今年も恒例の萩に行って来ました。
週末には、台風が来ると言うので心配でした。しかし松陰神社の秋の大祭は毎年晴れると言われています。まさにその通り秋晴れの好天に恵まれました。
松門神社(松陰の門下生を祭る松陰神社の末社)の大祭には、いつも来られる「木戸孝允」の御子孫に加え、「久坂玄瑞」の御子孫もご一緒させて頂きました。
久坂さんご一家は以前奈良に住んでおられた事があり、その時に夫の母(小野為八の孫)は、久坂さんに我が家に来て頂いて歓談したと話しておりました。その事を、久坂さんにお話しすると、「父だと思います」「その節はお世話になりました」とおっしゃいました。
100年以上経って、子孫同志がこのように親しく話せることは、とても嬉しい事です。
来年は「明治維新150年」の記念すべき年です。また、来年も子孫たちが元気で会える事と楽しみにしています。
萩市からの帰りに、山口市に立ち寄り、「雲谷庵跡」を訪ねました。
ここに小野為八の描いた絵があると、松陰神社の宝物館館長から教えて頂いたからです。
雲谷庵は、雪舟のアトリエで、ここで没したと言われているところです。
雪舟没後、水墨画の雲谷派の始祖である雲谷等顔(小野為八は雲谷派の絵師)が毛利輝元公より拝受した所です。
その後、荒廃していたのを、明治17年に、古い社寺の古材を用いて、再建され、現在に至っています。
雲谷派は、狩野派の流れをくみ、雪舟の正党継承者を主張しています。小野為八も、雪舟十三世等塊(とうかい)と名乗っています。
狭い石畳を入った所に、藁ぶきの庵がありました。
瑠璃光寺の東に位置し、庵からは瑠璃光寺の塔が遠望出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/eb/c706a9e96357f7f5e6353aacedb35ea9.jpg)
石畳の奥に・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/29/b327ab26ac74a8f25100f3ae4466d438.jpg)
案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/97/2339da8e775ee9aa25c36ea5d5428503.jpg)
庵全景
その、表玄関と思われる、西側の二畳ほどの玄関の天井板に、為八の「龍」の絵がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/bf/2358d99e446a0499a16032cb680ea78e.jpg)
この玄関の天井板に絵があります。
墨一色で描かれ、眼には金泥がはっきり残り、鱗は細かく、牙や角が力強く描かれています。
絵の左隅には、「雪舟十三世等塊」と見慣れた為八の字ではっきり書かれています。
落款が二つ押されていますが、現在は不鮮明で字を読み取る事はできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bd/45a7cc1f664042c8d0c565749b75b142.jpg)
「龍」の絵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e5/2e066323c68d761702837bb4447ea1bc.jpg)
為八の落款
私達もこんなに大きな為八の絵を見たのは初めてで、感動しました。
ただ、絵師としてはあまり有名ではないためか、小野為八が書いたと言う事は案内板にもパンフレットにも触れられていません。
雪舟のファンがここを訪ねて来ても、記憶には残らないだろうと残念に思います。
これが、小野為八の作品と言う事で、いつまでも保存される事を切に願います。
ひいお爺さんの作品を目の当たりにして、少々興奮気味ながら満足感を持って、台風が近づく山陽道を奈良に帰って来ました。
毎年、萩に行くたびに色んな人から、色んな情報を頂き、明治を近くに感じる機会を持てます。
これもみな、先祖のお導きかと、背筋をのばす思いで居ります。
みなさんも、山口に行ったら、是非「雲谷庵跡」に行ってください。
週末には、台風が来ると言うので心配でした。しかし松陰神社の秋の大祭は毎年晴れると言われています。まさにその通り秋晴れの好天に恵まれました。
松門神社(松陰の門下生を祭る松陰神社の末社)の大祭には、いつも来られる「木戸孝允」の御子孫に加え、「久坂玄瑞」の御子孫もご一緒させて頂きました。
久坂さんご一家は以前奈良に住んでおられた事があり、その時に夫の母(小野為八の孫)は、久坂さんに我が家に来て頂いて歓談したと話しておりました。その事を、久坂さんにお話しすると、「父だと思います」「その節はお世話になりました」とおっしゃいました。
100年以上経って、子孫同志がこのように親しく話せることは、とても嬉しい事です。
来年は「明治維新150年」の記念すべき年です。また、来年も子孫たちが元気で会える事と楽しみにしています。
萩市からの帰りに、山口市に立ち寄り、「雲谷庵跡」を訪ねました。
ここに小野為八の描いた絵があると、松陰神社の宝物館館長から教えて頂いたからです。
雲谷庵は、雪舟のアトリエで、ここで没したと言われているところです。
雪舟没後、水墨画の雲谷派の始祖である雲谷等顔(小野為八は雲谷派の絵師)が毛利輝元公より拝受した所です。
その後、荒廃していたのを、明治17年に、古い社寺の古材を用いて、再建され、現在に至っています。
雲谷派は、狩野派の流れをくみ、雪舟の正党継承者を主張しています。小野為八も、雪舟十三世等塊(とうかい)と名乗っています。
狭い石畳を入った所に、藁ぶきの庵がありました。
瑠璃光寺の東に位置し、庵からは瑠璃光寺の塔が遠望出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/eb/c706a9e96357f7f5e6353aacedb35ea9.jpg)
石畳の奥に・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/29/b327ab26ac74a8f25100f3ae4466d438.jpg)
案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/97/2339da8e775ee9aa25c36ea5d5428503.jpg)
庵全景
その、表玄関と思われる、西側の二畳ほどの玄関の天井板に、為八の「龍」の絵がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/bf/2358d99e446a0499a16032cb680ea78e.jpg)
この玄関の天井板に絵があります。
墨一色で描かれ、眼には金泥がはっきり残り、鱗は細かく、牙や角が力強く描かれています。
絵の左隅には、「雪舟十三世等塊」と見慣れた為八の字ではっきり書かれています。
落款が二つ押されていますが、現在は不鮮明で字を読み取る事はできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bd/45a7cc1f664042c8d0c565749b75b142.jpg)
「龍」の絵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e5/2e066323c68d761702837bb4447ea1bc.jpg)
為八の落款
私達もこんなに大きな為八の絵を見たのは初めてで、感動しました。
ただ、絵師としてはあまり有名ではないためか、小野為八が書いたと言う事は案内板にもパンフレットにも触れられていません。
雪舟のファンがここを訪ねて来ても、記憶には残らないだろうと残念に思います。
これが、小野為八の作品と言う事で、いつまでも保存される事を切に願います。
ひいお爺さんの作品を目の当たりにして、少々興奮気味ながら満足感を持って、台風が近づく山陽道を奈良に帰って来ました。
毎年、萩に行くたびに色んな人から、色んな情報を頂き、明治を近くに感じる機会を持てます。
これもみな、先祖のお導きかと、背筋をのばす思いで居ります。
みなさんも、山口に行ったら、是非「雲谷庵跡」に行ってください。