読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「家族狩り」

2006年07月21日 | 作家タ行
天童荒太『家族狩り』(新潮社、1995年)

やたらと今年の梅雨は雨がよく降る。なんだか地球が異常な状態になっているような気がする。そして地球だけでなく人間も異常になっているのではないだろうか。最近も奈良の田原本市で、有名進学校の高校生が、母親とまだ幼い兄弟を放火によって死なせるという事件があったが、これも医者である父親からの学校の成績問題での暴力が普段からあったという。詳しいことは知らないが、死んだ母親というのも医者だが、こちらは後妻で、死んだ小さな子どもたちはこの後妻の子どもだったらしい。あちこちで子どもが親殺しをするという事件もあれば、いまのワイドショーをにぎわせているような、親の子殺しと、どうもそれを見ていたらしい隣の家の子ども殺しの事件もある。この小説は、子どもが親殺しをしなければならないほどに親の愛情が見えなくなった家庭の問題を描いている。ほんとこの天童荒太って人はすごい作家だ。私もうんうんうなりながら、三日もかけて読みきったけど、読み終えたときには、虚脱感で、どっと疲れた。

面白いとか面白くないというような範疇でくくれない小説だといえる。よくぞここまで書いてくれた。現代の日本が抱えている家族の問題、教育の問題の一番重要なところを、たしかに衝撃的な形ではあるけれども、抉り出して、われわれの目の前に突きつけてくれた功績は、大きい。とくに家族の問題は、だれも表に出したがらない。家族の中で解決すればいい、うちには関係のないこと、行政や学校には関わりのないこととしたいのだが、そうはいかないよということを、白日のもとにさらしてくれた。こういうことはもちろん教育評論家たちがあれこれ語ることではあるけれども、一般的には具体的な姿で見えることはない。この小説を読むことで、みんながこれを自分のこととして自分に問い返すきっかけとすべきではないだろうか。

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「東京物語」

2006年07月18日 | 作家ア行
奥田英朗『東京物語』(集英社、2001年)

青春の甘酸っぱい日々が思い出される連作小説集。「小説すばる」に連載された順番で本書にも収められているが、時間的には、すでに大学を中退して駆け出しの広告代理店に勤めはじめた久雄の、恐ろしく多忙な一日を描写した「あの日、聴いた歌」から、予備校に入るために上京した久雄の、実家を離れ、一人で生活するようになった解放感、孤独感を描いた「春本番」でいったん二年くらいもどり、さらに一浪後に大学生となって美しい菜穂子先輩に一目ぼれして演劇部にはいった久雄が同級生の江里との甘い思い出を綴った「レモン」を経て、「名古屋オリンピック」から、「バチュラー・パーティー」でバブル期の様子を描いている。

この作者とは数年違いなので、学生時代のことを思い出しながら読んだ。同じように、一日でも早く親から離れて暮らしたくて、一浪を勧める担任のアドバイスをけって、大阪の私大に進学した。たいていは入学式にあわせて家を出るものだが、私も4月1日にはもう大阪に来ていた。ボート部の先輩が住んでいたアパートだったので(受験のときにも泊めてもらった)、精神的にはそれほどの孤独感は味わわなかったかもしれないが、アパートに入った日は、ああこれからは、ハラ減ったからといっても、母親がすぐに作ってくれるわけでもないんだ、毎日どこかに食べに行かなきゃならないという、当たり前のことに、しみじみ一人で生きるということを感じたものだ。初めての大都会。パチンコやマージャンをしてみたり、たばこを吸ってみたりしたが、そういうことに溺れるようなタイプじゃないのが分かった。

大学一年の夏休みに、阪急デパートでバイトをしたのも、なんだか懐かしい。配属されたのが江坂にある配送センターの靴下のセクションで、ものが軽いし、あまり伝票が来なかったので、3人くらいいたバイト生たちは暇を持て余していた。となりの洗剤のセクションは重いし、すごい量の伝票が来て、毎日大忙しだったが、なぜかそちらに応援に行けというようなことにはならなかった。暇なので、担当者が浜寺のプールに連れて行ってくれたりした。その当時、私は千里山に住んでいたので、最初は電車とバスを使って通っていたのだが、そのうち千里山の丘を越えたら江坂だということが分かり、交通費を浮かせるために歩いて通った。毎日すごく暑くて、でもお金がなくて、うどん一杯で一日を過ごしたり、ご飯にマヨネーズをつけて食べたりしていた。靴下セクションは暇なので、後半になると梅田の本店のワイシャツ売り場に回され、ワイシャツのことなんかなんにも知らないのに、売り子をやったりもした。7月の最後の日、たいていの学生アルバイトは長いひと月が終わって、給料をもらえるという嬉しい日、私はこれで阪急でのバイトは切り上げて、田舎に帰るつもりだった。30万くらいもらえただろうか。私はこの金で、夏前に買った本(本当に私は自分が熟慮タイプなのか衝動買いタイプなのか分からない。たまたま通りかかった出張販売員に引っかかって、日本文学の初版復刻版というやつを買ってしまったのだ。こういうことはその後もつづき、アパートにやって来た大百科事典の販売員にうまく言いくるめられて30数巻の事典を買ったこともある)の支払いを済ませ、残ったお金で旅行をするつもりだった。その日、同じ売り場の女子学生が話があるから、帰りに時間をくれというので、一緒に喫茶店に行ってあれこれ大学のことだとか夏休みのことだとか話した。付き合ってほしいという告白だったのだが、バカな私は、そんなことをされたのは初めてだったので、わけが分からなくなり、なんだがその子に失礼なことを言って、先に帰ってしまった。なぜか知らないが大学一年のときにそういうことが数回あっのに(たぶん自分では付き合いたいと思っていたのに、あがってしまって、緊張のあまりバカなことを言ってダメにしてしまうばかりだった)バカな私にたいする天罰か、それ以降はそういうことがまったくなくなってしまった。よーし今度誘われたらぜったいにうまくやってやると思っているのに、そういうことはなくなり、こちらから告白しても振られてばかりだった。人生経験が足りないっていうか、バカっていうか。

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「チルドレン」

2006年07月17日 | 作家ア行
伊坂幸太郎『チルドレン』(講談社、2004年)

吉川栄治文学新人賞を2004年に受賞して、その第一作目がこの作品らしい。1971年生まれの35歳という若手らしい、嫌味とか、けれんとか、癖のあまりない、素直な文体で、素直な作風の連作小説である。第一作の「バンク」ではまだ大学生だったが、それ以降の作品では家庭裁判所の調査官をしている陣内という若者が主人公といっていいような連作である。ちょっと変わった発想をする面白い男として描かれているが、各短編の結構は「ちょっとできすぎだろう」と思わせる。ただ「バンク」の銀行員全員が銀行強盗の共犯で、一般の人質を含めて全員にお面をかぶせて顔をわからなくして、全員が解放される人質としていなくなり、犯人が誰か分からなくなるという話は、最近の映画に同じようなのがあったような気がするけど、もしこちらのほうが先だとしたら、すごいアイデアの作品だということになる。

ただ「チルドレンⅡ」のダメ親父に反抗して客を殴って家裁送りになった明君のダメ親父が、じつは陣内がやっているパンクロックの「最近入ってきた歌のめっぽう上手い奴」だったなんてオチは、できすぎだ。あまりこういうできすぎの話は、重松清の短編と同じで、面白くない。だから短編なんてつまらないんだと思ってしまう。たしかに人間もすてたもんじゃないぞというようなメッセージを送ってくる作品という意味で、良心的な部類に入っているのだろうけど、そんなものを読みたくて小説読んでいるわけじゃないのだから、こんなできすぎのオチをつけてくれなくったっていいんだ。それよりも科学や学問では割り切れない人間の深いところを抉り出すってのが、文学の本分じゃないのかな。短編だからって無理してこんなオチをつける必要はないんだけどな。

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「家守綺譚」

2006年07月16日 | 作家ナ行
梨木香歩『家守綺譚』(新潮社、2004年)

この作家はほんとうに不思議な小説を書くなーと思う。これは時代は明治だろうか。電灯はまだ当てにならないとかなんとかいっているような時代だから、明治だろう。京都大学の学生とおぼしき高堂という友人がボートの練習中に琵琶湖で溺死し(たが死体は見つからなかった)、彼の父親が嫁に行った娘の近くに隠居するから、家守をしてほしいと頼まれ、売れない物書きの私(綿貫征四郎)が家守をしながら日々の出来事を書いたという設定になっている。場所は琵琶湖から京都に水をひくための疏水があるあたり。いまでも南禅寺のちかくにこの疏水の橋脚があって観光名所の一つになっている。あのあたりだろう。しかし時は明治で、なんともその時代の風情が、「私」の家の庭やその界隈にでてくる草花の精やら小鬼やら河童やら鮎の姿をした人魚のようなものやら、狸と狐の化かし合いやらが描かれていて、じつに面白い。もちろん史実を書いているわけではないので、この作者の筆の力である。この時代の風情を出すのに、この文体も一つの力になっている。「犬も見聞を広めたくおもうこともあろうよ。河童との別れを惜しんで旅愁に浸っているのやもしれぬ」だとか。

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「レガッタ」

2006年07月15日 | 日々の雑感
『レガッタ』

速水もこみちと相武沙希(漢字が違うかもしれない)主演で『レガッタ』というテレビドラマが始まった。金曜日の9時というゴールデンタイムだ。『レガッタ』というのはボートの競漕会のことで、高校時代にボート部だった私には興味津々のドラマだ。ボートというのは地味なスポーツなので(ギャンブルのボートとはちがいまっせ)、めったに映画とかドラマとか小説の題材になることはない。最近では1998年に田中麗奈主演で『がんばっていきまっしょい』という映画がヒットし、その後もこれのテレビ版が作られたので、ちょっとは日の目を見るようになってきたのかなと思うが、私が高校生の頃なんて、完全に忘れ去られたようなスポーツだった。しかし飛ぶ鳥を落とす勢いのもこみち君が主演だから、ボートをやろうという高校生や大学生も増えるかもね。

ボートのことをあまり知らない人のためにちょっと基礎知識を。もこみち君がのっているのはダブルスカルという種類のボート。二人でオールを漕ぐが、それぞれが両手に一本ずつのオールをもっている。一人用がシングルスカル。このように一人が二本のオールをもって漕ぐタイプのボートをスカル艇という。これにはコックスという舵取り手が乗っていないが、コックスがいるタイプもある。また一人が一本のオールをもつのがスウィープ艇という。これには一般的なものとして、四人の漕ぎ手にコックスがいるフォア、八人の漕ぎ手にコックスがいるエイトなどがある。私が高校生の頃は、シングルスカルは一般的になっていたが、スウィープ艇はまだ普及しておらず、ナックル艇を使っていた。これはスウィープ艇に乗る前の練習用として位置づけられていた。というのはスウィープ艇やスカル艇は底が丸く軽いので―漕ぎ手が持ち上げて肩に担いで移動する―すぐひっくり返り、水に落ちやすいからだ。いまはもうナックル艇を使うところはないだろう。

もこみち君は相当練習したらしく、素人目にはけっこう上手に漕いでいるように見える。(体格もいいし、体重があと10キロもあったら、関係者は彼を欲しがるだろうね。)でも、ボート経験者から見ると、まだストロークが短い。オールの先をブレードというのだが、これが水に入るキャッチ(水を掴むというところからきているのだろう)からブレードが水中から出るまでをストロークというのだけが、もこみち君はまだこれが短い。キャッチのときにもっと前傾姿勢にならないといけないし、水からブレードが出る位置が速すぎる。もっと上体が後ろにそるところまでストロークを長くしないと。だからボートは漕ぎながら腹筋運動をやっているようなものなので、すごい全身の筋肉がつく。腹筋なんかすぐ割れる。

欧米では川幅が広い、流れているのか流れていないのか分からないほど、ゆったりしているので、川でボートを漕ぐことができるが、日本では川でボートをやるのはほとんど無理。湖か海ということになる。私は米子の中海という海水だが湖に近い形をしたところでやっていた。きたいない海だが、それでもボートを漕ぎ出せば潮の香りや風が爽やかで気持ちがよかった。年に一回は遠漕会といって松江まで漕いでいくこともあった。楽しい思い出だ。

今後『レガッタ』がどういう展開になるのか、原作の漫画を読んでいないので、知らないが、期待している。

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「証明」

2006年07月14日 | 日々の雑感
『証明』

たぶん、20年位前のテレビの再放送だと思うのだが、テレビ大阪で風間杜夫と原田美枝子のドラマを見た。風間杜夫は売れない小説家というか小説家をめざして脱サラしたのだが、全然作品を採用してもらえない。妻の原田美枝子が出版社で働いて生活を支えている。美人の原田美枝子は仕事がら多くの男と会うことがあり、それを嫉妬する風間杜夫は彼女の手帳を見て、だれとどこで会ったのかとシツコク問い質すような男。原田はそういう風間を理解し、ときには暴力をふるわれながらも、けなげに支えている。しかし、ちょっとした嘘を夫に言ったことからそれを取り繕うために仏文学者の平井(内藤剛)とできてしまう。風間は最後の頼みの綱と思っていた作品が不採用になり、完全に精神的に切れてしまい、最後には睡眠薬自殺してしまう。妻の原田も心の支えとなっていた平井が女性作家と結婚するという噂を聞いて、呆然としてしまう、というような話なのだが、さえない、ダメな作家志望の風間杜夫がなんだか自分とダブってきてしまって、やりきれない気持ちになった。

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「オリガ・モリソヴナの反語法」

2006年07月13日 | 作家ヤ行
米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』(集英社、2002年)

数日前に、初めて米原万里のエッセー集(?小説集と書いたが、第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているから小説ではないわな)を読んで、他の作品も読んでみたいと書いたばかりで、これは初めての長編小説らしいけれども、『嘘つきアーニャ』を読んだあとでは、リアリティが強烈で、まるで自分の体験談のようにリアリティがあるし、また構成はサスペンスのように、読むものを惹きつける。じつに上手い。

私が学生になるかならないかの頃にソルジェニーツインの『収容所群島』が翻訳されたのですが、私はどうも一くらいの体験を十くらいに誇張して飯を食っている哀れ作家のようにしか思っていませんでしたが、スターリン時代からの粛清や強制収容所によってこんなにもソ連の民衆の精神と身体が損なわれていたとは。こういうことに目をむけてこなかった自分が恥ずかしいかぎり。それにしてもここに描かれる粛清のさまはナチスによるユダヤ人虐殺にも匹敵する残虐さがあるのではないか。

1960年から64年までチェコスロバキアのプラハにあるソビエト学校で学んだことのある弘世志摩は、クラシックダンスのダンサーをめざしていたが、それを断念してから生活のためもあってロシア語通訳をやっている。1991年にソ連が崩壊してから、日本との行き来も簡単になったことから、志摩は旧友やダンス教師であったオリガ・モリソヴナとフランス語教師だったエレオノーラ・ミハイロブナの「オールドファッション・コンビ」のことを知りたくてモスクワに来ている。そこで旧友のカーチャに再会し、一緒に調べるうちに、二人が1937年頃に始まったスターリンによる粛清によって逮捕され、バイコヌールの強制収容所に送られ、そこから帰還した「ラーゲリ帰り」であったことが分かる。最後には、二人が里親となっていたジーナの回想から、エレオノーラは自分たちが助かろうとして夫が国民党のスパイだという嘘の調書にサインしてしまったこと、そしてすぐに夫が処刑されたこと、自責の念に耐えられずにおなかの中の子を堕胎させたこと、そこからくる自責の念に一生苦しめられていたことが分かる。

二人が何者かということから始まって、どういう経緯で強制収容所送りになり、そこから帰還して、どうやってプラハのソビエト学校の講師となっていたのか、そしてその後どうなったのかが、まるでサスペンスの謎解きのようなスリル感をもって描かれている。そして粛清の現実はじつに生々しい。

中国でも文化大革命で同じようなことがあった。こうした事実はすでにかなり以前からわかっていたことだろうに、そういうことを知っていながら、社会主義国を理想郷のように主張してきた人たちって、この現実をどう思っているのだろうか?

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『M・i・3』

2006年07月12日 | 映画
トム・クルーズ『M・i・3』

シリーズものは第一作に及ばないというけど、やっぱりそうかな。第一作の印象が強すぎて、どうも第二作はどんな内容だったか思い出せないし、この第三作も面白くない。そりゃ派手ですよ、ミサイルは飛んでくるは、それに吹き飛ばされて車に体ごとぶつけられても平気だし、派手に爆発するわ、機関銃は撃ちまくるわで、派手だけど、そのぶん面白味にかけるんだな。こんな派手なものを見るものは期待しているのではないというのが、トム・クルーズには分かっていなかったのじゃない?

第一作のあのトリックは見事だったし「ミッション・インポシブル」という名前に恥じないものだった。プラハだかブダペストだかの陰気な雰囲気と、スパイたちの哀れな末期がぴったりあっていたし、ペンタゴンに入り込んでスパイの情報を盗み出すということが面白い上に、それほど人殺しの場面がなかった。それよりもスパイの騙しあいの面白さに焦点が置かれていた。

第二作ってどんなんだったけ?

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「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

2006年07月11日 | 作家ヤ行
米原万理『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川書店、2001年)

絵本かなにかのタイトルのようなこの小説は、かつて日本共産党の幹部で国会議員もつとめた父親の米原昶(よねはら いたる)がプラハに赴任したときに経験したソビエト学校での交友関係をその後の大きな変化と絡ませて書いた中編小説集である。

このソビエト学校というもの自体のことが小説だけではよく分からないので、Wikipediaで検索してみたら、「米原万里」の項目で次のような分かりやすい説明があった。
「日本共産党常任幹部会員(当時)・衆議院議員米原昶(よねはら いたる)を父として東京都に生まれた。祖父は貴族院議員米原章三。1960年、小学校4年生のときに、父が日本共産党代表として「平和と社会主義の諸問題」編集委員に選任されチェコスロバキアのプラハに赴任したため、一家そろって渡欧することになる。 9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソ連の外務省が直接経営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通ってロシア語で授業を受けた。 チェコ語を選択せずソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子どもたちが通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なカリキュラムを組んでいたという。」

もちろんこの小説集に登場するのはこのソビエト学校に通っていた小学校高学年から中学くらいの子どもたちで、「リッツァの夢見た青空」ではギリシャから亡命してきたコミュニスト・パルティザン活動家の娘であるリッツァ。彼女は中学の頃は映画女優になるのが夢で、あまり勉強(特に理数系)が苦手だったのに、この父親がプラハの春にさいして反対の態度表明を行なったことから、一人プラハに残って勉強することになり、苦手の勉強を克服して医者になり、ドイツで結婚してギリシャや中欧からやって来た移民たちを中心にした医療活動をしている。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」はルーマニアの共産党幹部の子どものアーニャは生まれてからほとんど外国暮らしばかりで、素直な優しい子どもなのだが、まるで共産党のパンフレットが口からついて出てくるようなものの言い方をするので、みんなからからかわれている。ところが労働者の味方、労働者の血と労働であがなった○○というようなことを言っているわりには、かつての貴族のような生活をして、身の回りの世話をする家政婦夫婦を屋根裏部屋に住まわせているということになんら矛盾を感じていないことを、「私」は敏感に感じ取る。この矛盾は、社会主義諸国の崩壊、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊後の祖国の混乱と労働者たちの悲惨さの増大を尻目に、普通のルーマニア人にはできないことなのに幹部の子弟ゆえに可能となったことなのだが、イギリスに渡ってイギリス人と結婚して裕福な暮らしをしていることに、なんの負い目も感じていないことにも、「私」によって見抜かれている。

この小説を読んでいろいろ考えるところがあった。米原自身が「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」のなかで指摘していることだが、こうした社会主義国の封建性―つまり共産党幹部がたんに貴族に置き換わっただけのような状態―への鋭い指摘である。日本ではずっと野党だからそういうことが見えてこないだけで、日本でも政権をとったら同じことになるのではないか。

そもそもコミュニズムってなんだろう、と思う。私はマルクス主義の先行思想はルソーにあると考えている。マルクスは人間の意志に関わらないものによって人間の意識は規定されると考えた。物質が意識を規定するというテーゼである。人間の意識や意志に関わらないなにかが人間を拘束する。それに似たことを言い出したのはルソーである。ルソーは人間の自由意志は人間をほかの存在から区別する唯一の指標だと言いつつ、この人間の意志を、個々の意志ではなく、総体として規定しているものがあり、それが神の意志だと考えた。個々の人間は自分の自由意志によって行動しているが、この自由意志そのものが、大きな枠組みからみれば神の思うように動いているのだというのがそれである。それはちょうど『エミール』で詳述された教育論の基本でもある。エミールはすべて自分の意志で行動していると思っているが、彼の自由意志そのものが家庭教師ジャン=ジャックが設定した枠組みによって意のままに操られている。このルソーのいう神の意志は強力なものではなくて、人間が耳を澄まさなければ聞こえなくなってしまう。それを強固なものにしたのがヘーゲルである。彼は物質も人間の歴史もすべて神の意志の展開したものであると考えた。人間社会の変化も神の意志にもとづく法則性をもって展開しているというのだ。この神の意志を生産力という物質的なものに置き換えたのがマルクスであろう。

だがこういうのって、ちょうどダーウィンの進化論、弱肉強食理論、獲得形質遺伝などのように、一見客観的で科学的な理論のように見えて、その実は時代の支配者階級のイデオロギーであるのと同じように、マルクス主義も時代のエピステーメなのではないかと思えてくる。そう思わせるのがこの米原万里の小説なのだ。私よりも一世代上の人たちは生産力至上主義のところがあった。生産力が上がればすべてが解決されるみたいは発想があった。生産力が低いから環境問題なんてものが起こるのであり、生産力を押さえて環境に配慮するなんてことは考えられないし、社会主義は生産のあり方を根本から国家が管理するのだから、公害なんかありえないというようなことも言われていたと思う。だが中国の現実がそんなたわごとは吹っ飛ばした。

いずれにしても米原万里の鋭い視点はけっして見過ごされるべきものではないと思う。他の小説も読んでみたい。

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「金毘羅」

2006年07月10日 | 作家サ行
笙野頼子『金毘羅』(集英社、2004年)

あまりに面白くなくて、最後まで読みとおせなかった。この人、自分の顔にものすごいコンプレックスをもっているみたいで、これが初めて読む小説なのだけど、文章の端々にこのコンプレックスからくる人間社会への鬱屈した感情がにじみ出ている。そんなにぶさいくなのかと思って、インターネットで画像検索をしたら出てきた。まぁたしかに美人じゃないけど、それほどコンプレックスを持つというほどのぶさいくでもないじゃないと思う。ぶさいくといえば、田辺聖子とか林真理子のほうがすごいんじゃないかなー。だけで彼女たちの作品にはそんな屈折したところは(もちろんあれこれもってはいるのだろうけど)微塵も見られない。まぁこういうのは主観の問題だし、笙野頼子がこれまで若いときから経験してきたことの結果として、こういう屈折した感情をもつようになったのだろうから、私がどうこういう問題ではないだろうけど、小説のなかにこういうものをもちこんで、なんか小説世界を作ろうというのが、納得できない。この小説の話が訳が分からないというよりも、自分というものがその外見をはじめとして社会から受け入れられていないということへの苛立ち、あきらめ、屈折、そういったものだけで書かれたような小説なので、五分の一くらい読んで、もうこれ以上耐え切れないと思って、やめてしまった。

私の読書の趣味は食べ物と一緒で、意外と偏食というものがない。好き嫌いがない。ただ、これまで私に濫読を躊躇させてきたのは、たんに自腹を切って買ったはいいけど、それで面白くなかったらどうしよう、銭がもったいないという発想だった。だから、気に入った作家が見つかるとその作家のものを一通り読むけれど、新しい作家を開拓するのに臆病だった。ところが図書館という便利なものを見つけてからというもの、面白くなければ途中でやめて返却すればいいだけのことだということが分かって、濫読に走るようになった。すごく気分的に楽に新しい作家に挑戦できる。図書館を発見してからのこの半年間は日本の現代文学に開眼したといってもいいくらいにあれこれ読んでいる。これまでは考えられなかったくらいに、いろんな世界を吸収している。なにを食べてもおいしい。以前の私だったら、角田光代を最後まで読みとおすなんてありえなかっただろう。それがいまやすでに三作も読んでしまった。

だけどこの小説だけは食べる気がしない。

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