中国の障害者の方たちが演じる舞踊で、何人もで千手観音を作るのを以前にテレビで見た事がある。その公演が、今日近くの「100年会館」であると言うのでチケットを頼んでいた。
友人達と出かけたが、在日の方か留学生か、中国語の人たちが多い。やはり故郷の演技を見たいので出かけてこられたのであろう。
プログラムは、一番最初に聴覚障害者の千手観音である。
もう、「凄い!」の一言に尽きる。音楽にあわせて22人の演者が一糸乱れぬ演技を披露してくれる。しかしこの人たちは、この音楽も私たちの拍手も全く聞こえないのである。舞台の両端に一人ずつ、ちょうど指揮者のように演技を指導する人が立ち、その合図で動いている。それがとても美しく優雅である。余りの美しさに言葉を失うと言うのはこのことかと思えるほど、「わぁ~」とか、「はぁ~」とか、感嘆のため息だけが思わず口から漏れる。もちろん出演者の努力は筆舌に尽くせないものがあろうが、指導者のご苦労はいかばかりかと思う。
続いて、視覚障害者の独唱や器楽演奏・視覚障害者と聴覚障害者の京劇・肢体不自由の方の舞踊や独唱など、様々な演技が続いた。どれもこれも素晴らしく、見るものに大きな感動を与えてくれた。
ナレーションが、「見えないけれど、音楽の中に花を見、蝶が舞うのを見ることが出来る」「聞こえないけれど、夢がある」と語っていた。人間の可能性を見せてくれ、感動を与えてくれ、夢と力を見る者にも与えてくれた、素晴らしい舞台であった。
健常者と障害者が力をあわせて努力すれば(普通の努力ではないが・・・)、不可能が可能になるのだということを学んだ気がした。
友人達と出かけたが、在日の方か留学生か、中国語の人たちが多い。やはり故郷の演技を見たいので出かけてこられたのであろう。
プログラムは、一番最初に聴覚障害者の千手観音である。
もう、「凄い!」の一言に尽きる。音楽にあわせて22人の演者が一糸乱れぬ演技を披露してくれる。しかしこの人たちは、この音楽も私たちの拍手も全く聞こえないのである。舞台の両端に一人ずつ、ちょうど指揮者のように演技を指導する人が立ち、その合図で動いている。それがとても美しく優雅である。余りの美しさに言葉を失うと言うのはこのことかと思えるほど、「わぁ~」とか、「はぁ~」とか、感嘆のため息だけが思わず口から漏れる。もちろん出演者の努力は筆舌に尽くせないものがあろうが、指導者のご苦労はいかばかりかと思う。
続いて、視覚障害者の独唱や器楽演奏・視覚障害者と聴覚障害者の京劇・肢体不自由の方の舞踊や独唱など、様々な演技が続いた。どれもこれも素晴らしく、見るものに大きな感動を与えてくれた。
ナレーションが、「見えないけれど、音楽の中に花を見、蝶が舞うのを見ることが出来る」「聞こえないけれど、夢がある」と語っていた。人間の可能性を見せてくれ、感動を与えてくれ、夢と力を見る者にも与えてくれた、素晴らしい舞台であった。
健常者と障害者が力をあわせて努力すれば(普通の努力ではないが・・・)、不可能が可能になるのだということを学んだ気がした。