白そう。)

なかなか捨てられないもの  日経プラス1より

2006年02月20日 12時16分22秒 | 仕事
 先週末、仕事がらみの飲み会があった。
仕事がらみとはいっても、超短期プロジェクトの事業がひと段落した区切り
を互いに慰労しあうもので、小難しいものは何もなく、ひたすら飲んで食った
だけなのだが。
 一次会は、2人で一升瓶を3本も空けてしまう兵がいたりして驚いたが、次の
2次会では彼らは早々にリタイア。残ったしらふの私が最後までお付き合いと
なった。

 あまり、スナックでお店の“ママ”や従業員(こういう名称でよいのか?)
たちと、話す話がなくて困った。こういうところのカラオケもあまり得意では
ないし。

 と、先週みた日経新聞の記事を思い出した。
たしか「なかなか捨てられないもの」というタイトルだった。

春は転勤などで引越しの多い季節。その整理中に「なかなか捨てられないもの」
がどうしても出てくる。その「捨てられないもの」が男女別に上位10位までラ
ンクが掲載されていた。(下の写真)


男女とも1位は「古い写真」。2位も男女ともいっしょの「卒業アルバムや文集」
面白いのは、男性6位の「昔の交際相手の思い出の品」が女性ではランク外。

この話を、スナックの女性たちにしたら、大いに興味を持ってくれて俄然、場が
盛り上がった。あとは、この日経関連の記事をネタに次々と話していった。


 ところで、この記事の掲載されている日経新聞の土曜版は「日経プラス1」と
いい、30代OLを中心に若い女性たちの間で密かに人気がある。
(どう見ても私などは読者の想定外なのだが。)

毎回、トップ面はユニークな視点からのアンケートで飾られる。(今回のよう
な)
 これまでの特集では好みの缶コーヒーのブランドや、行きたい温泉ベスト10
などが面白かった。

「プラス1」は8ページ立。トップページ以外の記事もちょいとおしゃれなお店
の紹介やダイエット・フィットネスコーナー、独身者や単身者向けお手軽クッキ
ング、気軽なパソコン講座、果ては有利な投資先の品定めといった今のOLさ
んたちの興味の一端を知ることができる。意外と少ないのが恋愛、結婚関係の
記事。(広告も含め。)逆に言えば、その辺を捨象したところに、読みやすさ
があるのかもしれない。

横浜パシフィコにて

2006年02月04日 22時38分29秒 | 仕事
 横浜パシフィコで開催された
「テクニカルショウヨコハマ2006」へ行って来た。
「神奈川県下最大の工業技術・製品総合見本市」と
銘打つだけあって、出店分野の広さ、規模ともに一
地方のイベントとは思えない水準の高さであった。

おそらくホリエモン逮捕前に印刷済みであったパン
フレットであろう、ON THE ROAD TO SUCCESS
手に取る人は少なかった。(下の写真)

すべて段ボール仕立てのインテリア。
用途(需要)がいまいちのような気がする。
あとコスト。

日産発祥の地神奈川ならではのキューブ特別仕様。
(誰が乗るの?)

トイレの蓋だってこんなにお洒落!
カラフルでこれはいいかも。
いずれノートPCのカバー面もこんなデザインが流行するかも。



ところで、このショウのお隣では「日経就職フォーラム」
という来年(2007年)の3月に卒業する大学3年生を
対象にした、合同企業説明会が開かれていた。
ニートにならぬことを祈る。

真剣にエントリーカードに記入する学生達。


一方、こちらは弁当販売ショップ。幕張や東京ビッグサイ
トに比べ200円のサンドイッチなど値段は格段に安いが、
ご覧の通り閑散としていた。

突然の訃報・・・取引先の部長の葬儀に参列。

2006年01月22日 23時58分52秒 | 仕事
 仕事柄、取引関係の葬儀に参列することがある。
そのほとんどが取引相手の実父母や義父母といった
親族関係であり、亡くなった方と直接の面識がある
ことはあまりない。

 「訃報」の知らせが回覧されると、通夜、告別式の
場所や日時の確認を行い、花輪(生花)や弔電の手配
を指示し、あとは弔問に行く者を決めるだけ。淡々と
しているがこれも大事な仕事である。

 だが、当の本人が急逝されたとなると話は別だ。
しかも、単身赴任中のオフィスで仕事中に倒れ、救急
車で病院に運ばれ、そのまま逝ってしまったというか
ら、かなりショッキングだ。死因は大動脈解離という
聞き慣れない病名だった。腹部を押さえながら「痛い」
と言っていたそうだ。
(参考:http://www.geocities.jp/akatsuki52gou/kairi/shikumi.htm)

 第一報を聞いた時は驚いた。何の兆しもなく、不意打
ちに近かった。あのI部長が・・・。

「仏のような」(本当に仏になってしまわれたが)と
よく言われるが、I部長にぴたりと当てはまる表現だ。

 親族を代表して挨拶された長兄の方のお話が印象的
だった。
「S(I部長)は、昭和20年に島根県で4人兄弟の末
っ子として生まれた。翌21年、東京へ引き揚げて
来た。(私より)六つ下のSは小さい時からバカが
つくほどの正直者で、こんな要領が悪くて果たして世
の中へ出てうまくやっていけるだろうか?と心配した
ものだ。」

 あのF本氏の元上司でもある。
昔、F本氏のアパートで3人で飲んだことを思い出した。
(まだ、課長さんの時だった。)
あれこれと心配りを忘れず、部下を大切にし、営業マン
としてもその人柄から相手先からは全幅の信頼を受けて
いた。多くの人から慕われ、「いい人ほど先に逝く」典型
のような方であった。
(「梵天丸もかくありたい。」と思う。)

 葬儀は東京の自宅近くの集会所で執り行なわれた。
昨日の雪が歩道に凍り付いていた。2時間近くの告別式
を終え出棺を見送る際、周囲からすすり泣きが漏れた。

享年60歳であった。
心よりご冥福を祈りたい。
                  
                     合掌

しつこい電話勧誘の対処法

2005年11月18日 23時24分05秒 | 仕事
NTTを語った勧誘の電話が会社にかかってくる。
あまりにしつこく仕事の妨げになっている。NTT側もかなり困
っているようで注意を呼びかけているようだが、具体的に対処法
まで言及していない点がもどかしい。

対処法についてネットで検索してみた。
あちこちでトラぶって
いるようだ。
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16 しつこい勧誘電話に困っています
《相談事例》   
 しつこい電話勧誘に困っています。
断っても繰り返し同じ業者から勧誘電話がかかってきています。
これらを取り締まる法規制はないのでしょうか。

《アドバイス》

 事例のような電話勧誘販売は「特定商取引に関する法律」で
規定しており、様々な規制があります。しかし、すべての商品
が適用になるのではなく、政令で指定された商品・サービスに
限ります。電話勧誘販売をする際に、事業者の氏名や名称及び
販売する商品等の種類、勧誘をするためのものであることを告
げなければなりません。また、事例のように、契約を締結しな
い旨の意思を表示した者に対する勧誘の禁止が定められていま
す。これに違反した場合には行政処分の対象となります。

【解説】

1 「特定商取引に関する法律」での電話勧誘販売の定義

販売業者等が、電話をかけ又は政令で定める方法により電話
をかけさせ、その電話において行う売買契約等の勧誘から、
当該売買契約の申込みや締結を郵便等で受ける場合を電話勧
誘販売として定義しています。


( ※どうもこれは親切な答えになってないな。次だ!)

■ 教えます!しつこい電話勧誘の対処法
(福岡県大野城市HPから)

 電話勧誘に関するトラブルや相談が数多く寄せられています。
「電話勧誘がしつこいので困っている。何とかならないだろう
か?」といった苦情相談には、次のような対処の仕方をお話し
しています。
 まず、電話がかかってきたら、
(1)社名・担当者・用件をしっかり聞くこと。


(2)次に、断ってもしつこく勧誘される場合には「購入意思は
全くないので電話は切らせてもらいます。今後、勧誘の電
話はしないでください。」と言って電話を切ってください。
ただし、その際、受話器はそっと置くように気をつけます。
(これが意外に大事で、切り方が悪い!と因縁をふっかけ
てくる業者もいるのです。)


(3)それでも勧誘の電話がかかってくるようであれば「法律では
電話勧誘の際、断っている者に対しての再勧誘は禁止され
ている」としっかり言いましょう。

いずれの場合も、あいまいな態度は禁物です。きっぱりと
意思表示するにはちょっとした勇気が必要かもしれません
が、後のトラブルを考えれば、断りの意思表示はたったの
数分です。その数分間だけでも強い人になりましょう。

(うーむ、最後の「強い人」になれるかどうかがポイント
となっているが、誰でもって訳にはいかない難しさがある。)

 みなさんのところではどう対処されていますか?

名古屋日帰り出張で聞いたA氏の体験

2005年11月14日 22時47分18秒 | 仕事
 朝、3時半に家を発った。
都内を約30分で通過。
東名高速を西へ。
6時、足柄SAで最初の休憩。富士山を望む。

7時、浜名湖SAで朝食。曇天。舘山寺方面を確認。

9時半に小牧IC
10時に目的地(江南市)日本G社到着。
日本G社A氏とM氏が対応してくれた。
午前中は会議室にて打ち合わせ。
お昼は味噌煮込みうどんをいただく。
午後は作業現場にて取材。
15時半に名古屋(江南市)を発つ。
中央高速経由で帰路につく。
17時、恵那峡SAで休憩。
18時、姥捨SAで2度目の休憩
19時、上信道東部SAで夕食。
21時帰宅。

 昼食は日本G社のA氏と。
A氏と話らしい話をしたのは今回が初めて。
なんとA氏はあのモ○・ベル(山屋なら皆知ってる。もちろん寒の配偶者も)
に勤務したことがあるとのことだった。
学生時代は自転車で欧州を廻ったそうだ。カヌーも漕ぐ。
そんなA氏にアウトドアーのモ○・ベル社が目にとまった
当時のモ○・ベルでは日本各地出張の際に社員は必ず
自社の寝袋を持参する習わしだったそうだ。宿代タダ!
棚卸しのため四国は高松まで出張(もち寝袋持参)
で讃岐うどんに開眼。信奉者となる。

 それはさておき、10年前、彼の人生は一変した。
1月17日の朝4時、A氏は芦屋のアパートで大きな揺れで飛び起きた。
これまで一度も経験したことのないものすごい揺れが収まったあと、部
屋は大きく傾いていた。逃げ出そうとドアを開けようとしたが歪んだド
アはびくともしない。ドアを蹴破り、外へでたA氏の目の前に広がる景
色は信じられないものだった。A氏のアパートはなんとか形を保ってい
たが周りの建物はほとんどがひしゃげ、崩れ落ちていた。しかも、その
瓦礫の下から叫び声とかうめき声が聞こえてくるではないか。
(アパートの大家さんは下敷きになって亡くなったそうだ。)
A氏は他の人たちとともに救助に加わった。

 この後、A氏は友人の家に間借りしながら2週間を過ごした。
会社(モ○・ベル社)には行かなかったそうである。
とてもそんな気分になれなかったという。
2週間後、ようやく会社の方で彼を捜しに来た。
その後、モ○・ベル社を退職、一時他の会社に勤務後、現在の
日本G社の営業となる。

A氏の言葉
「ああいう極限の状態に遭遇すると、仕事とかそういうことは
まったく頭から消えてしまう。とにかく生きること、家族の無
事を確認すること。」


東京モーターショーに行って来た。

2005年11月02日 23時39分34秒 | 仕事
 2年ぶりの東京モーターショーへ。
得意先IT社のK沢氏と当社Y田課長同行。
6時半に自宅出発。
7時少し前にK沢宅へ。
K沢氏を乗せて待ち合わせ場所の市役所南のPへ。
すでにY田課長の車は待機していた。これで全員集合。いざ、モーターショーへ!

 ところで唐突なお話で申し訳ないが、モーターショーは車で行くところではないことをお伝えしておく。
最近、結婚された知人のカップルが先週車でモーターショーに向かったところ、会場手前10キロあたりで渋滞に遭遇してしまった。最寄りの駐車場に停めようとしたらしいが、やはり、会場まで数キロを徒歩で行かなければならないことを知って途中で戻ったとのことだった。シャトルバスもなかったらしい。お気の毒としか言いようがない。時代の最先端のテクノロジーを駆使した自動車の展示会に肝心の車で行けないというのは冗談としては面白いが、実際には車社会の抱えている矛盾をさらけだしているだけだ。

 私たちは平日とはいえ、車で行くことの苦行とストレスを回避するため車は都内に置きJR電車で会場に向かうことにした。
電車でも都内から50分近くかかる。千葉はけっこう遠い。館林を7時に出て、9時に都内に入ったが、海浜幕張駅に着いたのは10時。館林からでほぼ3時間。

 幕張はプロ野球日本シリーズで阪神を破り31年ぶりにチャンピオンとなったロッテマリーンズの本拠地でもある。駅前には優勝を祝いボールをかたどった植木のオブジェが私たちを迎えてくれた。(写真参照)

 K沢氏は職業柄、ドアの内装の仕上がりが気になるようで、真剣な眼差しで各展示車のドアを眺めていた。特にBMWやベンツなどドイツ車の内装には「う~ん。すごくいい材料(本皮)が使われている。」とため息を漏らしていた。また「(ドアの内装の)デザイン自体はそんなに進んでいない。むしろ、現状と変わらないな。」との見解を披露。ドアの内装デザインの歴史に疎い私などにはなかなか難しいお話であったが、技術者とはそういう眼でモノを見ているんだなと知ることができた。
当社のY田課長は、次期車UK-1の試作が始まるためか、各メーカーの軽自動車のバックドアを開けてはリヤフロアを持ち上げ写真を撮ったり、使われている材質や工法などのチェックに余念がなかった。

 経費節減?
行く前にあちこちから「モーターショーに行くのだったら、ぜひコンパニオン殿をたくさん激写して来てくれ!」という要望が(男性から)多かった。困ったもんだと思いながらも、撮影してみようかと思っていたら・・・・?あれ、今回は少ないなあ。激減!とまではいかないまでも、過激な衣装はなりを潜めた風だった。平日だとコンパニオンも減るのかしら?一生懸命パンフ配り働くコンパニオンの写真が一枚撮れた。下の写真(トヨタ)。

以下は、スナップ。撮り方(被写体の選定基準)は簡単で車の色をメインとし車種とかメーカーはまったく考慮していない。後半の写真は外の景色。メカばかり見ていると無性に青空が恋しくなる。

生徒になれる度量

2005年10月30日 21時18分17秒 | 仕事
 日経新聞のスポーツ欄に野球評論家の豊田泰光氏による「チェンジアップ」というコラムがある。ときどき読ませていただいているが、大勢におもねず歯に衣着せない鋭い分析や指摘に敬服している。27日付の「生徒になれる度量」もよかった。
巨人の原監督復帰に際してのコメントだが野球に限らず日常よくぶつかるテーマが潜んでいてたいへん参考になった。文中の監督を社長とか専務とか工場長に置き換えてみると会社における管理職の手引きとも読める。他の組織や団体の長にも通じる。

「万事うまくいっているときは愛や友情で結ばれた集団も機能するが、ことが起こったとき、日ごろ仲間から外れている異分子の視点が必要になる。一族郎党型内閣は団結の強みがあるが、不成績のときにいちいち「あいつが切られるならおれも辞める」と大騒ぎになる。これも難儀だ。
 お目付け役の大切さは巨人の監督に就任した川上哲治さんが、牧野茂さんという参謀役を招いたことでもわかる。牧野さんの前では川上さんは生徒になりきった。アメリカの最新セオリーを取り入れた牧野理論。川上さんはこれをすぐに吸収して「守備はだな・・・・。」と選手に説いた。
 生徒がすぐ先生になりかわるのがおかしかったという人がいるが、臆面もなくこれができないと監督はつとまらない。知恵袋としての牧野さんはときに耳の痛いことも進言した。内部の緊張関係がV9の源泉だったわけで、川上さんが「おれは打撃の神様だ」とふんぞり返っていたら、あの快挙はなかった。」
「自分の弱さをさらけ出せば周りから知恵も出てくるものだ。それはわかっていてもメンツが邪魔をする。監督として成功するかどうかの分かれ道だ。」さて原監督がこの一文に目を通してくれればよいのだが。