のんちゃん雲に乗る

平成17年8月に還暦を迎えた記念に、ブログを始める。
私の趣味や日常を記録して、足跡としたい。

今年も行ってきました。

2008-10-30 | Weblog
銀山の町、大森の町並み


我が家の秋の恒例行事となった山口県萩市にお墓参りに行きました。
今年は、萩の前に島根県の石見銀山へ行きました。しかし、銀山の間歩へは、行けませんでした。石見銀山が世界遺産になってから環境保護のために、かつて出ていた路線バスも通行しなくなり、行きにくくなっています。着いた時は、最後の案内も終わっていたので、行けなかったのです。

銀山の町、大森の町並みを見て歩きました。世界遺産センターや代官所跡、1800年当初の武家屋敷、銀山と共に栄えた商家などを見ました。
そして、夫とおそろいの銀のリングを買いました。その晩は、三瓶(さんべ)温泉に泊まりました。三瓶山のふもとの温泉で、冬はスキーが出来るそうで、ゲレンデになるなだらかな草原があり、お天気のよい日には雲海が見られるという、なかなか良いところでした。

次の日国道9号線を南下し、萩市に入りました。着いてすぐにお墓参りに行きました。一年ぶりの掃除をしてから、奈良から持参した柿やお菓子を供えてお参りしました。

毎年27日は、松陰神社の秋の大祭です。このために、秋にお墓参りをするのです。今年も先に松門神社(松陰先生の門下生を祭る、松陰神社の末社)のまつりごとに、門下生の末裔と言うことで玉串の奉奠をさせていただきました。今年は私まで夫と一緒にさせていただき光栄至極でした。
松陰神社は、来年松陰先生没後100年の記念の年に当たり、その年に開館する宝物殿を建設中でした。建物はすでに出来上がっており、私たち夫婦は特別にまだ開館していない、館内を見せて頂きました。まだ何も入っていない、空の宝物殿はめったに見られるものではなく、感謝感激です。
宝物殿

来年の開館にはまたぜひとも駆けつけて、皆さんと共にお祝いをしたいと思います。来年が待ち遠しいです。

ちりめん細工

2008-10-16 | Weblog
昨年、干支のちりめん細工「俵引きねずみ」を教えてもらった先生が、「はいはいうさちゃんとわらべ」を教えてくださると知り、申し込みました。
参加できると案内が来たので朝から大和高田まで出かけていきました。私は夕方、ショートステイから帰る姑を迎えなくてはいけないので、15時には作り上げなければならず、お昼ご飯も買った柿の葉寿司をつまんだだけで、時間を惜しんで作りました。そのお陰で、人より1時間ほど早く出来上がりました。
このお人形は優れもので、ハイハイしている前足にメモなどを挟めるのです。それは、体の中に100円均一の洗濯バサミを入れてその上に綿を詰めているのです。
だから、後ろ足をつまむと前足が広がります。こんな可愛いメモはさみにメッセージを書いて置くとは、なんて奥ゆかしいアイデァでしょう。でも私はもったいないので、玄関に飾ることにします。玄関がほのぼのとした雰囲気になりそうです。可愛いでしょ!

東大寺奉納大歌舞伎

2008-10-15 | Weblog
大仏殿特設舞台


今日10月15日は、聖武天皇が大仏造顕の詔(みことのり)を発した日です。それに合わせて、奉納大歌舞伎が上演されましたので、夫と観に行きました。

出し物は『勧進帳』で、演じるは弁慶/松本幸四郎・富樫/市川染五郎・義経/市川高麗蔵と言う配役です。ご存知「勧進帳」は義経と弁慶の話で、兄頼朝に追われている義経一行が、東大寺復興のために寄進を集める(勧進)山伏に姿を変えているという設定です。
弁慶を演じる松本幸四郎は、昭和33年16歳の時から50年間弁慶を演じて、今回が千回目と言う記念すべき舞台です。その舞台を勧進帳ゆかりの深い東大寺で上演とあっては、歌舞伎ファンは見逃せないのです。
先日の薬師寺のコンサートと違い、今日は雨の心配はなさそうですが、寒いのは避けられません。秋の野外の寒さは、醍醐寺でこれまた勧進帳を見たときに経験済みです。おおきなカバンに、フリースの毛布のようなのやひざ掛けなど4枚と、カイロ、冬用の上着、重ね履きする靴下、雨合羽などを詰めて自転車で出かけました。
遠くからホテルに泊まってきている人や、団体旅行できている人も多いようです。そして寒い夜と言うのに、やはり歌舞伎観賞ならではの着物姿の人が多く見られました。幸四郎の弁慶は私は2回目です。昨年、顔見世で見ていますが、何度見てもいいものです。
歌舞伎上演に先立って、東大寺の僧侶の方々の「散華」があり、お寺での上演ならではの、厳粛で格調高い雰囲気が漲ります。

大仏殿と満月

弁慶が富樫に促され、勧進帳を読み上げる真似をする場面の頃には、空に高く上った満月がきれいに輝き、冷たい秋の夜風が頬に当たり、ピ~ンと張り詰めた空気が漂いました。後ろでは大仏様が、半眼でじっと見ていらっしゃいます。劇場にはない、この緊張が幸四郎の千回記念にふさわしい雰囲気を作り出しているようです。
富樫が、義経とわかりながらも弁慶の心情をくみ一行を許す・・・いつもの筋書き通りに上演は終わりました。いつもなら幕が下りて終演なのですが、舞台に残った富樫に再びライトが当たり、花道に去った義経や四天王が現れ、最後には弁慶までも姿を見せ、いわゆるカーテンコールが始まりました。歌舞伎ではありえないこと。しかし、今日は特別だからでしょう。幸四郎が「こうしてゆかりある東大寺で千回を無事迎えられたのも色々な人のお陰・・・」と挨拶されました。これには感動しました。
満月に見守られ、大仏様に見守られ、世界文化遺産の東大寺で、世界無形文化遺産の歌舞伎を見る・・・。こんな贅沢な時間を味わえた事に感謝しました。

桂米團治襲名披露

2008-10-04 | Weblog
10月4日5日は、京都南座で、桂小米朝が、五代目 桂米團治を襲名する披露公演がありました。
我家は夫も息子夫婦も、落語が好きで良く知っていますので、ぜひとも行きたいと申し込んで、私たちが4日(土)に行き、5日(日)に孫達を私たちが預かって、息子達が行くことにしました。

小米朝の父である、米朝師匠の師匠である、米團治の名前を継ぐのですから、すごいことです。そしてその襲名披露公演の皮切りが4日です。関東からも林家正蔵や三遊亭圓歌などが駆けつけ、もちろん米朝や南光・ざこばは全国を一緒に廻ります。
会場はさすが京都です。特別席には祇園の舞妓さん芸妓さんが、お座敷に出る衣装・だらりの帯・白塗りで沢山来ています。歌舞伎などを観に行くと、プライベートで旦那と来ている舞妓さんを見かけることはよくありますが、今日のように着飾った舞妓さんを間近でこんなに沢山見たのは初めてです。

そして襲名披露には欠かせない口上の前には、祇園のきれいどころが20人近く拍子木でお手打ちを披露してくれ、とても華やいだ雰囲気になりました。
久しぶりに、真面目な落語らしい落語を聞くことができとても楽しい時を過ごす事ができました。