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All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

観光コースでない「満州」(高文研)

2006年02月21日 23時40分13秒 | 旅行(山行以外)
 5月の大連行きを前に少しずつ準備をしている。
航空券の手配は最優先事項。日程についてはキング父
のご指導・アドバイスを基本に据えながら検討中。
 同行するオ・寒氏はパスポートの更新が初仕事の
ようだ。

 「地球の歩き方 大連」も購入したが、まずは
「観光コースでない『満州』」(高文研)を読み
始めた。(いずれ感想を書く予定。)
 友人の出版社の刊行物だが、韓国の時(「観光
コースでない韓国」)も先月の沖縄のとき(観光
コースでない沖縄)もたいへん役に立った。

 このネーミングは私的にはかなり気に入っている。
今、進めている「逆遊就館ガイド」も、これをパク
って「参拝コースではない『ヤスクニ』」とでも題
したいくらいだ。

F本氏来襲! なんと来週沖縄へ。

2006年01月07日 20時53分48秒 | 旅行(山行以外)

 今度は沖縄に行くことになった。
それも来週の土曜日に出発である。
昨日、仕掛人のF本氏が来襲した。
チケットその他資料を携えての訪問だ。
実にありがたい。たいへんありがたい。

 F本氏とは昔(といっても20年前だから
二昔前か。)北海道へいっしょに行ったこと
がある。大洗港からのフェリーに乗って。し
かも特等室だった。まだF本氏は独身、私も
結婚していたがまだ子供もいなかった気楽な
身分でお財布にも余裕があった。5泊6日の
初日の晩はその特等室でF本氏持参のシャブ
リで祝杯を挙げた。

 が、実はその日はあの日航機が御巣高山に
墜落した日でもあった。TVに映る今は亡き
後藤田官房長官の顔が引き攣っていたのが印
象深い。墜落機に坂本九ちゃんが乗っていた
ことも報じられていた。

 大事件をよそに海はあくまで穏やかだった。
三陸沖を岸沿いに北上し、津軽海峡では浮遊
するゴミの多さに驚いた。

 翌夕、夕日を浴びて赤く照らされた地球岬
を眺めながら室蘭港に到着。列車に乗換えて
宿泊地の苫小牧に向かった。夕飯はサッポロ
ビール園に出向き2人でジンギスカンを6~
7人分平らげた。ホテルに戻り最上階のバー
の止まり木でF本氏が頼んだドライマティー
ニをいただいて上陸第一夜が終った。

 翌日から、襟裳岬、十勝、釧路、根室、中
標津、ユトロ、羅臼、斜里、網走と道内東部
を巡る旅に出た。

 あれれ?
いつのまにか沖縄の話が北海道になってしま
った。要はF本氏は乗車券やホテルの手配や
ら細かい旅行の手続きなどを任せたら面倒が
らずにきちんとこなしてくれるたいへんあり
がたい存在なのである。沖縄にも何度も足を
運んでいて地理にも明るく頼もしい存在だ。

 どんな道中になるのか今から楽しみである。

「沖縄を旅するならこの1冊」と銘打った本
がNI氏の勤務する高文研から出版されている。
(下の写真)来週中に読破だ!?

↓以下は本の紹介。(高文研HPより)
沖縄を知れば、「日本」が見えてくる!
沖縄はこれまで何を体験し、何を見てきたのか!?
今も残る沖縄戦の跡をたどり、広大な軍事基地を
あるき、自立を求めて揺れ動く「今日の沖縄」の
素顔を伝える!

日本にもあった「登山電車」

2005年11月08日 23時39分34秒 | 旅行(山行以外)
 ホテルに若干の難はあったものの旅行自体はトロッコ電車に揺られて紅葉を愛でたりと満足のいくものであった。

 6日は待望のトロッコ電車に乗った。天気はあいにくの曇天だったが、雨の気配はなく、まずは一安心。
 予定通り8時半にホテルから宇奈月駅に向かう。歩いても10分かからない距離だから、なにもバスに乗らなくったってと思うのだが、これはこれで全員集合確認ということでよいのかもしれない。宇奈月発9時ちょうどの電車に乗る。

 さてトロッコといってもそれは昔の話。現在は観光用に整備された近代的な電気機関車が13両もの客車を引っ張る。機関車の橙色塗装にダム建設工事の面影が残る。線路の巾は70センチと聞いた。新幹線の半分だ。それでも大人3人が余裕で座れる。ただし、客車にはランクがあり私らが乗ったのは「オープン」と呼ばれるもので文字通り外に対してオープンな車両は窓や扉はおろか側面には何もなく、風通しのよいことこの上なし。(下の写真)

旅行前に「寒いから防寒だけは十二分に備えたほうがいいですよ。」と何人もの人から忠告を受けていたが、なるほど乗ってみてよくわかった。イスも背もたれなしなので身体の重心を保つのに苦労した。(帰りは窓もドアもある「普通」タイプの車両だった。むろん料金が別途にかかった。一人360円)
宇奈月から終点欅平までは約20キロ、所要時間は1時間20分。
飛行機をはじめ乗り物には弱いことで定評のあるオ・寒氏は焼津のクルーズに続きリタイアとなった。下の写真は私らを見送るオ・寒氏(どこにいるかわからないかもしれないが)

 トロッコ電車および眺望の感想だが、文句なしに一級の景観だ。紅葉に彩られた峡谷がトンネルの合間合間に生真面目に続く。
 もともとの起こりは「電源開発のための工事用資材の運搬に敷設」(駅でもらったパンフより)されたものだが、観光用を意図していなかったところがが幸いした形といえる。日本で唯一の「登山鉄道」といってもよい。その昔は切符の裏に「生命の保証はしません。」と書かれていたことも初めて知った。観光というより秘境黒部の奥地を目指した一部の登山者が命がけで乗り込んだのであろう。トンネル区間が多いのも観光目的でない証だ。スピードも時速20キロ弱という自転車並みのはずだが、一向に遅い感じは受けない。景色を眺めるには最適なスロースピードなのである。新幹線のように時速200キロ超の高速でこの区間を走ったらわずか6分で着いてしまう距離なのだ。景色を堪能するなんて不可能だ。

こののんびりとした往復2時間40分の電車行は今流行の「スローライフ」にかなっている。

さらにあきれた話(旅行二日目)

2005年11月07日 17時58分21秒 | 旅行(山行以外)
旅行二日目

朝、6時少し前に目が覚めた。(途中一度も起きなかった。けっこう疲れてたということだ。)窓の外を見たら、昨日とはうってかわって曇天。まあ、雨でないだけましということころか。風呂に入った後、朝食。(露天風呂ではあの悪趣味のおせっかいCDミュージックが大きい音で流れていたのはいうまでもない。要はここの露天風呂には長居して欲しくないのかと勘ぐりたくなる。もしくはこの露天風呂では入浴しながらせせらぎに耳を傾けたり、会話を楽しんだりするのを妨げようとしているのかもしれない。)

朝食はバイキングだが、これまでの旅行で泊まったホテルの中ではお粗末な部類。バイキングの売りは選択肢の広さである。味はともかく、洋物から和食まで豊富に選ぶことができるところに利用者としてメリット感があるはずだが、このホテルでは和食のみ、パン類洋物はなし。飲み物もコーヒー紅茶は別売り(500円)だった。(普通のお茶と牛乳、オレンジジュースはバイキングメニューに入っていたが。)和食だけというのもここの考えだから仕方がないが、海苔が一袋に3枚しか入っていないのにはあきれた。毎年、春に出かけている万座のホテルじゅらくの方がたぶんこの宇奈月グランドホテルより規模も知名度も低いかもしれないが、朝の食事は同じバイキングでもかなり充実している。(コーヒーだって飲み放題。)

 チェックアウトの際にフロントにいた3人の男女スタッフに例の露天風呂CDがいかにはた迷惑でおせっかいで、たんなんる個人趣味の押しつけに過ぎないかを話したが、おどろいたことにこの3人のスタッフは自分のホテルの露天風呂にそういうモノが流れていることを知らなかったようである。3人とも私の話をはじめて聞いたように目が点となってきょとんとしていた。CDはホテル内で販売していると露天風呂に掲示してあったことも知らなかった。(まあ、自分のホテルの露天風呂にこの人たちが入浴することもないんだろうけど。)いったいこのホテルの従業員教育はどうなっているんだ!と噛み付きたくなった。たぶん、こんな文句を言う客もほとんどいないんだろうけど。

露天風呂の押し付け音楽に興ざめ

2005年11月06日 23時42分41秒 | 旅行(山行以外)
会社の旅行で宇奈月温泉に行った。そこでの話。

温泉で楽しみなのはもちろん温泉に入り、露天風呂につかることだろう。この宇奈月グランドホテルにも露天風呂はあった。けして広くはないがヒノキ作りでやさしい感触が温泉のあったかさとマッチしていた。

 しかしだ、内湯から露天風呂に出るドアを開いた瞬間から、奇妙な音楽が流れていて露天風呂を覆いつくすように響き渡っていた。どこかで聞いたようなそうでないようなクラシックみたいだが軽めのいわゆる「壁紙」ミュージックの類だった。 思わずあたりを見回し、この音がどこから流れてくるのかときょろきょろしたがそれらしきものは見当たらなかった。湯船に浸かると、さらに音源に近づいたようで音が大きく耳障りであった。話もできない。なにより、ホテルの下を流れる渓流のせせらぎもかき消されてしまい、せっかくの温泉気分がぶち壊しとなった。せめて音を小さくできたらと思ったが、音量を下げるつまみスイッチ類も見当たらない。こうなるともう一刻もはやくこの雑音地獄から抜け出したくなり、そうそうに退散することにした。退散間際に壁に貼ってあった紙に目がとまった。

なんと、この音楽はこの温泉で客のためにわざわざ流していて曲もオリジナルで気に入った人にはホテル内でCDまで販売しているとあった。
 なんたる勘違い。ぜったいこのホテルは客のニーズを読み違えている。(好みだから稀に気に入る人だっているかもしれないが)

声を大にして言いたい。
個人(露天風呂に個人の趣味の音楽を流すことを決めた人物、きっとそれなりの立場の人間だろう。)の趣味を私(や他の温泉客)に押し付けないで欲しい。個人の音楽の趣味はさまざまで自分が「これがいい。」と思ったってそれはどうしたって個人の趣味の範囲を抜け出ることはありえない。いいと思うのは自由だ。しかし、しつこいようだが、それを他人に(客に)押し付けないで欲しい。次回、宇奈月に行くときはおたく(宇奈月グランドホテル)は絶対に使わない。別のホテルにしたい。

荘川桜

2005年10月24日 21時58分29秒 | 旅行(山行以外)

先日の飛騨方面の旅行で、バスの車窓から垣間見ただけであったが、あの「荘川桜」を見ることができて感無量だった。

私が荘川桜を知ったのは一昨年秋の「NHKアーカイブ」。日曜の深夜NHKが放送するこの番組は昔の「日本紀行」「新日本紀行」や「NHK特集」(今のNHKスペシャル)などを再放送してくれる貴重なものだ。加賀美アナウンサーが担当されているのも落ち着きがあって安心できる。

私が荘川桜に辿りくまでの順番は次の通り。実際の順とまったく逆である。
(1) さくら道マラソン
(2) 国鉄バス名金線の佐藤良二さんのさくらの植樹活動
(3) ダム建設と桜の移植

まずはさくら道マラソンから。
毎年5月の連休にかけて名古屋から金沢までの270キロを三日三晩を通して走り切るという超ハードなマラソンがあることをNHKのアーカイブで知った。
 さくら道ウルトラマラソンは、名古屋市と金沢市を結ぶ名金線のバス(昔はこんな長い普通のバス路線があったのだ。)の車掌をしていた佐藤良二さんにちなむものだ。佐藤さんは同僚(その方野名前も偶然だが佐藤)と二人で名金線を桜でつなごうと、桜の育苗からすべて自分の蓄えからまかない、少ない休暇を利用してもくもくと桜の苗を植え続けた。2000本あまりの桜を植えたころ佐藤さんは病魔に侵され、47歳でこの世を去る。(同僚の佐藤さんも後を追うように他界)思い半ばにして他界された佐藤良二さんたちの思いに感銘を受けた海宝道義(かいほう みちよし)氏らが呼びかけ人となって始まったのが本マラソン。たいへんハードなマラソンで金沢駅までの完走者は毎年半分にも満たない。
 現在高山市となったが旧荘川町と白川村を結ぶ国道156号線沿いには桜が植樹され、佐藤さんの夢見たさくら道にちなんで桜街道と名づけられ、その季節には大勢の見物客が訪れる。
 佐藤さんが桜の植樹をはじめるきっかけとなったのが御母衣(みぼろ)ダム建設に伴う村の水没。2本の桜はダム建設のために村と共に沈む運命だったが、心ある人々の奮闘によって現在の場所に移植された。NHKプロジェクトX「桜ロード 巨木輸送作戦」でも詳しく取り上げられている。
http://www.nhk.or.jp/projectx/89/index.htm
ちなみに荘川桜はソメイヨシノではなくエドヒガンザクラ。
来年の桜の季節にはなんとか満開の荘川桜をこの目で見てみたいものだ。
(下の写真は満開時のもの)


どぶろく祭り初体験!

2005年10月19日 22時02分35秒 | 旅行(山行以外)
バスが白川郷南側の広い駐車場に着いた。ここでは1時間という見学時間。
趣茶の一行は出発時のバスの車中から、白川郷に着いたら是非にもどぶろくまつりのどぶろくを味わってみたいと盛り上がっていた。ただ、肝心のどぶろく会場の場所とか開催日時を正確に知っている人は、誰もおらず、とにかく到着次第、現地で情報を収集することが重要課題であった。
まずはT田さんが先陣を切って出会い橋を渡った。
T田さんの後を追うように私も続いた。

まずは情報の収集だ。
目に付いた土産物屋に入り、女性に「どぶろく祭りの会場はどこですか?」と聞いてみたが。あまりはっきりしないのと、他の客への応対で忙しそうだったので早々に店を出た。次に、観光案内所のカンバンがあったのでそちらに向かった。入り口にテントがあって駐車場整備係と思しき高齢者が3人いたので、即座に聞いた。

「あー飯島(神社)のほうだな。この道をまっすぐ行って信号3つ目のところにある神社だよ。」と教えてくれた。(そのときは、なんだ信号3つくらいかと思った。)念のため、白川郷案内所でもらった地図を見せて場所を示してもらおうとしたら「この地図には載ってないよ。(地図の左端を指差し)これは二つ目の信号だよ。」と言われた。持ち時間は1時間。とにかく時田さんに知らせ、早歩きで走るように急いだ。途中タクシーでもいないかときょろきょろ見回したが1台も走っていない。5分後、汗だくになってようやく一つ目の信号にたどり着いた。信号は赤。車が何台か信号待ち状態。T田さんは、2台目の停車中カローラに走り寄るや否や運転者に話しかけ始めた。「あの、僕たちどぶろく祭りに行こうと思っているのですが、3つ目の信号まで載せてはいただけないでしょうか?」と。面食らったのは、運転手はもちろん、見ていた私。ヒッチハイクだ。運転者も事態を飲み込んでくれたようだが、答えは「次の信号で右に曲がってしまうのですが。」だった。残念!いいアイディアだったのに。

 なんと、ここで後から走ってきたY縣氏と遭遇。ずっと我々の後を追ってきたというではないか!さらに驚いたことに先行者も発見。T岡氏とS百合ちゃんの最年少コンビがやはり走るように(いや、走っていた?)前方に見えた。これもびっくり。示し合わせたわけでもいないのに一つの目的のために5人の男女が1本の道をひた走っているのである。(実際には走ってはいないが、私の感覚では走っている速さであった。)
次の信号はT字路。左側はコンビニ。ここも赤信号、しかし、なんと待望のタクシーが1台見えるではないか!T田さんの行動は速かった。すばやく駆け寄り助手席側のガラスをコンコンと叩く。気づいた運転手は車をコンビニの駐車場に回してくれた。「やった!」幸運の女神はいたのである。
しかし、次の問題が生じるまで5秒もかからなかった。タクシーは運転手を含めて5人乗り。誰かが乗れないのである。取りあえず、T田さん、私が乗り込み、あとにT岡氏、S百合ちゃんと続いた。「5人乗れるんじゃないの?」と時田さんが運転手に話しかけたが、すでにY縣氏が「僕はここで帰りますよ。」と無念のリタイヤ宣言。非情に心苦しかったが、Y縣氏を置いてタクシーは走り出した。
すぐに「どぶろく祭りの会場ま」でと頼んだ。竹中直人風の不適な笑いが似合いそうな運転手が「ああ、飯島だね。この前はうちのほうだったんだ。行列の交通整理してたよ。」と値千金の答えが返って来た。「ほら。」と言って彼の指し示した左前方に目を向けるとを赤、黄、紫、緑の原色鮮やかな旗を翻しながら歩く大人子供の行列が町内を巡っているではないか。「そばに行って見てみますか?」と竹中風運転手が言った。間髪いれず「ぜひ、お願いします!」当然の答え。
車を国道から行列の歩く町道に回し、行列の手前近くの民宿の空き地に止めてくれた。大サービスである。

すぐに車を降りて撮ったのがこの写真。T岡氏に写真を頼んで私はケータイのムービーで映像を撮った。
時間は残り少ない。再び車に乗り込み、3つ目の信号の飯島神社を目指す。この距離が長かった。二つ目の信号から3つ目までは始めの2つの信号までの2倍くらいはあった(ように感じた)。ほんとにタクシー捕まってよかった。全速力で走ってもバスの駐車場には帰れなかったであろう。

 神社の前の道の駅に車が回った。ここが祭りの駐車場なのだが、「関係者以外駐車禁止」の看板。つまり、一般はお断りなのだ。たしかに、どこを見回しても我々以外の観光客らしき姿は見当たらない。みな地元の人たちばかり。我が西新井の石上神社の御輿まつりとほとんど同じ雰囲気だった。竹中風運転手あらため小川さんの案内でまずは入り口で一人400円を奉納して杯をいただいた。その杯にお目当てのどぶろくがうやうやしく注がれる。どろりとしたその様は甘酒のような印象であった。一同、襟を正して厳粛に「乾杯」。なめるようにどぶろくを口にする。まず酸味の強さに驚いた。さらにアルコール度も高かった。身体中がカーッと燃え上がるような感触に包まれた。干した杯には飯つぶが残っていた。

 記帳し、お金を奉納すれば二合入りの徳利(神社の名入り)がいただけることも小川さんから教わり、即座に奥の社務所に急行した。5千円奉納すれば3本いただけるとのことなので1万円納め、6本いただいた。「倒したり、寝かせないでくださいね。発酵が急に進んで栓が飛び出したりするからね。」と注意も受けた。A市までの徳利保管係はT岡さんとなった。タクシーに乗る際にもそろりそろりと静かに載せたのは言うまでもない。

 帰りの車中で小川さんから、先週までは(アルコール度数が)19度だったのが、今週は16度まで下がってきた。」ことを教えてもらった。発酵が進んでいるのである。正に、酒は生き物と実感。

10月17日 安曇野 上高地 新穂高

2005年10月17日 22時40分09秒 | 旅行(山行以外)
(1)2日間お世話になった新T交通のバスです。長さは短いものの巾は大型バスといっしょ。そのため上高地の狭いカーブでの交差でしばしば往生しました。(2)有明山。大王わさび園にて。(3)そのわさび田。ここは毎年5月連休に訪れていました。(4)大王の碑。(5)梓川越しの穂高連峰。(6)望遠神社にお賽銭を投じてご利益の展望を堪能するT田氏。(7)再び梓川越しの明神岳。(8)こちらは新穂高の2階建てロープウェー。迫力は十分。(9)未踏の西穂が私を挑発する。(10)一行の記念写真を横から盗撮?

万博に行ってきました。

2005年09月04日 13時34分42秒 | 旅行(山行以外)
8月11日に愛知万博に行ってきました。
 ポットに氷を詰め、家を4時24分に出発。館林駅には4時41分に到着。すぐに久喜までの切符を購入。改札の前で記念写真。(ポンちゃんに撮ってもらった。)
 始発電車なので座ることができたが、けっこう乗る人が多かった。館林は完全な通勤圏なのだという実感。
電車は時間通り久喜に到着、宇都宮線への乗り換えもスムーズに運び、上野で山の手線に乗ったのが6時28分。東京駅には6時36分に到着。新幹線の座席に座ったときが8時42分。4分の余裕時間だった。まもなく音もなく「のぞみ」は出発。名古屋まで1時間と40分。
自宅から館林で電車に乗ってから東京駅までのどたばたにに比してみると費やした時間はほぼ同じでも座って過ごす新幹線は「あっという間」であった。
 名古屋駅に定刻どおり到着。会場まではエキスポライナーというシャトルバスで行くのだが、そのバス乗り場がわかりづらいという情報を(ネットの書き込みで)得ていたので、降りた後も2回ほど駅の係員に尋ねながらようやくたどり着いた。(トイレに寄ったりで10分くらいかかった。)確かにわかりづらい。いったんJRの駅構内(広小路口というところ)から外へ出て道路を渡り右へ名鉄のビル沿いに歩くとじきに地味な入り口にたどり着く。階段を3階まで登ると切符売り場と入場口がある。かなりの行列が出来ていたが流れはスムーズで、10分くらいで乗車できた。
バスには8時50分過ぎに乗車。駅を出てしばらく市内道路は混雑していたが、高速に入ると実にスムーズに走り、9時35分ごろには会場のバスターミナルに到着した。
バスターミナルからエレベーターで下ってまもなく東ゲート入場口。けっこう人が並んでいる。ゲート後方には暑さ対策のための飲料水のブースが用意されていた。これは会場内にも見られた。尋常ではない暑さが想像される。私らも飲んでみた。さほど冷えてはいない。テロ対策と称した持ち物チェックのためゲート通過に時間はかかるようであったが、それでも9時58分に入場できた。やれやれ。気になったのはやはりペットボトルの持ち込み禁止。これは理解に苦しむ。主催者の主張ではペットボトルの中にサリンやら爆発性の液体などを詰めて持ち込まれると危険だからの措置だという。要するに容器が問題なのだ。それなら、ポットや水筒など家で詰めてくるものの中身の検査はどうしてしないのか?むしろ金属製のレゼルブ類のほうが返って危険なはずだが、とにかくひっかかる(納得できない)措置だ。会場に入ればペットボトル飲料はバンバン売っているので、香ではないが、「単なる儲け主義」としか思えない。
 長い回廊のトンネルをくぐると企業パビリオンが目に入ってきた。
人の混雑振りを目の当たりにして少し考えた。(比較的空いているに違いない)瀬戸会場に向かうことにした。モリゾウゴンドラというキャビン型のゴンドラだがスピードがめっぽう速い。片道8分とのことだが途中でガラスが一瞬にして曇りガラス状態になるところがある。ゴンドラの軌道の下にある民家のプライバシー保護のためだそうだ。どういう仕組みになっているのか知りたくなった。エバラ工業がスポンサーとのことなのでエバラの技術なのかもしれない。瀬戸会場に着いてまもなく雨が降り出した。らせん状の通路を時計回りに下ると瀬戸のメイン会場だ。雨混じりの曇天、キッコロの家に入ったりしたあと、県の瀬戸パビリオンを見学。会場の瀬戸地域の森をテーマにした映像を20分ほど観た。
 再びモリゾーゴンドラで長久手会場へ戻る。雨はあがり、少し薄日が差し込み始めた。やはり暑くなりそう。事前予約も当日予約も空振りに終わった日本の企業群はあきらめ、諸外国のゾーンを見て回ることにした。まずは中東アジア諸国めぐり、てぽ、たいやきたちはブースの入り口でのスタンプ集めを開始。予めたこやきが用意しておいたスタンプ帳が役に立ったようだ。スリランカ、タジキスタン、キリギス、イラン、クエートなど一生の間行くことはなさそうな(と言っては失礼だが)国々を急ぎ足で巡る。その間にお日様が照り始め、気温がぐんぐん上昇し始めた。場内を一周する木製の通路をたどりヨーロッパ館を目指すが、前方左にカナダ館が目に入ったので近づいてみた。が、かなりの行列でうんざり。すぐ近くの中南米の館で涼をとろうとまずはキューバ館に入った。中には飲み物を販売するカウンターがあって、コーヒーとアルコール類があった。「自由キューバ」(懐かしいね。昔、前橋の「マンハッタン」でオ・寒氏が最後にこれ飲んでその後は前後不覚に陥り、私は一晩中、前橋市内の路上で歩道に転がるオ・寒氏と夜明けまで過ごしたのだから。)とアイスコーヒーを注文。日陰のテラスで一服した。この付近の館はゲートから近いせいかけっこう込み合っていた。ちなみに、東、北ゲートから入場すると目の前にドーンと日本の企業パビリオンが立ち並ぶ。もう、これは誘導尋問いや誘導そのものですね。といっても簡単に入れないんですが。

再び、木製通路にもどりヨーロッパ館方面に向かう。太陽はかんかん照り、照り返しも強く木製通路の上は火あぶり状態。何でこんなコースを満足な日陰もなしで作ったのか理解に苦しむ。考えられるのは、この猛暑で清涼飲料水の売上がぐんと増えると踏んだ悪い奴らだ。もちろんそいつらが例の「ペットボトル」持ち込み禁止をテロ対策の名の下に実行したのだ。なにしろ、一歩、中に足を踏み入れればこれ見よがしに「ペットボトル販売中」と張り紙された自販機がここかしこに並んでいるのだから。3月25日から9月25日までという期間を考えれば間に「夏」が入っている。夏、涼しいところ、例えば、長野や山梨、あるいは東北あたりでやるならかなり入場者は助かる。しかし、清涼飲料水はこれほどは売れない。すごく簡単なことだ。木製通路のところどころに設置された弓なりに通路の中心に向かってカーブした柱から噴霧されるドライシャワーと称するガス状の水の下をくぐると幾分は涼しいかと思いきや、まったくの焼け石に水で気休めにもならない。こんなことに金かけずに木陰でもつくって欲しい。

あと、会場内の食事のメニュー価格にも驚いた上の写真では「きしめん」が800円、「冷やしきしめ」はなんと1,000円!カルボナーラやピラフよりも高いきしめんていったいどうなっているんだ!たぶん、この暑さではあついかけタイプのきしめんより「冷やし」の方が売れると踏んだお店の企みであろうが、なんともはや見え見えのセコさには驚いた。昼時食事ができる場所はどこも行列が並んだ。
欧州系も高い!事情を知らずに並んだドイツ館ではやっとワシらの番になって入る直前のドア入り口右側にメニューが貼ってあった。(写真に撮ってくればよかった。)まともな料理は2,900円からでそれも単品。サラダやスープをつけて家族4人で食べたら・・・。うーん気が遠くなった。対応も悪い。ドイツ人のスタッフは日本語があまりできない。列の並び方の指導も悪く、狭い階段の下からずーっと列が並んでいることを知らずにエレベーターで上がってきた車椅子の家族連れは、列の最後が階下であることを知って困惑していた。きちんと下のエレベーター乗り場に表示をするとか、列の最後に「最後尾です。」と掲げるなどのサービスをすべきだ。

 1985年のつくば博に比べてモラルはかなり落ちたと見る。