のんちゃん雲に乗る

平成17年8月に還暦を迎えた記念に、ブログを始める。
私の趣味や日常を記録して、足跡としたい。

流し素麺

2011-07-31 | Weblog
先週孫が来た時に、流し素麺が食べたいと急に言うので、その場しのぎに、「またじぃじに頼もうね」と言いました。
それを孫はしっかり覚えていて、「今日はじぃじは居る?」と言うので「居るよ」と言うと、「じゃぁながしそうめんをしよう!」
私は言い放しですぐ忘れていましたので、慌てて夫に先週のいきさつを話しました。
夫はすぐにホームセンターに行き、塩ビの樋を2本買ってきて、それを洗剤で綺麗に洗って、台を色々工夫して、ホースを取り付け、『にわか流し素麺台』を作りました。
試運転(?)では、水の勢いが良すぎて、樋から飛び出したりしましたが何とか孫達が来るまでに間に合いました。
ばぁばは、素麺をいつもより多く湯がきました。
来るなり、早くやろう!早くやろう!と、早速始まりました。
流れてくる素麺を取るのに精一杯で、器に素麺が山ほどになっても食べません。
「早よ、食べ!」とか、「わ~取れなかった」とか、大人も子どももワイワイ、ご近所にはやかましかったことと思います。
でも、孫の提案で、楽しい昼食になりました。
この設備を置いておいて、今年中にもう一度はしようねと言っています。

足を骨折しました

2011-07-25 | Weblog
姑が18日に亡くなりましたが、その前、まだ看病がいつまで続くか解らないという日、家の前の道を歩いていて、足首をグネッとひねりました。
グチッという音がしましたが、捻挫だろうと思っていました。
湿布して、サポーターをして、姑の病院へ行かねばなぁと思っていたら、病院から電話で「急変した、すぐ来てください、何分で来れますか?」と言うことで、すぐ駆けつけました。夫と私が手を握り見守る中、静かに息を引き取ったのです。
あくる日お通夜です。
でも、まだ足の痛みは取れません。
これから、御通夜・告別式・初七日と行事が続くから、捻挫でも、とにかく病院へ行くようにと家族の者が言います。
じゃあと、車を自分で運転してかかりつけの整形へ行きました。
なんと!折れていました。
でも、先生に今日御通夜と、明日葬式なので、ギプスだけは止めてくださいと懇願しました。仕方なくコルセットで様子見ましょうと言うことですが、右足なので、車の運転は駄目と言われ、葬儀の式場に居た、娘と夫に車で迎えに来てもらい、2台の車で、式場に戻りました。
皆に手を貸してもらって、支えてもらいながら一通りの行事は終えました。

一週間後整形外科へ再び行った日は、否応無しに,ギプスを巻かれました。固定したら痛みはなくなりましたが、それからはギプスの中の足の痒さとの戦いです。

書道の仲間が、これを聞いて、カルシュームを取るようにと、色んなおつまみを送ってくれました。
夫はビールのアテに何よりとお喜びです。私のお薬なのに・・・。

お盆過ぎまでギプス姿です・・・。


送ってくれたカルシューム

姑が亡くなりました

2011-07-21 | Weblog
ブログにお葬式の写真なんて載せる人が居るのかしら?と、気になりますが、紛れもない、私の日常の一こまですから、載せようと思います。
気になる方はごめんなさい。
6月12日に血液中の酸素(SPO2)の値が低くなり、救急車で運ばれ、いつ何時かわからないと言われながら、5週間も頑張りました。
姑に付き添う私が、疲れから膀胱炎になり、娘も目まいでダウンすると言う事態もありました。
大腸がんが末期で、癌からの出血で貧血を起こしているが輸血が出来ず、極度の衰弱が見られ、酸素吸入は一時も離せないという状態で、絶飲絶食で、5週間。
もうすぐ満92歳の誕生日と言うところでした。享年93歳です。
60数年前に死に別れた、姑の夫の命日でした。仏壇の過去帳には、二人の戒名が並んで載る事になります。

私と姑は生前、よくけんかもしました。
でも私が看てあげないと何も出来ない人でしたから、私も頑張りました。
夫が、葬式の挨拶で、「よくやってくれました」と私のことを言ってくれたことで、すべて嫌な事も清算されました。
今、姑の遺影を、とても優しい気持ちで見ることが出来ます。
きっと、喜んでくれているという自負がありますし、思い残すことはありません。
こんな文章を綴っているだけで、涙が出ます。
「永楽妙富大姉」が戒名です。苦労しながらも人生を楽しく生きた姑に相応しいいい名前だと思います。
仏になるまでの、四十九日間家族でお経を上げて、天国へいける手助けをしたいと思います。そして忌明けには、山口県萩市の菩提寺に納骨に行きます。

自宅での祭壇

槿が咲きました

2011-07-15 | Weblog
毎年この時期に、「我が家の庭に今年も槿が咲きました」と写真を写しそれを絵葉書にしてお便りする人が、今年はもう居られません。
我が家も姑の看病に病院通いの毎日で、水遣りもせず、雑草の手入れも出来ない庭ですが、花は季節を忘れずに咲いてくれます。
体は疲れ、先の見えないトンネルのような毎日ですが、一輪の花が、心を和らげてくれます。
「暑いのによう咲いて」とテレビのコマーシャルで、宮沢りえちゃんが言っている言葉をそのまま真似したい気分です。

リフォーム

2011-07-04 | Weblog
6月の23日から、風呂・トイレ・洗面所のリフォームをしてもらっていました。
我が家の風呂は、北西にあって冬は湯船に浸かっていても寒いのです。
脱衣場兼洗面所も寒いので、ヒートショックも起こしかねないと、思い、リフォームすることにしました。それを思い立ったのが今年の3月です。大震災のため材料が不足していると言うことで、着工が伸び、今になりました。
一方、今月の12日夜から、姑が危篤状態です。
容態はいつ何時かわからないと言われているので、工事中に何かあったらどうしようとひやひやしながら、私は家で大工さんや担当者の方と打ち合わせしながら、病院の付き添いに行くと言う、かなりハードな毎日です。
勿論家族の協力があるので何とかこなしていけました。
それと、姑の病気は治る見込みはないので、落ち込むことばかりですが、家に帰ると少しづつ、綺麗になっていくので、希望がありました。体力的に限界でも、精神的に明るい話題があったので、何とか持ちこたえられたと思います。

そして、7月初めとうとう出来上がりました。
明るく綺麗です。とっても快適です。
テレビの番組のフレーズではありませんが、「その全貌をごらんいただきましょう!」


風呂場(換気が優れ、からからです。魔法瓶浴槽で、エコです)


洗面所(清潔感のある白と茶色で統一したのですが、古い洗濯機が目立ちます)


トイレ(これもベージュと茶で統一し、節水型でエコです)


トイレの棚(大工さんに頼んで作ってもらった私自慢の飾りだな)

日本書芸院展 表彰式

2011-07-02 | Weblog
冬に出品した日本書芸院展で大賞を頂きました。
7月2日(土曜日)大阪中之島リーガロイヤルで表彰式がありました。
姑が危篤状態なので、出席を見合そうかと思いましたが、夫や家族が姑についていてくれると言うので、折角ですから出席することにしました。
大賞の受賞は、我が社中では、私一人だけなので、連れはいません。
他社中の顔見知りや、先生方で存じ上げている先生にはご挨拶しましたが、一人です。
表彰式の出るといつも思うのですが、まぁ何と書道人口の多いこと、それも、おばさんの多いこと!
私もそのうちの一人ですが、これだけライバルが居るのだから、頑張らなくっちゃ!うかうかしていたら置いて行かれる・・・と思うのです。
表彰式は、杭迫伯樹先生の挨拶で始まり、私の賞は「名前を呼ばれ起立し礼」で終わりです。もっと上の賞の方は、壇上に上がって、賞状を貰われます。次は是非壇上に上がれるように頑張ろうと思いました。

いつもは、表彰式の後、懇親会があるのですが、今年は東北地方の大震災のため、その費用を寄付すると言う趣旨から、懇親会は取りやめでした。
だから、姑のことが気になりましたが、表彰式だけで終わり、意外と早く帰ることが出来ました。勿論姑は大丈夫でした。

賞状とともに頂いた、賞品は私が欲しかった、万年筆でした。
大事に使いたいです。