元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
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人生の師 保科洋先生(作曲家)に電話しました

2007年11月13日 | 作曲家 保科洋


母校の大学の交響楽団の案内が来ました。
12月1日(土)に岡山シンフォニーホールで54回目の定期演奏会です。

メインがブルックナーの第四番「ロマンティック」です。指揮はもちろん保科洋先生です。
母校のオケの指揮を40年以上続けてもらっています。
昨日 早速先生に電話しました。

明るい奥さんの声で「今いますよ」 先生が偶然在宅でした。
「ブルックナーですって?」「そうだよ四番だよ」
こともなげに言われました。
大学の後輩たちのレベルは高いのです。

            

昨年の今頃、浜松で食事やゴルフ(驚きました、驚異的なスコア)を一緒してからもう1年です。

電話やメールの時、私の学生時代のあだ名「馬」のほうが通ります。
「先生、馬です」「ああ、馬さんか」周りの人はおかしな人間と思うでしょう。
(顔が藤田まことに似ているのと、馬力でベースを弾いていたためついたあだ名)

「音楽村」進捗も話しました。
「行政が、RC(鉄筋コンクリート)の廃校を使ってくださいと言ってます」
「2階建てと3階建ての二棟候補があります」と言うと驚き、喜んでもらえました。

忙しい先生ですから、音楽村の「村長」の仕事は、スケジュール調整が心配です。
来年 NPO設立の主旨をもう一度説明しオフィシャルに就任依頼をします。


先生は「風紋」などの作曲で吹奏楽の権威ですが、私にとっては「人生の師」です。

                                                    

就職した音楽系の会社、かみさんとの社内結婚、子供たちの音楽への道、
「音楽村」の構想などすべてが保科先生に繋がっているからです。

画像は CD 「風紋」保科洋作品集
    大学の演奏会のチラシ
    40年前の保科先生の写真(後は今は亡きM先輩 合掌)



コメント (18)
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