2月17日から2月19日まで、小野家のルーツである、山口県萩市に行って来ました。行った理由は二つあります。
一つは、現在、萩博物館で『幕末志士たちの手紙展 =山根正次コレクション=』が開催されています。山根正次(東大医学部出身の医学者・衆議院議員・現日本医科大学初代校長)は、夫の曽祖父の甥の当たります。その正次が蒐集した、偉大な志士たちの手紙ばかりですから、見て見たいなぁと夫と話していました。(萩博物館のHPを参照ください)
もう一つの理由は、私どもが会員になっている「史都萩を愛する会」の例会で、『萩のホトガラヒー(萩城を写したのは誰?)』と題した講演があるとのことを知りました。
最後の萩城を写したのは、砲術家であり、科学者であった夫の曽祖父・小野為八ですから、当然為八の話ということです。これは子孫として是非聞いておかねば・・・と思ったわけです。
以上、二つの理由から萩市へ行く事になりました。
講演は、博物館の一室で行われるので、少し早めに博物館に行き、特別に副館長さんのご案内で展示物を拝見しました。膨大な数のコレクションの一部とのことでしたが、相当な数に驚くと同時に、保存状態がとてもよいのにびっくりしました。手紙の多くは巻物に表装してあるのですが、その順番が正次の意志で、差出人を関連付けてあるとの説明をしていただきました。正次が、尊敬する先輩の手紙から、その声を聞き、対話する事で、自らを高め、精神のよりどころとしたであろうと思われ感動しました。
拝観の後、例会に出席しました。会員ではありますが、遠方である事から一度も総会にも例会にも出席した事がありませんでした。
最初に講師の先生の紹介のときに、『今日はお話に出てきます小野為八さんのひ孫さんご夫婦がお見えになっておりますので、皆さんにご紹介いたします』といってくださり、ご挨拶させていただきました。
講師の先生は、写真家でありその上とても歴史にも精通なさっていて、私達の知らない事を色々知る事ができました。維新のこの土地では、政治だけでなく、科学でも新しい物を取り入れていたのです。外国から入って来るとすぐに長崎や横浜に行き学び、すぐさま萩に持ち帰り研究・実験・実用化しているのです。その中心に、小野為八はいたのです。言葉で言えば簡単ですが、かなりの苦労と日数が必要だったようです。現在当時の方法を再現できるのは、日本でこの講師の先生一人だけだそうです。当時写真は、写真術だったそうで「術」ですから、秘伝があるのだそうです。その秘伝を知らないとできないそうです。
お陰で、先祖の活躍を知る事ができ、この苦労が今のデジカメにつながっているのかと感無量でした。
ただこう考えると、安易に写真を撮る事ができず、新しいデジカメを持って行ったのですが、とうとう一枚も撮らずに帰ってきました。
とても有意義で、何より先祖(小野為八・山根正次)の供養になった旅でした。