のんちゃん雲に乗る

平成17年8月に還暦を迎えた記念に、ブログを始める。
私の趣味や日常を記録して、足跡としたい。

先祖の足跡を辿る③

2007-10-29 | Weblog
春帆楼
小野写真館の後、下関に行きました。
下関では、春帆楼と言うところに一泊します。ここは日清講和条約が締結された場所として有名で、昭和天皇陛下皇后陛下が2回もお泊りになっている由緒ある旅館です。そしてこの旅館の名前は伊藤博文の命名だそうです。
何故ここかといいますと、夫が小さい頃から祖母に「小野為八の絵が、下関の春帆楼にある」と教えられてきたそうです。為八は、萩藩お抱えの雲谷派(うんこくは)の絵を学び等魂と言う雅号で絵を残しています。それを確かめるための旅です。
旅館の人に聞きましたが、本館は火災のため焼失したので当時の物は何も残っていないとのことでした。
絵は見ることは出来なかったけれど、美味しいふぐを堪能することが出来ました。そして曽祖父が伊藤博文らとともに訪れたであろうことが偲ばれ、良い供養になったと思いました。

先祖の足跡を辿る②

2007-10-29 | Weblog
旧 小野写真館
松陰神社参拝のあくる日は萩市から山口市に向いました。
ここでは夫の曽祖父小野為八が、デザインした旧小野写真館を尋ねました。
小野為八は、萩藩お抱えの砲術師範でしたが、砲術を学ぶために長崎に行った時、同時に写真術を学んで来て、山口県で営業写真の第一号として開業したのがこの写真館です。この建物をデザインしたのが為八自身で、施工は不明となっています。
明治時代の当時のままの姿です。今も為八の弟子筋の方が実際に写真館を営んでおられます。、この時は突然連絡もせずに伺ったので、あいにくお留守のようでした。
次回は連絡をして伺いたいと思います。
この小野写真館は、ひっそりとしたひなびた八坂神社の境内に、古いけど斬新な赤い屋根で堂々と建って居りました。このままずっといつまでもこの地に建っていて欲しいと、勝手なことを思いながら帰ってきました。

先祖の足跡を辿る①

2007-10-29 | Weblog
松陰神社御創建百年式年大祭
山口県萩市の吉田松陰を祭る松陰神社の御創建百年の式典に参列してきました。
本殿の式典に先立ち、松門神社(松陰の門下生を祭る神社)の祭典が取り行われ、昨年同様、門下生の末裔として玉串奉奠の栄を得ました。
今年は御創建百年と言うことで、例年より多くのご参拝があり、門下生の御末裔の方々も、前原一誠・木戸孝允・堀潜太郎の御子孫らがお見えになっており、ご一緒させて頂きました。
松門神社の祭典の後、本殿の祭典に移りました。今年は雅楽の演奏も入り、政財界のお歴々や多くの関係者の出席のもと、厳かに盛大に挙行されました。
場所を移して直会の席が設けられました。この席で、宮司さんをはじめ来賓方々が、異口同音に「松陰先生の教えが今こそ見直され、全国津々浦々に広まる事を祈念する」と言われ、共感を覚えました。午後からはお稚児さんの行列や餅まきなどもあり、盛大にお祝いの行事が行われました。
御創建百年と言う大事な節目の時に居合わせ、夫婦揃って参拝できる幸せを有難く感じました。そして何より先祖が喜んでくれていると自負しています。
二年先には松陰先生没後百五十年の記念すべき年を迎えます。その時に会わせて開館される宝物館も今建設中です。
来年も没後百五十年の時にも元気で一緒に参拝しましょうねと夫と話しました。

玄関のディスプレー

2007-10-12 | Weblog
玄関の下駄箱の上が、我が家の季節のコーナーです。
前にもブログにアップしましたが、季節のちりめん細工を飾ったり、はがきにその時にふさわしい言葉を書いて飾ったりしています。毎週書道のお稽古に来てくれる人が、「このコーナーが楽しみ」と言ってくれたりすると、嬉しくて、少し意識して飾ってみました。
ちょっとやりすぎかな?と思いながらも、結構気に入っています。
いつも少し遅れ気味で、9月なのにほうずきの絵を飾っていたりしたので、家族から注意を受けました。
少しずつ季節を先取りする感じで、演出(?)しないといけないなと、反省しています。さて、この栗の季節が終わったら、何にしましょうか?

彼岸花

2007-10-04 | Weblog
裏の栗の木から落ちるいがぐりを拾っていると、真っ赤な彼岸花が咲いていました。我が家のは彼岸過ぎ花です。
毒々しい赤が雑草の中からのぞいています。去年も咲いてたかなぁ?と記憶はあやふやです。
去年は見なかったように思います。
彼岸花は、万葉集にも詠まれ、「イチシ」と言う名で登場すると、先日万葉花の研究家の片岡寧豊さんに教わったところです。
私はこの花が好きです。曼珠沙華と言う方が好きです。このまま来年も増えてくれたらいいのにと思います。