元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

「生まれたころ」

2010年09月14日 | ふるさと
1948年9月11日午前8時半に産まれた私。

当時 父親はセメント会社勤務の兼業サラリーマン28歳。
母親は国鉄勤務後嫁いだ農業初心者25歳。
当然見合い結婚。会ったのは結婚式が二度目とか。
この夫婦の長男として誕生。

この年くらいまで、戦後の混乱もあり、落ち着かない年だったようです。
巷では東京裁判の結審・判決、世を騒がせた帝銀事件などが・・・。

還暦も過ぎて、誕生日の感慨もなく、淡々と過ごす毎日。
しかし 88歳の母親が祝いの赤飯を準備してくれました。
いつまでたっても子供の私。
「いまさら誕生日なんて」と言うと「でも誕生日は誕生日」と母親。

田舎の長男は「大切に」されました。後継ぎだから。
「家を守る」意識を知らず知らず植え付けられながら。
「おまえは長男だから・・・」「後継ぎは・・・」

子供には平等に財産を分ける権利があることも、田舎では無視されがち。
そして まだまだ「本家」意識も、移住者への「新参者」意識も残っています。
もう一世代が過ぎなければ、この意識も変わらないのかも知れません。

逆に失われてきているのが、相互扶助の精神。
回覧板を回すだけの近所との関係に。
(わが集落はまだ付き合いが残っているほうだと自負していますが)



子供時代の写真に着物姿もあります。
築120年の中二階の天井裏には、幼いころ 遊んだおもちゃや古い教科書も。
「なんでも鑑定団」に出そうかなと思う木箱入りの食器。
でも田舎の貧乏百姓の家に伝わるものは、多分ガラクタでしょうが・・・。

夜中にネズミが天井裏で「大運動会」を開催する旧い家。
同じように古い価値観に左右される田舎暮らし。
娘たちからの誕生日のお祝いのメールが時代の流れを感じさせる「誕生日」でした。

画像   東京裁判
       http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_1.htm

      数年前の生家(もうイチョウの木は短く切りました。葉と根が建物を痛めるため)

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2 コメント

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Unknown (はっすろう)
2010-09-15 09:29:00
88歳お母様のお赤飯はさぞ美味だった
ことと思われます
お誕生日おめでとうございます
ジュリー(沢田研二)と同い年ですね

昔は結婚式に始めて会ったという夫婦も
あったそうですよ
返信する
Unknown (元ベース弾き)
2010-09-16 20:23:06
はっすろうさん

いつもコメントありがとうございます。

ジュリーのファンでいらっしゃいますか?
私は昔のレコードも結構持っています。
彼は男の色気を感じさせますね。

母親は今はしわくちゃばあさんですが、昔は美形だったと本人は言っています(笑)。
返信する

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